我慢するのは美徳なんかじゃない【ストレスフリーの生活を目指そう】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、友人が「ストレスを溜めないこと」についてツイート(ポスト?笑)しており、

なるほど間違いない

と思っていました。

確かに、大人になってきますと、いい意味で「我慢すること」を覚えてしまいます。

  • 節制したり
  • 運動したり
  • 遊ばず勉強したり

と、これも一種の我慢と言えます。

一方で、

それはしちゃいかんだろ

という我慢もあります。

今日は「我慢する必要はない」ということについて書いていきます。

我慢は美徳でも美談でもなんでもない。しないに越したことはないのだ。

我慢を強いる社会

僕が公務員時代(教員)の頃に経験した「ルール(笑)」は、理解のできないものも多かったです。

先生なんだから、あぁしろこうしろ

と言われ、勝手に「先生としてのあり方」みたいなことまで説いてくる先生もいました笑。

生徒指導も形骸化しているものが多く、少しでも道を外れれば「腫れ物扱い」される生徒もいました。

ルールを守ることで、時にルールに守られることはありますが、

果たしてそのルールは本当に必要なものなのか?

と問う先生は、ほとんどいませんでした。

「先生」はあくまで一例であり、会社員の方々もまた、“いろんな我慢” を強いられていると思います。

先日も「定時退社」についての動画を見ましたが、僕は定時に帰ることに何の抵抗もないですし、同調圧力も大嫌いです。

一方で必要なら朝は早く出勤して、「自分の足りない部分」は自分なりに補填していました。

たまに定時退勤できなかった時もありましたが、それは自分で決めた場合のみです。

このように、

そこ、我慢する必要ある?

みたいなストレスを抱えている日本人はたくさんいます。

それを「美徳だ」と言っている人がいたら、一度考え直して欲しいですね。

“美徳” とは自分にストレスを溜め込み、我慢する人生を生きることなのか

とね。

僕はその発想自体が、美徳に対する冒涜だと思っています。

「美徳」とは、そんな何も根拠のない固定観念に対して使われていい言葉ではありません。

我慢したって人生はツラくなり、病んでいくだけです。

それが果たして美徳と言えるのか。

当然、そんなことはありませんよね。

日本は素晴らしい国ですが、

  • 他人への強要
  • 同調圧力による強制

が根強く残っている国でもあります。

それがよく働く面もあるかもしれませんが、それで体調やメンタルを崩してしまったら、元も子もありません。

我慢 = 美徳」?

こんな考え、『クソくらえ』ですね。

我慢することが美徳だというのならば、それは美徳という言葉に対する冒涜だ。人生を美しく生きるのに、無理して我慢することなんてあっていいはずがない。

わがままに生きていい理由

人間、そもそも生まれたことに対して意味を問う必要もありません。

ただただ産み落とされ、ただただ生きていくこと。

仏教的な考え方ですが、僕はこれが全てだと思っています。

だったら、わがままに生きていいんじゃない?

これは僕の友人からもらった言葉でした。

人間、基本的にわがままに生きたっていいのです。

  • 要らない忖度
  • ムダな人間関係
  • 何の意味もないルール

ここに「我慢」が発生しているから、人生はどんどん悪い方向へと向かっていってしまいます。

ここから脱却するには、

我慢なんてしなくていい。好き放題に生きるんだ!

と思えるかどうかがポイントですね。

日本だと、ルールや空気の読み合い、気遣いなど素晴らしい文化とは裏腹に、それらが人々を縛っているという側面も持ち合わせています。

我慢をしていますと、

  1. ストレスが溜まる
  2. 自分の人生を生きられない

といったデメリットを被ります。

当然、「ルールを破っていい」とか「倫理観なんてなくていい」と言っているわけではなくて笑、

ストレスの溜まる環境にいるなら、そこにはいないほうがいい

と言っているのです。

無理をして、

自分が我慢しなくちゃいけないんだ…

と、カッコつけて “美徳(笑)” を守っていますと、いつか潰れてしまうことでしょう。

我慢なんてしなくていいんです。

精神的あるいは肉体的にツラければやめたらいいですし、いけすかない人間がいたら離れたっていい。

いい意味で「わがまま(=あるがまま)」になること。

日本人は自分に厳しい人が多いですから、

好き勝手に生きよう

と思うくらいが、ちょうどいいのかもしれませんね。

生まれてきた意味なんてそもそもない。だったら好き勝手に生きてみよう。大丈夫。日本人は道徳もモラルもあるから、それくらいの感覚を持っていていいのだ。

自由に生きるために頑張ること

ただ、「我慢」にもいろんな種類があるということは、みなさんならわかると思います。

今日はスナックを食べないようにしよう
今日は勉強と運動をすることにしよう
今日はもうちょっと仕事のために頑張ろう

これらの「我慢」の質は、もっと別の次元にあります。

「ストレス」ではないのです。

定義もいろいろとあるでしょうけれど、個人的には「良性/悪性」のストレスがあると思っています。

「悪性」のものは、単純に自分が不愉快に思うことだと思っています。

ここで怖いのは、それを「良し」として受け入れてしまっている場合です。

つまり「ストレス」に気づいていない場合ですね。

そういう人が、突然消えたり、エネルギーを失ってしまいます。

こればかりは、

  • 自分自身で気づくか
  • 周りの人に気づかさせてもらうか

以外ありません。

ただ、そうならないように、事前にストレスチェックをしておくことは大切なことですね。

一方で、良性のストレスとは、

  • パフォーマンス向上に不可欠
  • 自分の成長(自己研鑽)のための修練

など、心地の良いストレスのことだと思っています。

僕もたまに「走りたくない時」なんて時がありますが笑、自分の体力向上のためにやっていますから、終わった後は、

やってよかった。スッキリした

と思うことしかないですね。

他の仕事に対しても、

もっと自由に近づくために

とか、

誰かのために貢献したいから

と思えるのであれば、それは「かかるべきストレス」なのだと思っています。

ここら辺をごっちゃにしますと、極端な発想になってしまいますからね。

時にストレスは必要ですが、いわゆる日本の伝統的な “我慢(笑)” を美徳と言うのであれば、それは、

悪性のストレスも体には必要だ

と言っているようなものです笑。

そんなわけがありません。

そうやって多くの人がストレスに悩まされ、命を絶ってしまったのですから。

  • 無理をして
  • 嫌な思いをして

我慢することなんて、何の美談/美徳でもありません。

ただ自分を傷つけ続け、その経験をもとに、

我慢している俺/私ってなんて可哀想なんだ

と、悲劇のヒーロー/ヒロインぶっているだけです。

自由に生きてゆくために、自分の成長のためにするような我慢なら良性ですが、ただストレスを抱え込む我慢は、ないほうがいいに決まっています。

日本にまだまだはびこる「我慢問題」。

もしまだ、嫌な思いをしてまででも我慢している人はイエローカード。

ちゃんと自分をケアし、心地よいストレスと共に生きていきましょう。

ストレスにもいろいろあるが、良性のものならいい。自由に近づくために不可欠な要素だからだ。ただ悪性のものは排除に徹すべき。気持ちのいい人生にしていこう。

おわりに

もしまだ、

我慢は美徳なんだ!

という人が周りにいましたら、そっと離れましょう笑。

ストレスで人生を台無しにしてしまうくらいなら、自由に生きたほうが健全です。

自分にとって何が適切なストレスなのかを判断し、「我慢し続ける人生」から脱却していきましょう。

それではまた!

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