日本の部活動がなくなってゆくことに対して【元教師の率直な意見】

雑談

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

オンラインで英語を教えていますと、生徒さんの中には何人も学生さんがいらっしゃいます。

よく部活動の話にもなりますが、僕はそもそも部活動にはあまり好意を示していない部類の人間です笑。(おい)

別に部活だけが諸悪の根源ではありませんし、みなさんの中にも、

自分の青春時代にあった、あの部活動がなくなっていくなんてなんだか寂しいな…

と思っている人もいるかもしれません。

しかし一方で、

ほんと先生ってすげーんだなぁ

と、「部活動の大変さ/理不尽さ」について語ってくれる大人も増えました。

今日は改めて「部活動のあり方」について考えていきます。

部活動があること自体が、そもそも不思議なことだと思うべきだ。あったものがなくなったら悲しむだろうが、先生があえて教える部活動とは、実はなくてもいいものなのだ。

そもそも教員たちが教える意味

僕が初任校に勤務が決まった時は、 “たまたま” ダンス部がありました。

後述しますが、僕は部活動のあり方それ自体を否定しているわけではありません。

以前にも書いた通り、

  • 部活動から得られた経験
  • 生徒との信頼関係の構築

などは、かけがえのない時間でした。

それでも僕が客観的に見て「どちらかというと不要」だと思うのには、論理的なプロセスがないからです。

理由をあげれば切りがないのですが、まず先生たち自身が、

  • そもそも素人
  • 授業や学校運営が主な仕事
  • 経験者だが教えるライセンスはない

という、極めて「適当な」存在です笑。

僕もダンス部顧問としてやらせてもらいましたが、プロ集団から見たら、

どこの馬の骨がダンスを教えているんだ?

となることでしょう。

いや、だからこそ無償(低賃金)なんだろ?

と言う人がいるのですが、待ってください笑。

だったら、やる必要ありませんよね。

  • 先生はガチャだし
  • そもそも給料にほぼ反映されない

これは、先生たちの好意(というか義務笑)で成り立っているのです。

自分でビジネスを始めてみてわかりましたが、ボランティアとは長続きません。

自分がスポーツを教えたい

と勘違いしている先生からしたら “いい活動” なのかもしれませんが、自分の教えたい部活があるかどうかもランダムですし、

お前の仕事は部活じゃねぇだろ!

と、税金を払っている市民たちからも怒られます。

親としても「部活動があったらいい」という声も聞きますが、やはり悪く捉えれば、

他の習い事のようにお金を払いたくないから、部活動があるならやって欲しい

とも取れます。

一方で、「なければない」で保護者の方々も文句を言うことはできません。

だってそこにあてがわれるお金なんて、ほとんどないのですから。

仮に高額の手当てが出たとしても、

え?専門ではない人なのに、なんでそこにお金が出るの?

と、また逆に反発が生まれませんかね。(要はみんな自分の都合のいいようになって欲しいだけ)

こうした論理的なプロセスの崩壊から、僕は部活動のあり方に違和感を覚えているのです。

教員たちが専門でもないのに部活動を教えていることに、違和感を覚えている人も多数いる。あり方を見直す必要があるのだ。

本来はお金を払ってやるべきもの

先ほどの保護者の話や、部活動顧問にあてがわれる給料の話などを鑑みますと、

  • 芸術活動
  • スポーツ活動

などには「多大なお金がかかること」が大前提となってきます。

何度も言いますが、部活動はその部分を(無理やり笑)クリアしているがために、まかり通っている活動です。

みなさんも、

ダンスや水泳を習わせたい。英語や絵画を習わせたい

と思ったら、小学生のお子さんであれば部活動がないからこそ、教室に通わせますよね。

もちろん、お金を払って。

それは差別だ!格差ができてしまうから部活動みたいなものがあったほうがいいんだ!

