怯えてないで次の世代と協調していくこと【若者たちの前を走れ!】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

最近、ちょくちょくAbema TVを見ているのですが、まぁ上の世代の政治家たちの「人の話を聞いてないこと」と言ったら酷いものです笑。

こういう討論番組を見ていますと、いかに上の人たちが「今のポジションからどきたくないのか」がわかります。

成田悠輔さんがシンプルな疑問をなげかけているように、多くの人が、

なんで政治家の50〜70代の人って、どきたがらないのですか?

と思っているかと思っています。

今日は「怯えていないで席を譲ること」について書いていきます。

上の世代がしっかりとできないのならば、優秀な次の世代にバトンを渡していこう。それか頑張り続けるのだ。

動けない理由は怯えている証拠

先日、こんな動画を見ていました。

いわゆる上の世代の多くの政治家たちは、自分のポジションが揺らぐことを非常に恐れています。

僕が公務員(=高校教員)をやっていた時も、管理職の人たちは似たような人たちが多かったものでした。

もちろん、「みんながみんなそうだ」と一括りにするつもりはありませんが、やはりどこか「体裁」をいつも気にしているようで、いわゆる僕の嫌いな「上司にヘコヘコ」という姿勢が見られて吐き気がしたものでした。

上の世代を尊敬することは純粋に良いことですが、

  • 年齢が上だから
  • ポジションが上だから

と言って、偉そうにするのは僕は違うと思っています。

それが日本のよろしくない「年功序列」という社会であり、そこに甘んじた年長者たちが、多くの若者たちをダメにしてきました。

この社会秩序がある限り、上の人はなんとしてもどきたくないんですよね。

「どきたくない → 下手なことは言わずに手堅くいきたい → 余計なことは言わない/やらない」

このような構造ができるからこそ、政治家やお役所仕事のいわゆる “上の” 人たちは、保守的になり思い切ったことができません。

彼らが全て悪いわけではなく、日本の悪しき伝統文化が残っていることもまた、

  • 彼らの革新的行動を抑制し
  • 彼らのポジションへの執着を助長して

いるのだと思っています。

結局は「何か言われること」に対してビビっているということ。

生徒の前では偉そうにしているのに、保護者の前ではヘコヘコしている先生もたくさんいましたね。

それは自分の職(=名声)を失うのが怖いからです。

上の人たちがどかないのも、

なんとかしがみついていたい

という気持ちが強いからなのかなと。

その気持ちはわからないでもないですが、それでもやはり取り繕う人にはなりたくないですね。

ポジションを捨てたくないのは、それを失うのが怖くて仕方ないからだ。

できないのならばバトンを渡せ

公務員という肩書きを捨てた僕は、34歳になって「リーター/無職」となりました笑。

昔の僕だったら、それが怖くて怖くて仕方なかったと思います。

今となっては肩書きもなくなり、本当の意味で自由であって、何者でもなくなったようなそんな気がしています。

僕も公務員としてあと何年も働いてもよかったのですが、仮に僕が「優秀な人材」となったとしても、公立高校の制度やシステムを抜本的に変えることは難しかったと思っています。

政治家や公務員の上の方の人たちは、もしうまく回せないのならば(例えそうでなくても)、

  • 若者とコラボしたり
  • 次の世代にバトンを渡したり

して、若い世代との協調を図っていかなければなりません。

そこに理解がない限り、

あいつらはずっと上にいすわっている老害

としか思われなくなってしまいます。

しかも旧態依然としていたら、若者たちからすれば、

  1. 何もしない割に
  2. ずっとどかなくて
  3. 権力ばかり振りかざしている

というしょうもないイメージしか残りません笑。

それでいいのならばいいのですが。

未来を担うリーダーとしての気質があるのならば、自分の身を切ってでも新しい企画にチャレンジしたり、変革を起こすために身を乗り出す勢いで、改革に着手していかなければなりません。

