こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
僕の給料は毎月16日に振り込まれるのですが、いよいよ今月につきましては、給料日のことをすっかりと忘れていました。
これが「お金からの解放」なのでしょうか笑。
以前も、現在保持している資産について、あまり気にならなくなってきたことを記事にしました。
お金については、勉強を始めたこともあってだいぶ記事にしてきたのですが、「もはや給料日はどうでもいい」というレベルにまで達してしまいました。
半分冗談ですが笑、今日は、
- 給料
- 人生
について書いていこうと思います。
「給料 ≒ 支出」は不幸なのか?
僕は年に100万円以上が貯蓄に回ってしまうため、給料以下の生活をしているという事実があります。
では僕と違って給料をもらったと同時に、「宵越しの金は持たねぇ!」とお金を使っている人は、果たして不幸なのでしょうか。
赤字であるなら問題かもしれませんが、実はこの生き方も「1つの答え」だと思っています。
僕の友人は、
「20万円以上の給料が入った翌日に、なぜか小銭しか残っていなかった」
という伝説を残していました笑。
倹約家である僕からすると、「あり得ない」の一択でしたが、最近はそうでもないのかもしれないなと思い始めました。
お金の使い方は人それぞれであり、赤字でない限りは使ったほうが「生き金」となるからです。
- 自分の幸せに照らし合わせ、
- 最大限に幸福度を引き上げる。
このことは、人生のあり方としては間違っていませんし、経済においても喜ばしいことです。
一方で僕が給料日を気にしなくなったのは、独り身で余裕があるということも大きな要因ではありますが、
- 家計簿をつけ、
- 自分の支出額を大体把握し、
- 毎年貯蓄率が25%以上あるとわかっている
からです。(ちなみに結婚していた時も、貯蓄率は高かったと思います)
給料をそっくりそのまま使うことは、燃費が良いとも取れますが笑、一方で給料日を待っている時間は、
- カツカツ感
- 焦燥感
などから、「ストレスを感じてしまう」と思います。
それゆえに、僕はあまり浪費をせず、いただいたお金を使い切らないのかなと思いました。
「普段、どれくらいのお金があると安心するのか?」
この感覚は人それぞれであり、「何億も資産がある人」でさえ、将来を不安に思っているのだそうです。
ただ、
- 常識的に考えつつも、
- 幸せの定義は人それぞれ
という見方で、結論づけるのであれば、
- 給料 > 支出
- 給料 ≒ 支出
- 給料 < 支出
の中では、「1」であるに越したことはないでしょう。
メリットとして、
- 余裕が生まれ、
- 焦ることがなくなり、
- 自他のために浪費(幸せのための出費)
することができるのだと思います。
僕は、自分の家計が「1」の「給与 > 支出」の状態であることが可視化されてからというもの、上に書いたメリット(余裕感)を得られるようになることができ、しまいには給料日を忘れていたのでした笑。
しかし、もしかしたらいつの日か、
- 最低限稼いで最低限の生活を送る。(「2」の「給料 ≒ 支出」の状態)
- たくさん稼いで、多くの人のためにお金を使う。(「1」の進化形。給料>>>支出)
のどちらの状態になっていても、おかしくないとは思っています。(以前、大原扁理さんの著書を読んで、自分もそうなるかもしれないと思ったことがあるからです)
だからこそ、短絡的に「カツカツの生活」=「不幸」とは思わずに、今後のいろんな人生の形を考えておきたいと思っています。
給料日に振り回されないことは幸せか?
