こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、友人と会っていろんな話をしました。
そう言っていた友人に、僕は強く共感しました。
別に批判するつもりはないですし、何が正義とは言いませんが、
- 発信をやめている人
- 友人関係が悪化する人
- コミュニティから去る人
など、『続かない人』を僕はたくさん見てきました。
英語の学習においても同じであり、
と多くの人が言うことが、よくわかります。
今日は「やめること」について書いていきます。
やめてもいいけれど…
かく言う僕だって、公務員を9年続けた末に辞めていますし、以前やっていたマインドフルネスもやめています。
「続ける」にもいろんなものがありますから、何でもかんでも「やめなければいい」ということでもありません。
ただ、そこにある「気持ち」みたいなものはとても大事でして、
と判断してやめているのか、
と投げやりになってやめているのかでは、全く持って「質/意味」が違ってきます。
人それぞれ優先順位は違いますから、
- SNSに投稿することが正義でもないし
- 一人で生きてゆくことも悪いことではないし
- コミュニティに属し続けることが正義でもない
「続けること」は、決して正義に直結するとは言い切れません。
むしろ「続けること」が目的化してしまった時、
と勘違いを起こしてしまうこともあるからですね。
それでも僕は、
という印象を持っています。
例えば「X」なんかは、僕は10年以上前に始めていますが、今でも投稿しています。
他にもいろんなことを続けていますが、やはり「続かない人たち」はたくさんいました。
おっしゃる通り。
僕も「自分の続けてきたもの」だけに、フォーカスを当てているに過ぎません。
その中でやめてきたものもたくさんありますからね。
ただ、このブログを始めてからやめたことと言えば、
- 先生(公務員)
- マインドフルネス
くらいじゃないでしょうかね。(本当か?笑)
投資も筋トレもランニングも、投稿(発信)や各コミュニティでの活動も続いています。
自分が、
というものを続けていくことですね。
その結果が、今の僕に繋がっていると思っています。
広く浅くはあまり意味がない
僕が思うに、人間には限られたリソースがあるのだと思っています。
その中でやれることとは、当然のことながら「限られている」わけですよね。
だから自分のやりたいことを “広げすぎること” は、「リスクがあるのではないか?」と感じてしまうのです。
- 副業・起業
- SNSでの発信
- コミュニティへの参加
など、まずやってみることはめちゃくちゃ大事なのですが、ある程度の余裕やキャパがなければ、それは「見切り発車」となってしまいます。
ただ、
と言いたいわけでもありません。
そんなもの、やってみなければ分かりませんからね。
それでも僕が広く浅く、あまり手広くやらないのは、たぶん誰よりも自分のキャパ(限界値)をわかっているからなのだと思っています。
僕がダンスサークルにいた頃、学祭になると自分のジャンル以外のジャンルに出ている人たちがいました。
もちろんそれも人それぞれで自由なのですが、僕は友人と一緒になって決めていたことがありました。
それは、
という、ただその一点だったのです。
するとそのジャンルでの信頼が獲得できるだけでなくて、
- 誇り
- 経験
を、他の誰よりも得ることができました。
そんな自分と比べて、手広くやろうとして失敗してきた人を、僕は何人も見てきました。
それはひとえに、
だと思っています。
浅く広くいろんなことに挑戦することもまた、それはそれで素晴らしいことです。
でも裏を返せば、
というデメリットがあることは否定できません。
どちらが正しいということではありませんが、得てして「広く浅く」をモットーにしている人は、続きませんし、そのジャンルに対する「深さ」を得られることはありません。
だから基本的には、
- いろんなものに触れてもいいけれど
- ある程度の “モノ” を得るまでは、長く深くやる
必要があるということ。
僕は自分のキャパ内で、できる限り続けられることを続けていこうと思って、ものごとを始めてきたのでした。
結局は続けられるかどうか
このブログ自体もそうですが、「何かを続ける」ということがいかに難しいのかは、SNSや生活習慣、運動や人間関係を見ていたらよくわかります。
何度も言いますが、別に「やめること」を否定しているわけではありませんし、どんな形であれ始めてみること(挑戦してみること)は大事なことです。
と思うからこそ変化がありますし、付き合う人やら環境やら変わっていきますしね。
それでも「やっぱり多いなぁ」と思うのは、以下のような考え方です。
- 適当な思いつき
- みんなやってるからやってみる
- モチベーションが高いので取り組む
など「波」に任せている人や、その場の流れや雰囲気で始めている人が多いということ。
僕も時代の流れでXを始めたものでしたが笑、その都度、自分のことをよく分析するようには心がけていました。
他の例で言えば、
- 人に何かを教えたい
- 発信したいことがある
- 運動を続けて健康的でありたい
- 数言語を勉強して必ずしゃべれるようになりたい
など、自分のやりたいことや好きなことには、なんだかんだでフォーカスしていたのです。
自分の性格や性質をわかっていますと、
ということが、わかるようになってきます。
結果、続かなかったものと言えば笑、
- 水泳
- 楽器の練習
- 情報番組を追うこと
などでしたが、今でも「始めたい」とは思えていません。
「教育」について言えば、学校の先生をやめたものの、大学生の19歳の頃から今まで15年以上も続いています。
それだけ好きだということです。
僕の言いたいことは、
ということではなくて、
- 自分は一体何が好きで
- いつまでも深く掘ることが何で
- 一生続けられるようなものは何なんだ?
と、自問自答しておくということです。
僕は適当に始めたものは続きませんでしたが、器械体操は結局ダンスや筋トレにつながり、書くことが好きだったことは、Xやインスタ、ブログやYouTubeへと繋がっていきました。
現在の多言語学習においても、英語が発端になっていることは間違いありません。
逆説的ですが、だからこそ「一点突破」なのです。
自然と「深さのあるもの」から、いろんな糸口が見えてくるもの。
ただ、それだけのことだったのですね。
おわりに
「続かない」ことに関して書くことは、ちょっと複雑な気持ちです。
やめることそれ自体が、悪ではないからです。
でも、こうしていろんなプラットフォームやコミュニティを見てきた僕からしますと、
と思う毎日です。
「続けられるもの」に出会えた人は、ラッキーなのだと思います。
僕もそのうちの一人です。
そんな「好きなこと」が見つかりましたら、あとはそれを一生続けていきましょうね。
それではまた!
コメント