こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
最近はまた面白くてAbema TVをよく見ています。
先日も元学校教員として、子どもについての動画をいくつか見ました。
僕の場合は高校生を相手にしていましたので、
としてずっと認識していました。
もちろん、未熟なところもありますが、それは大人も一緒です。
現在でもオンライン講師として授業をするときは、いろいろひっくるめて “先生” としてやらせていただいています。
今日は「子どもに押し付けること」について書いていきます。
自分の子ども時代を想像すること
基本的に僕が保護者の方々に言っていたことは、
ということでした。
自分が小さかった頃、親から、
と言われて、「嬉しかった!」という人はあまりいないでしょう。
もちろん、
というケースもあって、僕はそれも1つの正解だと思っています。
- たくさん様々な経験をさせてあげること
- 社会で生きていく上で大事なことを教えてあげること
は、確かにとても大切なことですからね。
一方で、
「親としての自分の見え方を気にしている人」
が実際にいるのもまた事実です。
と、褒められたくて教育をしている人もいるのではないでしょうか。
はっきり言えばそれは、親の自己満です。
自分が小さかった頃、あるいは学生時代を思い返せば、
と感じたことでしょう。
大人になったって、(仕事は別にしても)「いいから黙ってこれをやってくれ」と押し付けられてやる人なんて、いませんよね。
子どもたちには将来がありますしまだまだ未熟ですから、確かに親や先生がある程度レールを敷いてくれたことを、恩に感じている人もいるかもしれません。
と言う親御さんとも、今までたくさん会ってきました。
- サポートをすること
- 子どものことを思うこと
は大切ですが、「あれもやれこれもやれ」だと疲弊してしまいます。
僕は親に何にも言われずに小中高大院と過ごしましたが、勝手に勉強していましたし、別に、
- 長期間塾に通わせてもらったわけでも
- たくさんお金を払って何かをさせてもらったわけでも
ありませんでした。
それでも真っ当に生きていけました。
と言うつもりはサラサラありません。
ただ、自分の小さかった頃、学生時代などを思い返してみれば、「言われること」がいかにイヤだったかくらいは、簡単に想像できますよね。
願いや期待は押し付け
基本的に自分の子どもや生徒に「願い」や「期待」をすることは、押し付けであり自己満です。
僕は担任を持っていましたが、最初のほうは、
と思っていたものでした。
しかしそれは、勝手に僕が期待していただけであり、問題児も不登校児も出てきました。
そこで「学校の組織」としてダメだったことは、
「それを担任(親)のせいにする」
といった風潮でした。
もちろん、見ていて “ヤバい” 親や担任もいましたが笑、だからと言ってその子たちの性格やら何やらが100%決まるわけではありませんでした。
それならチームとして他の先生たちがサポートしたらいいですし、「その人(親や担任)」ではなく、システムや環境を疑うべきですね。
逆も然りで、そのクラスの生徒がいかに良くなっても、それはその先生の功績ではありません。
自分のクラスをあまり意識し過ぎなくなってからのほうが、雰囲気は良くなりましたね。
大切なことは、
ですね。
その上で、
- 自分の後悔したことや経験を伝えているのか
- 社会で生き抜くための処世術を教えているのか
が大事です。
そこにも「押し付け」は不要です。
僕が今でも生徒さんたちに「縛り」を設けないのは、いい意味で、
と思っているからです。(もちろんサポートはします)
やる人はやるし、やらない人は一生やりません。
変わらないことを僕のせいにするわけでもないですし、成功を収めたら「その生徒さんの実力だ」と思っています。
と思っている人はなんでもやります。
生徒も子どもも一緒です。
「やらない」と決めている子に、
「無理やりモチベーションを上げさせること」
はナンセンスです。
勝手に期待を抱いたり、
と無理強いの指導ばかりをしないこと。
どんな大人になるかは、その子自体が「どういう風に大人や子どもたちと関わっていくか」で決まります。
みなさんだって、大人になってから変わったことなんていくらでもあったでしょう。
いつも言っていることですが、「無理やり押し付けること」は逆効果でしかないのです。
ルールを教える必要もある
以前の僕は、
という、「自分の想い」ばかりを伝えていました。
その時ほどうまくいかなかったことはなくて、逆に教員生活の最後のほうが、信頼を得られたものでした。
切り取って欲しくないのは、
ということです。
それはシンプルによくありません笑。
教員生活最後のほうは、
- いい意味で生徒に期待もせず
- 大事なところでは話を聞いてあげる
という姿勢を心がけていました。
この按配は経験から来たものでしたが、生徒たちは僕のことを信頼してくれて、
と思っていてくれていたようでした。(あくまで主観かつ肌感覚ですが笑)
こんな感じの「絶妙な立ち位置」を貫いていますと、生徒たちも「縛られている感」がなくなってきます。
期待はしていないけれど、何かを成し遂げた時には、
と、その子の努力を認めてあげました。
指導案件に上がるようなことをした時も、考えさせて「納得してもらうこと」を大事にしていました。
そもそも「その生徒の存在」を認めてあげていれば、それだけで生徒は喜んでいましたね。
なんでもかんでも手取り足取り、あるいは頭ごなしに「やれ」と言いますと、反発しますしできなかった時の言い訳を親や先生、他人のせいにし始めます。
「やらなかった自分」と向き合うことも大事ですし、同時に「やらないと後悔すると思うよ」と自分の経験を伝えてあげることもまた大事です。
と言うのは、ちょっと行き過ぎていますけどね笑。
ある程度「社会規範」は教える必要がありますし、自分の経験上、「彼/彼女」にとって意味のあるものとなるのであれば、伝えても悪いことはありません。
何を思って、子どもや生徒に「自分の想い」を伝えているのか。
本当に本人の意思を尊重するなら、「サポートしてあげること」が親や教師としてのあり方だと思っています。
おわりに
この議題はとても難しく、「これ」という答えはありません。
しかし、まずはお子さんや生徒の存在を認めてあげて、
- それから本人の意思を尊重しつつ
- 人生においてのエッセンスを伝えてあげる
ことがいいのかなと。
「求められてもいないこと」を押し付けても逆効果です。
見守ってあげながら、時にメンターとして心の支えとなってあげましょうね。
それではまた!
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