昔と違って変わった頑張り方について【一所懸命頑張る人になるには?】

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こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、M-1グランプリ 2024を見ました。

僕は昔からお笑いが好きで、学生時代に見たサンドウィッチマンを皮切りに、

こうやってボケたら、その場が面白くなるんだろうな

と、中高生ながらに「お笑い」について考えていたものでした。

今でもお笑い芸人の人たちは面白いですが、昔で言うところの、

  • 体を張る
  • バカをやる

だけではなく、それぞれの良さを生かしながら、お笑いに昇華していて、少し時代が変わっているようです。

今日は漫才から学んだ、「いろんな頑張り方」について書いていきます。

「頑張り方」は変わっている。しかし根本には泥臭さや年月が必要だ。

お笑いのショーレースから学ぶこと

以前であれば、

お笑い?あれってとりあえずバカやればいいんでしょ?

という空気感がありました。

もしかしたらそうではなかったのかもしれませんが、少なくとも一般の人からすれば、「学校での人気者」がやるような感覚はありましたよね。

先日見たM-1では、

とにかくレベルが高い
頭のいい漫才が増えてきている

というようなコメントがあり、

なるほど

とは思いました。

それに対する批判もあって、

昔はもっとシンプルでバカなお笑いが多かった

というコメントもありました。

僕の個人的な立場から言えば、

それは時代によるのだと思う

というのが率直な感想です。

お笑いに限らず、世間ではSNSが盛んとなり、個人が有名になれる時代となりました。

だからお笑いにもいろんな要素が加わってきて、

単にバカをやっている人を見ているだけじゃ、笑えない

という人が増えてきているのだと思っています。

みんな「やっている」のです。

だから彼ら芸人たちも、

  1. いろんなソースから情報を得て
  2. 必死に二人でネタ合わせをして

いろんなショーレースに出ているのだと思います。

僕らは、彼らのネタから “現代人の笑い” について学べるだけでなく、

相当場数を経験し、練習してきたんだろうな…

と、同時に彼らの努力を知ることができます。

これは以前ではわからなかったこと、あるいは「見えづらかったこと」でした。

  • 言語でも
  • スポーツでも
  • YouTuberでも
  • eスポーツ選手でも

なんでも、ある意味「ちょっとした運」だけでは勝ち上がれないのだと、誰もがわかるようになったということですね。

僕は毎年、M-1を見るたびに、

こうした舞台に立てる人は、本当にすごい

と、心から感心しています。

お笑いの見方が、学生時代と変わった。それだけ頑張る人たちの「本当の頑張り」が見えるようになったからだ。

昔と変わった価値観

以前と違い、お笑いに限らずいろんな場所で、いろんな価値観が注目されるようになりました。

だから先ほどの、

バカやってるやつがショーレースで勝てなくなってる

という意見についても、僕は「そうかな?」という印象を持っています。

「現代だから売れない」という言葉を使いたいくはありませんが、それだけみんなが様々な価値観に触れる機会を得たと思うからです。

現代は、

  1. バカをやっているやつなんていくらでもいるし
  2. しかも素人とプロのギャップがなくなってきている

という状況ですからね。

“インフルエンサー” が増えてきたのも、そのためですね。

彼らが芸人さんや芸能人たちほどオーラがないのは、もともとは「一般的な人だったから」なのかもしれません。

しかし彼らの台頭のおかげで、いろんな人にスポットが当たる時代となりました。

だからこそ「多様な価値観」の中で、

どうバカをやっていくのか?

と必死に考えることが、「バカをやってでも売れたい人」には必要なわけです。

単純に面白くなければ見られませんし、

それ見たことあるわ

となってもダメなわけです。

僕の「英語講師」としてのあり方も “同じ” ですね。

「英語を教えられる人」なんてごまんといるからです。

差別化する必要もありますし、

どうやって自分は英語教育に携わっていきたいのか?

という軸を持つ必要もあります。

以前と違って、

  • オンラインで教えてほしい
  • 格安で多くの先生と話したい
  • 優しいだけでなくちゃんと教えてほしい

など、求められるニーズも多様化してきました。

いえ、本来は「昔からあった」と言うべきですね。

  • ニッチであろうと
  • 大多数であろうと

僕らは「どこかに刺さるもの」を提供する必要がありますし、実際にそれをすることができます。

こんな僕でも、

  • 今でも大好きな教育に携わり
  • いろんな人に英語を教えること

ができています。

多様な価値観の中で、「自分が輝くためにできること」は多々あります。

それぞれのベストを尽くしていきましょう。

「シンプルな笑いが売れなくなって残念だ」という言葉はネガティブだ。価値観の多様化が浮き彫りになったのだから、それに合わせて頑張ればいいだけだ。

現代の頑張り方

現代では、素人から有名人になることができます。

これは決して、「簡単に」という意味ではありません。

とにかく「頑張る」という意味では、昔となんら変わりありませんからね。

ただ、アプローチの仕方が変わってきたことは間違いなくて、

いろんなプラットフォームやチャンネルがありすぎて、どこでもなんでもできるようになった

と言うほうが、もう少し適切なのだと思います。

言ってしまえば、現代だって「頑張らざるを得ない」ことは間違いありませんが、昔に比べると「表現できる場」が増えたのだとは思っています。

だからこそ、僕もこうして仕事をすることができていますし、交わるはずもなかった人に英語を教えたり、人生や仕事について語ることができたりしています。

じゃあ現代では何が大事なのだろう?

ここで、M-1というお笑いショーレースから学んだことは、

やっぱり何年も頑張ること

でした。

シンプルですよね笑。

長ければいいというわけではありませんが、どのコンビだってとにかく数年単位でお笑いに励んでいます。

それを見てから僕が、「適当にやればいいだろ?」と言うことなんてできません。

頑張っていれば誰かが見てくれている…

これはある程度間違いのないことではありますが、逆の立場になってみればわかる通り、みんな他の人に構っている余裕なんてありません。

  1. 必要とされるところに
  2. 適切にサービスを提供すること

が大事であって、多様化された現代だからこそ、頑張りながらもニッチなところにでもいいので、サービスを届けることですね。

それにだって時間がかかるでしょうし、何年もかけて地盤を醸成してゆくことが必要です。

それなら、僕だって適当にやっている場合ではないだろ

そう思うわけですね。

  • 昔だろうと今だろうと
  • アプローチの仕方が変わろうと

ただひたすらに「頑張ること」は大事なことです。

そこには「適切な方法」「効率的な方法」もあるのかもしれませんが、量が大事であることもまた間違いではないのです。

  1. やり方を変えながらも
  2. がむしゃらにできることをする

なんとも答えらしい答えでなくて恐縮なのですが笑、ある意味シンプルなのかなとは思っています。

だから僕は今日も、いつも通り頑張り続けていこうと思うのです。

現代では多少なりともアプローチ方法は違うかもしれない。しかしやるべきことはシンプルであり、何年もかけて醸成してゆく必要がある。

おわりに

昔は「お笑い」を何か別の感覚で見ていましたが、芸術的でクリエイティブである以上に、努力も必要なのだなと思っています。

何年もかけて掴んだ勝利なら、それは素晴らしいことだ

と、純粋に思いますね。

僕も負けじと、いろんなことを何年もかけてやっていこうと思っています。

それではまた!

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