常に応援できる人がいると毎日が楽しくなる理由【僕の推しは誰?】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

以前にも「推し」について書いたことがありました。

この記事で僕は、

頑張る人を応援したい

と書いていまして、それは今でも変わっていません。

やっぱり、誰かを応援できるって素晴らしいことだな

そんな思いを持っていたからなのか、「推しのいる生徒さん」と話していますと、

こっちまで幸せになってくる!

と思えてしまいます。

今日も改めて「推し」について書いていきます。

推しがいると楽しめる。僕にとっての推しは生徒さんたちであり、頑張る人たちなのだ。

推せる人がいると楽しい

僕は基本的に推しはいませんが、先日見たM-1(漫才の日本一決定戦)で出ていました「エバース」さんが大好きになり、毎日のようにネタを見ています。

やっぱり「応援できる人」がいると楽しいものです。

漫才は昔から好きでしたが、スポーツ全般もとても好きでして、

  • 陸上
  • バスケ
  • ダンス
  • サッカー
  • ラグビー
  • 器械体操
  • バドミントン

など、あらゆる競技で頑張っている人を応援するのが好きです。

部活動のあり方については反対してはいるものの、教員をやっていた時代はとにかく「部活を頑張っている子どもたち」が輝いて見えたものでした。

先日お話しした生徒さんを見てもわかるように、

なるほど。推せる人がいるってめちゃくちゃ楽しいんだな

と思いました。

アイドルなんかは典型的な例ですが、応援されることで彼らも生計を立てることができますし、彼らの活動の幅が広がれば広がるほど、応援する側も見るコンテンツが増えて嬉しいものです。

ここで大事なのは、「お互いに頑張る」ということです。

アイドルに限らず、みなさんのお仕事やサービスも、実は「推し活」のようなものです。

自分の仕事を必要としてくれる人がいるからこそ、お客さんがいるわけですからね。

みなさんが普段支払っているお金も、

自分が好きなものにお金を払いたい

と思って、差し出しているはずだからです。

僕がいつも書いているように、僕がサウナやコーヒーに投資するのはそのためです。

ただ、投資するためにはお金を稼がなければなりません。

だからある意味では、お互いが一所懸命頑張ることで伸びてゆくことができる「プラスサム・ゲーム」を表しているとも言えます。

お金は使うことで価値が生まれますから、そうしたところにお金を投資できることは素晴らしいことだと思います。

推せる人(あるいはサービス)がいることは、経済的にも健康的なのですね。

推せる人がいることは、とてもいいことだ。それは人でなくてもいいし、自分が普段支払っているものを考えてみるといいだろう。

聞いているほうも幸せになる

僕が生徒さんたちと彼らの「推し」について話していますと、実は僕自身もとても嬉しくなります。

シンプルに、「推し」についてしゃべっている人はとても幸せそうだからです。

この前、こんなイベントに出ることができてね!
実際に握手までして、サインももらっちゃった!

ひと昔前であれば、こういう人たちは「ただのファン」として認識されており、

  • 暇なんだろうなぁ
  • よくそんなお金あるなぁ

と、揶揄(やゆ)されていたこともありました。

現代は、自分の好きな人(=応援したい人)に対してお金を投じることは、何もヘンなことではなくなりました。

子どもへの教育費なんかも「投資」といわれる時代ですから(言い方は難しいですけど便宜上)、「好きな人にお金を投じていくこと」は不思議なことではありません。

こうして「推し活」をしている人がなぜ輝いているかと考えた時、ある一種の「人生の楽しみ方」なのだなぁと思いました。

もちろん、推しがいないことを否定しているわけではなくて、推しがいればその分、心のオアシスと言いますか、

この人も頑張っているし、自分もまた頑張ろう

と思えると思うのです。

そんな「推しの話」を聞いている側も、「興味ないわ」ではなくて、

うんうん、それで?

と聞くようにしますと、そこから、

  • なぜその人のことが好きなのか
  • なぜそのサービスを使い続けているのか

などがわかるようになってきます。

僕は、生徒さんたちが嬉しそうに話をするのを聞いていますが、だからと言って同じようなファンになることはできません。

ただ、そこから得られる「その界隈での事情」や「おおまかな概要」を捉えることはできます。

聞いている側も勉強になるということですね。

だから僕は、推しがいる人のその情熱に耳を傾けることで、いろんな情報を入手することができるのです。

推し活をしている人を見ているだけで、こちらもハッピーになる。またそこから得られる情報も有益なものが多いのだ。

みんなを応援したい男

以前の記事でもちょこちょこ書いていましたが、僕は「頑張る人」が大好きです。

年も年…ということもありますが笑、若い人たちには特に未来がありますので、子どもたちには贔屓(ひいき)をしてしまいます笑。

もちろん、大人になっても挑戦し続けている人は好きですね。

以前の記事で書いたことをすっかり忘れていた僕は、先日も、

先生は推しっていないんですか?

と聞かれてしまい、

うーん…強いて言うなら生徒さんたちかな?

と言ってしまいました笑。

驚くべきことに、自分の書いた記事を見返してみれば、以前していた回答と全く同じだったのです。

それぐらい、僕の中では「教育事業に関わること」が生きがいであって、僕がお金を払っているわけではないものの(むしろ頂いている側ですが)、どうしても生徒さんたちを「推したく」なってしまうということがわかりました笑。

「応援する」という意味では、みなさんのやっている「推し活」とほとんど変わりません。

もちろん、「特定の生徒を教える」ということではありませんが、それだけ「頑張る人を応援したい」という気持ちは溢れています。

毎日授業をするのも、推し活(に近いこと)をしたいからとも言えますね。

人間、求められていると嬉しいものですし、

その気持ちに応えたい

とも思うものです。

ある意味、僕の授業を取ってくれる人は僕を「推してくれている」(のかな?)とも捉えられますが、僕からすれば、

来てくれてありがとう

という気持ちのほうが強いです。

それくらい、彼らの英語学習をサポートしてあげたいですし、なんなら推し活の話とか困っていることとかまで、なんでも聞いてあげたいと思ってしまいます。

そのためにすべき大事なこととは、先述したように “僕自身も” 頑張ることなんですよね。

推し活のいいところでもあり難しいところでもあるのは、ちゃんとお互いに頑張ることです。

僕自身もずっと応援できるように、そして応援されるように、頑張らなきゃな

とね。

みなさんたち(の仕事やサービス)を応援してくれている人も、必ずそばにいます。

その人たちのためにも、「推される側」だと思って頑張ることが、また大事なことなんですよね。

僕は頑張っている人も応援したい。でも同時にそれは、自分自身が頑張ることでもあるのだ。

おわりに

誰かを応援できることはとても良いことです。

その人自身も輝いてきますし、「よし、頑張ろう」と思えるからです。

またよく考えて欲しいことは、みなさん自身も「推される側」であるということ。

すると自然と「頑張らなきゃ」と思えますからね。

そう思って、今日も推し活を楽しんでいきましょう。

それではまた!

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