日常を一所懸命生きることを心がけること【特別な日だけじゃない】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、大阪に行きましたが、最近の僕はほとんど毎日ルーティンに沿って生きていまして、

  • 朝活する
  • 授業する
  • ブログ書く
  • 色々発信する
  • また授業する

の毎日です。

僕がちょいちょい遠出しているのを見ますと、

特別な日があるっていいなぁ

とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、僕は日常こそが大事だと思っています。

今日は「普段の日常をいかに大事にするか」について書いていきます。

「特別な日」が特別な日になるには、普段いかに自分が投資をしているか、だ。いつもやるべきことをきちんとこなしていこう。

日常で全力を出す

以前、日常についてはいくつか記事を書いたことがありました。

このブログを書き始めた3年以上前から、ほとんど休むことなく毎日を全力で走ってきました。

今でもその気持ちは大事にしていて、

いかに後悔のない人生を送るか

を考えています。

先日、大阪へ旅行をした時も、

確かに特別感があって、とても心地よかった

と思ったと同時に、今までちゃんと毎日を丁寧に過ごせたからこそ、いろんな人と会った時に、

  • 自分の意見が言えたり
  • 自分が取り組んでいることについて話せたり

するのだなと思いました。

もし毎日を一所懸命生きていなかったら、「人としての高み」で友人たちと会うことはできないからです。

一日の中で「休み時間」を作れば作るほど、自分には後悔の念が押し寄せてきてしまうのです。

後悔する前に…というかそんなことしないために、僕は今を生きなければ

今もそう思って生きているからこそ、たくさんの人に対してGIVEができたり、感謝されたりするのだと思っています。

僕の日常は、

  • 図書館
  • あるいはカフェ

ぐらいで、この埼玉の小さな街で完結しています笑。

そんな中でも、毎日を必死に生きるからこそ、

  1. 自己肯定感も上がり
  2. 友人と出会う時間を特別に思える

のです。

毎日を必死に生きていなければ、人と会った時に、

俺は一体、今まで何をしてたんだろ?

って思ってしまいますからね。

どんなに空いた時間でも、何かを生み出す努力をすること。

日常を全力で生きているからこそ、「特別な日」が浮き上がってくるんですよね。

日常を全力で生きる。だからこそ、人生は豊かになるし、特別な日が本当の意味で “特別な” 日になってゆくのだ。

特別な日を輝かせるためにすべきこと

思うに、特別な日を「特別たらしめること」とは、やはり日常の追い込みだと思っています。

僕が教員をしていた時は、

  1. 平日8時〜18時くらいまで全力で仕事をし
  2. 帰ってからサウナやカフェに行ってブログを書き
  3. 土日祝日を使って新しいところを散策するようにする

ということをしていました笑。

コロナ禍が過ぎますと、「友人との会食」のために動き回っていた覚えがあります。

その中でも必ず毎日の運動や勉強、読書を怠らなかったのは、

毎日を必死に生きるからこそ、人と会う時に誇りを持って出会うことができる

そう信じていたからでした。

  1. テレビやスマホを見ることをやめ
  2. ムダに過ごしていた時間をどんどん削っては

自己投資」するようになりました。

いろんな知識や経験を得ようと動き回って、読書をしていたあの経験があったからこそ、今の僕がいると思っています。

僕が今でもよく思っていることは、

1年間努力をしていなければ、来年に出会う時には何も変わっていないだろう

ということです。

今の僕が何か特別なことをしているのかと言われますと、正直何もしていません笑。

ただ、

  • 朝活
  • 授業
  • 言語学習
  • 定期的な運動
  • 友人との情報交換

などを考えますと、毎日何かしらを「がむしゃらにやっている」という行動自体は、ブログを始めて人生を変えようと思った頃から、何ら変わっていないことに気がつきました。

「いつでも全力だった」ということですね。

ただそれが意味するところは、

休むな
動き回っていれば勝ち

とか、そういうことではありません。

ある程度自分なりに「頑張ること」をすることであり、そこに成長が伴わなかったり、単なる自己満が過ぎている時であれば、“やっている風(ふう)” でしかないですからね。

頑張ることは大前提にあり、「そこに何を求めるか?」は自分なりに突き詰めておく必要があります。

以下では、僕が「意識していること」について触れていきます。

毎日をしっかりと生きることだ。それができないのであれば、特別な日も輝くことはない。

意識すべき日常の習慣とは?

