こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、高校生の生徒さんと話す機会がありました。
細かいことは書けませんが、どうやら学校の勉強に行き詰まっていたようです。
という話から始まりましたが、結果的にその方を泣かせてしまうこととなりました。
さて、せいじは一体何をしてしまったのでしょうか。
今でも苦しむ子どもたちに向けて、僕らは何ができるのか。
考えていきたいと思います。
涙の理由
学校の勉強について早速お話を聞いたところ、
と言われました。
僕は先生でしたので、
と、根本から話を聞いてみました。
と聞いてみれば、「あまり勉強が得意ではない」という話がポツリポツリと出てきました。
中学、高校生だとよくある話ですが、
を、わかっていない生徒が非常に多いです。
かく言う僕も、
と信じ込んでいましたし笑、ただただ楽しくてやっていただけでした。
会社や将来のことなんて、一切考えてはいなかったのです。
それはある意味、多くの生徒とは「違う良さ」でもありましたけれど。
純粋に勉強を楽しんでいただけですからね。
ただし、この感覚がなく「やらされて勉強をしている生徒」に対しては、疑問を感じてしまいます。
義務教育である小中学校は仕方ないとしても、
と思ってしまうのです。
- 受験だって
- 部活だって
「自分がやりたくてやっているもの」であるべきなのに。
だから僕は、”根本から” 聞いてみることにしたのです。
と聞いてみたら、生徒さんが泣いてしまいました。
と聞き、その時間は終わりました。
保護者さんとも話しましたが、どうやら何かふっと緊張の糸が切れたようでした。
それだけ、自分の中で、
- 何が必要なのか
- なぜ勉強で追い込まれているのか
がわかっていなかったんですよね。
やりたくないものを、思考停止状態で続けていてはただの時間の浪費だからです。
それを問うてあげたことで、その生徒さんを縛っていた「何か」が外れたのかもしれませんね。
子どもたちの苦しみって?
僕が話して感じたことは、
ということでした。
難しいのは、どうしても日本の社会が(欧米ほどではないですが)学歴社会であるということです。
確かに勉強は大事なことですが、「机上での勉強」が全てを決めるわけでもありません。
ただ世の中の大人たちは、良くも悪くも「これが正しい」と思ったことを、悪気もなく押し付けてしまうフシがあります。
これでは、子どもたちが苦しむのも間違いありません。
純粋な子であればあるほど、
を考えずに、素直に従ってしまうからです。
時にそれが功を奏する時もありますが、
- 親の
- 大人の
エゴのもとに勉強をしているのであれば、それはもうその子の人生(=やりたいこと)ではありません。
当生徒は別に抑圧されて勉強をしていたわけではなかったのですが、そこに「なぜ?」を突きつけられたのが初めてだったのだと思います。
よく教育では「逃げ場を作ること」が大事だと言われています。
大人である教師たちが、子どもたちに正論を振りかざすのではなく、
- 考える余地
- クールダウンできる場所
を提供してあげるというものです。
大人たちは「縛っていた」なんて自覚がなくても、自然と生徒同士の縛りや教員や親からの見えない圧力で疲弊しているパターンもあります。
と教えるのも教育のうちの1つですが、やはり答えのない世界で、
「自分の頭を使って考えさせること」
はとても大切なことです。
そこに、
- 怠惰
- 思考停止
といった態度があるのであれば、
と、「逃げる余地」を与えておきながらも、考えて前に進ませることを促さなければなりません。
しかし、僕が経験した生徒さんのように、いろんな圧力を感じながら苦しんでいる生徒もいます。
だから「大人たちの振る舞い」って、とても大切なんですよね。
柔軟な大人や先生を
僕が果たして柔軟かと言われれば、実際はまぁそこまででもないでしょう笑。
ただ、その自覚が強かったからこそ、生徒たちに「これはこうなんだ」と押し付けることはありませんでした。
また自分が、
- 広い視野
- 柔軟な思考
が欲しかったために、
- 勉強
- 世界旅行
をした(している)のだと思います。
「いつまでも成長していない大人」から何を言われたって、僕が生徒だったら、
と思うと思います笑。
だから僕はいつまでも挑戦し続け、自分の経験値を増やしているのだと思います。
先生を終える直前には、
- 自己啓発系
- 健康に関する知識
- お金の勉強(使い方も)
などを取り入れることもさることながら、日本中のいろんなところを旅しては周りました。
そこで得た「実地経験」に敵うものはなくて、それだけでも視野が広がったと思っています。
これはあくまで持論ですが、
- 視野を広げると
- 考え方も柔軟になる
と思っています。
僕もそうであるように、どんなに歳を取っても、未熟な部分なんて誰にでもあります。
誰もが完璧ではないからこそ、みんな毎日学習して成長していくのです。
その経験が豊かであればあるほど、いろんな選択肢を子どもたちに示していくことができるようになります。
僕が学生だった時は、こうした「違う道」を教えてくれた大人たちはいませんでした。
もちろんいたのでしょうけれど、現代ほど多くはなかったですし、SNSもそこまで発展していませんでしたしね。
現代では、いろんな媒体から世界を知ることはできますが、まだまだ未熟な10代の子たちは、
- 何が正しいのか
- 自分が何をしたいのか
について迷っています。
それを示してあげられるような、そんな大人でいたいですよね。
と教えてあげるというよりは、自分自身でそれを体現し、自然とお手本になるような、そんな人間を目指しています。
僕はもう現場から身を引きましたが、いろんな場所で教育はできますし、だからこそ、
- SNS
- オンライン
などで英語を教え続けています。
その際に、英語以外の生き方や人としてのあり方についても、話せるようにすること。
まだまだ先は長いですね。
おわりに
ふと目にした、生徒さんの涙。
という固定観念にとらわれている生徒やお子さんは、まだまだ多いです。
実際に親御さんの立場ともなれば、
と、大変なこともあるでしょう。
でも大人や先生たちが柔軟に生きていれば、きっと生徒とたちもその姿を見てくれます。
だから日々、成長していきましょうね。
それではまた!
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