言わずもがな、「幸せ」だと思っています。
先ほどは、冗談半分で「お金からの解放」と言い放ちました笑。
しかし「給料日のことを意識しなくなる」ということは、実質的に「解放された状態」となっていると言ってもよいと思っています。
- 家計簿をつけ(マネーフォワード&キャッシュレス)、
- インデックス投資をし、
- 固定費を削減して、
- 支出を抑えたことで、
ある程度自分の暮らし方/生き方が明確になり、不安材料はスッと消えるからです。
僕の場合は、来年から「被雇用者ではなくなった後の話」が課題ではありますが笑、
- 先ほどの大原扁理さんのような生き方を知ったことや、
- 「自分なりの幸せ」が定義できていること
などから考えても、以前より不安は少なくなっています。
もともと、
- 「給料日だやったー!」
- 「いつ給料が入るんだろう?」
と思ったことはありませんでした…いえ、嘘をつきました。
以前は貯蓄が大好きでしたので、「また銀行口座の残高が増えるぞ!」と思っては、嬉しく感じていたものでした笑。ごめんなさい。
今となっては「本当に忘れる」ほどとなってしまい、家計簿アプリのマネーフォワードすらも、たまに見る程度となりました。
ちなみに投資につきましては、先ほど確認したところ、2022年4月現在で+50〜60万円程度でした。
買い増しは少しだけしましたが、大きくはいじっていません。
時間が経つにつれ、少しずつ増えていっているようですね。
(こちらの投資につきましても、すっかり忘れていたことは内緒です)
給料日のことを考えなくなってから、お金のことよりももっと深いことを考えるようになりました。
クサい表現かもしれませんが、
- 人生
- 使命
- 生きがい
などです。
結果的に、
- 家計簿の整理や投資が、
- 自分の現状を把握するのに役立ち、
- 最終的には給料日をも忘れさせ、
- 自分の人生について考えるきっかけとなった
のでした。
給料日に振り回されなくなるまでにも、若干の道のりはありましたけれど。
そして来年もまた、どのように感じるのかは定かではありません。
しかし今の僕の視界は、かなりすっきりと拓けている状態となったのは、間違いありませんでした。
お金のことを一旦忘れることで、本質を見るようになる。
以前にも、「ものの価格ではなく価値を見ろ」という教えを受けてから、僕自身もモノを吟味してお金を支払うようになりました。
- 「これは、価格に値するほどの価値があるのかな?」というよりは、
- 「これは、自分にとっての幸せに直結するものなのだろうか?」
と考えるようになったのです。
こうした「購買能力の向上」(というのかわかりませんが笑)を始めとして、
- 誰かのためにお金を使う幸せや、
- 投資にお金を回す意味
などが、ここ1年で理解できるようになっただけでなく、
「そもそも自分にとって、お金ってなんなのだろう?」
と、考えることができるようにもなりました。
お金は人生を豊かにするための土台ではありますが、一方でお金にとらわれ過ぎてしまいますと、「お金の奴隷」となってしまいます。
しかし、一度お金としっかりと向き合ったことで、
- 実態が見えて安心感が得られ、
- 結論として今、自分はどうしたいのか
と、もっと先の、もっと深い内容について考えることができました。
- どうやってお金を生み出すのか?
- どうやったらお金がもらえる(=感謝される)のか?
- そのお金をどうしたいのか?
- そもそも自分は人生において何をしたいのか?
- 誰のために何をすることが幸せなのか?
と、「お金が先か、人生が先か」というような問答を、自分自身でし始めました笑。
そして、
「ちょっと今は、給料(お金)のことは置いておいてもいいかな?」
と、他のことについて考えたくなっています。
- 「自分には資金的余裕があるから大丈夫」というわけでもなく、
- 「もうお金のことなんかどうでもいいのよ」
というわけでもありません。
「お金と人生」の2つは表裏一体であり、切っても切れない関係ですからね。
ただ今の僕にとって、
- 「いかに資産を増やすか」
- 「いかに自分の幸せを求めるか」
は、もう本質的ではないのです。
給料日のことを忘れるくらい、今はもっと違うことを考えています。
カッコつけて言えば、そんな感じでしょうかね笑。
とても抽象度の高いものではありますが、お金のことを考えなくなってからは、毎日が価値のある濃い日々と言いますか、
- 幸せにあふれているような、
- 自分の人生と向き合っているような、
そんな感じがします。
良くも悪くも、今年はお金のことは一旦忘れようと思います。
来年から何ができるかを考えながら、また自分と向き合う1年としますね。
おわりに
ふと「あ、そう言えば給料日か」と思ってから書き始めた記事となりましたが、それくらい今の僕にとっては、お金や資産は優先度が低いのだと思います。
再三申し上げますが、それは「お金を気にしなくなるくらい豊かなのだ」という簡単な意味ではありません。
これは、
- ここ1年以上をかけて考え、
- 行動に移してみたり、
- お金を使ってみたり
したことで、ようやく収束してきた考え方なのです。
実はもしかしたら、まだ真理の半分にも満たないような、稚拙な思考なのかもしれません。
しかし、毎日一歩ずつ人生について考えを深めてきたことで、本当に少しずつではありますが、生活やメンタルが豊かで安定した状態となってきました。
お金について考えていた自分が、いつのまにかお金のことを忘れているなんて、僕自身も予想していませんでした笑。
今後もより深い思考ができるように、お金のことを考えつつ、少し脇に置きつつ、人生について考えていきたいと思います。
それではまた!
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