じゃあ、その「追い込む」って何なのよ?

と聞かれそうですので、まず結論を申し上げますと、

成長すること

この一択なのかなと思っています。

僕は「まさに最近言語学習を始めた」みたいに思われているかもしれませんが、世界を周遊している時から、言語の勉強はしていました。

それは「成長したいから」という、その気持ち一択でした。

先生をしている時は英検やTOEICに挑戦はしたものの、どちらかというと「読書をした」という認識のほうが強く、

もっと学びたい

という姿勢がありましたね。

それはひとえに、友人たちと再会した時に、

またせいじはいろんな経験をし、いろんな観点を得たんだな

と思われるようにしたかったからです。

もちろんそれは、

誰かに認められたい

という他人軸ではなくて、

そういう人間でありたい

という、自分の内側から発される気持ちでした。

この意識がありますと、

今日は何を学ぶことができただろう?

と、常に自分の “成長” に対して目を向けることができます。

スポーツや勉強なんかは特にわかりやすいため、僕はいつでも「その2つ」を軸にしているのでしょうね笑。

また討論番組や情報番組をYouTubeで見つけては、Xでシェアするようにもなりました。

中には、

成長はないけれど、毎日頑張っています

こんな人もいるかと思います。

これも殊勝なことですが、やはり「成長すること」を意識して取り組んでいるほうが、「やらされてやっている」という感覚がなく、主体的な人生を送ることができるようになります。

まさに教員時代の前半は、

とりあえず毎日学校に出勤して、生徒たちと過ごせてハッピー

みたいにしか思えていませんでした笑。

その後若い同世代の奴らと飲みに行くというのがテンプレで、何も成長を遂げないまま、数年間が過ぎていきました。

頑張ってはいたものの、成長はしていなかったということですね。

いろんな生き方があっていいですから、

僕は/私はもっと「のほほん」と生きたいから、成長なんてしなくていいし、誰かに会った時に近況報告なんてしなくていい

こんな生き方もまた正解でしょう。

あとは自分がどうしたいか、じゃないですかね。

僕は常に成長をしていたいですし、「努力することによって見えてくる世界」もまた好きです。

  • 英語を話せるようになったことで見えた世界もあったし
  • 世界を回ってきたことでまた新たな視点を得ることもできた

と思っています。

仕事の中で見えた「新たな世界」も確かにありましたが、成長という意味では今のほうがもっと爆発的かつ笑、自分のペースでガンガン進むことができています。

  1. 日常で全力を出しつつ
  2. その中で成長を感じられるようにすること

これを意識して「一度しかない人生」を楽しむことができれば、僕は別に「成長すること/努力すること」が悪いことだとは思いませんけどね。

みなさんは、どう生きたいですか。

ただただ頑張ることも素晴らしいことだが、そこに成長を伴える生活のほうが楽しいと感じている。人それぞれ人生は一度きりだ。どう生きたいか、自分自身に問いかけてみよう。

おわりに

僕は大阪から帰ってきた瞬間に、

さ、授業と勉強をしなきゃな

と思いました。

大切なことは「特別な日」に甘んじないことです。

時にサウナに行ったり美術館に行ったりもしますが笑、やはりベースとなるのは日常です。

それがその人の「人となり」を作り上げるからですね。

今日もまた僕は、毎日こなすべきことをこなし、次に向けて頑張っていきたいと思っています。

それではまた!

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