と言う人もいますが、まずは顧問をやってみてください笑。

しんどくて「こんなものやってられるか!」と言うことでしょう。(僕はラッキーなだけでした)

教育や体験に格差ができることは、当然のことなのです。

それをクリアしているのが「義務教育」なのであり(先生もちゃんと資格を持っている)、そもそも余力のある人ができる活動が部活動などの芸術活動の領域なのです。

それを是正したい

と言うのであれば、そういう “体制” を作る必要があります。

だからこそ、

地域の人に入ってもらおう

という動きが出てきて、中学校の部活動は「地域の人(外部人材)」へと移行していくのです。

  1. ある程度専門性のある人がきて
  2. そこにある程度の対価が支払われる

この構図が、いわゆるユースのチームやクラブチームなわけですよね。

運動による進学の機会を得られなくなる子どもたち(スポーツ推薦など)も増えるという懸念がありますが、そもそも「学校で手厚くやること」ではないということ。

そこにずっと甘んじていたからこそ、こうして先生たちから不満が爆発し、

もう無理だ…

と言われてしまったのですね。

スポーツ推薦などにおいて、「部活があったからよかった」と言えるのは一部の人のみです。

学校以外の機関が「部活に値するような活動」を作るほうが、

  1. よっぽど専門性も担保されるし
  2. ちゃんとした支払いも行われる

のだと思っています。

スポーツにおける「平等性の担保」は、学校が行うべきことではない。然るべき機関が専門性と給与を担保した上で、子どもたちに機会を提供してあげるのだ。

いい面もあるけれど

何度もお伝えしている通り、部活動にはいい面もあります。

僕自身もその恩恵に預かってきた人間ですし、その「良さ」も十分知っています。

でもこれはいつもお伝えしている通り、

たまたまダンス部顧問だったからよかった

のであって、他の関係のない部活だったら、そこまでのめり込むことはできなかったことでしょう。

やはり “もう一方の側面” を見ることは大事でして、

  • お子さんのいる教員
  • 全く関係のない部活を見る教員

からしたら、

なぜ自分の専門業務(教科や学校運営)以外で、こんなことをやらなければならないのか?

と思うことでしょう。

これはとにかく「やってみたらわかる」と思います笑。

なんであるんだ、これ?

と。

昨今の保護者や若者たちから意見をいただけるように、

学校の顧問って、当たり前じゃないんだなぁ。感謝しなくちゃ

と気づいてくれている人の方が圧倒的に多いです。

みんな「都合のいいところ」だけを切り取るから、

部活動は青春だ

とか、

運動の才能を見出す機会を得られるのだ

とか言い始めるのです。

  • 自分の監督したい部活動がなかったら?
  • 専門性のない人に多額の税金が払われていたら?

だからこそ、お金を投じることのできる私立が強くなってゆくことは当然のことであり、甲子園なんてみればすでに「格差」が生まれているのは事実です。

先生たちのボランティアで成り立っているものは是正する必要がありますし、仮に教員が「やってもいい」というものであれば百歩譲ってやらせたらいいですが、やりたくない教員に無理に押し付けることはできません。

つまり、

  • 割を食っている教員もいる
  • 納得していない保護者(お金がかかるからやめてほしい)もいる

といったことを忘れてはいけないということですね。

健全な形であれば、僕は素晴らしい活動だと思っています。

しかし「いい面」ばかりに甘えて、

あったほうが助かるのに!

というのは、一個人の都合のいい意見なのです。

そこにかかる人件費やコスト、教育的な意味を鑑みた上で、

これって本当に必要なのかな?

と考えることが大事ですね。

部活動それ自体は素晴らしいものだ。しかしその裏に理不尽なことが起きていることも知っておかなければならない。今一度、そのあり方について考えておこう。

おわりに

部活動については、散々書いてきました。

やはり、そもそも論として何かがおかしかったのだと思っています。

それにいち早く気づき、変えることができるかどうかは、国や県、市などの政策にかかっています。

ただでさえ教員不足な上に、私立高校無償化だの言い始めたら、本当に公立の高校は無くなってゆくことでしょう。

どう改善してゆくのがいいのか。

改めて議論していかなければなりませんね。

それではまた!

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