ある意味これは、自戒の念の意味も込めてあります笑。

僕は上にいすわってふんぞり返っている人がキライです。

それは、僕も「同じように見えてしまう可能性」があるということ。

どんどんアタックをかけて、

こうやって変えていくんだ

という姿勢を見せていかなければなりませんよね。

それこそ「せいじは口だけ」と言われてしまいかねませんから。

そう言われるのがイヤなのではなくて、「そういう自分であること」がイヤなのです。

僕がやったことなんて、

  1. 公務員を辞めて
  2. 世界一周をした

という、ただそれくらいのことだけです。

僕が何もできなくなった時(=行動しなくなった時)は、バトンを渡す時。

でも僕はそうしたくない。

それは「ポジションを譲りたくない」という意味ではありません。(そもそもポジションがない笑)

そうしないために、全力で走り抜くことが、若い世代に向けてできる最大限のことだと思うのです。

あるいは、今一所懸命走っている若い世代たちとともに走ること。

できないなら退くこと。

一所懸命に、前を走ることが必要なのです。

ただただ何もせずに上にいすわることはやめにしよう。前に立つリーダーたちほど、身を切っていこう。

大人たちから変わっていこう

僕は若者たちが大好きな一方で、そこに依存することは違うと思っています。

政治家の中には、

今の若者が頑張れ

と語る人もいますが、論外です笑。

まずお前が頑張れ

と。

頑張っている人ほど、そんな言葉を発することはありません。

自分がなんとかするんだ

という責任感があるからです。

言い訳ばかりしてないで、「自分にできることは何か」と探って社会のために頑張ること。

僕もまだ動き始めたばかりですが、それを目指して思考を行動に移すようにしています。

こんな偉そうに言っている僕が一番頑張るべきであり、僕ら大人たちが若者の誰よりも頑張って、社会を引っ張っていかなければなりませんよね。

大切なのは、どこかのポジションに甘んじることではなく、時代の変化を受け入れて自ら発信をしていくことです。

政治家なんて、それだけ発信力があるのですから、逆に「他のポジション」に身を移しても良さそうな気もしますけどね。

もちろん、そんな単純なことではないのかもしれませんが、僕はこうして公務員という「ポジション」を捨て去ることにしました。

だからこそ見えてくる世界もあって、自由に発信できる立場になることもできました。(公務員時代から発信していましたが笑)

ポジションや肩書きなんていくらあったって、それは他人に依存している証拠です。

僕も公務員という立場にいることで、「守られた」ポジションにいましたからね。

多くの記事で書いてきましたが、決して「そこにいること」自体を否定しているわけではありません。

ただし、

  • その中で頑張れているのか
  • その中ではもうこれ以上頑張れないのか

など、自問自答することです。

どこかで甘んじている自分、納得していない自分がいるならば、伸び代は無限大です。

僕もまだまだこれから。

どこかにしがみついて依存するのではなく、自分の足で立って生きていくのです。

今の大人たちが一番頑張るのだ。若者たちに頼ってばかりいるんじゃない。

おわりに

ポジションどりとは、決して「醜い争い」を指しているのではありません。

僕が言いたいのは、シンプルに「いや、もっと頑張れよ笑」ということ。

それは僕自身にも跳ね返ってくる言葉でもあります。

ただ、大切なのはポジションがどうのこうのではないということ。

もっと僕ら大人にできることは、たくさんたくさんあるはずなのです。

いすわることは安定しているから、安心することでしょう。

でも僕は、

それは違う

と感じるようになり、早期退職しました。

もっともっと頑張れる。僕にはもっとやるべきことがある

そう思っているのです。

今は「自分のやりたいこと」に向かってワクワクしていて、本当に楽しい毎日です。

2月からはまたたくさん話が舞い込んできますので、もっと忙しくなりそうです。

でもそうやって頑張ることが、今の僕にできること。

行動で示していきましょう。

それではまた!

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