こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
僕みたいに真面目に生きてきた人間からしますと(本当か?)、
とか、
と言う話には、結構顔をしかめてしまいます。
当然、そんな話も大好きですし、「人生大逆転した!」という話に対して「嫌悪感」を示しているわけではありません笑。
ただいつも思うのは、

ということ。
今日は「毎日地道に頑張っている人」を応援しようと思います。
頑張ることはいいこと
大前提として、先述した通り「頑張って更生すること」を否定しているわけではありません。
ただ、それをピックアップして大々的に掲げることは、僕はいかがなものかと思うのです。
どうしてそういうことが起こるのでしょうか。
それは、そうしたストーリーそのものが「キャッチーであること」と同時に、人々が、
と思っているからでもある、と思っています。
そうした、
- 大逆転劇
- 劇的!Before&After
を見れば、何かこう “希望の光” が見えそうな気もしますしね。
僕は別に、

という、単純な意見を言っているわけではありませんし、何度も言いますが「頑張ること」それ自体はとてもいいことです。
誰にだって失敗はありますし、そこから更生したり逆転したりすることは大変なことでしょう。(僕自身もたくさん失敗してきましたしね)
しかし、

ということは言いたいですね。
頑張ることはいいことです。
でも、
- 非行に走っていた時間
- 人に迷惑をかけてた時間
- 頑張りきれていなかった時間
は、もう戻ってきません。
かと言って、「過去を許すな」ということでもないですけれど。
僕は寛容なほうですし、その人の過去になんて興味はありません。
ただ、
という部分にだけ、スポットライトを当ててしまうのはまた別の話じゃないのかなと。
ここら辺を切り分けて考える必要があるのかなと、僕はそう思っています。
恒久的に頑張る必要がある
僕は僕自身が勉強を頑張ってきたから、こういうことを言うのではありません。

こんな風に言ってしまったら笑、やっていることは変わりません。(タイトルには「偉い」と付けましたが笑)
僕が今でも思うのが、

ということ。
みんな、
- キャッチーで
- センセーショナルなこと
ばかりを求めていないか、ということです。
ニュースやゴシップも、それに近いと思っています。

と。
最近は僕も、政治関連のニュースや討論番組をたくさん見ていますが、芸能人のニュースやくだらないゴシップには変わらずに興味がありません。
あまのじゃくでもあるのですが笑、「バズること」に対しては何かしらの違和感があるのは、昔からですね。

と。
底辺から大成功を収めたり、地元でワルだったやつが更生したり。
それはそれで素晴らしいとは思うのですが、

と思うのです。
その「ギャップ」に、心が揺さぶられているだけなのではないかって。
毎日積み上げて働いている人々が世の中にいるわけですし、まるで「普通に頑張り続けている人」が間違っているみたいなことも、僕は考えたくありません。
本当にそうでしょうか。
そういう “キャッチーな話” に飛びついている人に対して僕は、

と疑問を投げかけたくなります。
もちろん、その人の思う「本当のところ」なんてわかりませんし、僕だってそういった類の「逆転人生」の話を聞いたり、本を読んだりすることもあります。
大切なのは、
と思わないこと。
「バズる」にしても、その人なりに努力したのでしょうけれど、大事なのはその前後もずっと継続してやり続けているかどうかということです。
僕が「継続の鬼」だから、自分を正当化したくて言うのではありません。
そうやって頑張っている人たちがいることを、僕らは知らなければならないですし、そうした「シンデレラ・ストーリー」的なものには、いい意味で「冷めた目」を持っておくべきだと思います。
くらいで思っておいて、その人の努力を認めた上で、自分の人生に応用していけばいいのではないかなと思っています。
ダメな時があってもいいけれど
僕も「ダメダメな時」があったように、誰だってダメな時や落ちてしまう時はあります。
でも僕が大事にしていることは、「それ」を全面に出すことで、

と言い続けないことです笑。
僕も過去のエピソードは話題に出しますが、そんなやさぐれた時間なんて、なければないに越したことはありません。
僕がヘタレているその間にも、頑張っていた人たちは「わんさか」います。
それを取り戻すかのように「毎日頑張っている」僕ですけれども、決してその「ギャップ」が偉いわけではありませんし、「僕は変われたんだ!」とふんぞり返る意味もわかりません。
人間、どんな人でも何か「大きな失敗」を経験しているものですし、そこから変われた人生は素晴らしいものです。
ただ、

とも思いませんかね。
その “ギャップ” をあまりにも利用して、注目を集めるのは違うのかなと。
有名な漫画、『こち亀』でも両さんが正論を言うシーンがあります。
えらいやつってのは 始めからワルなんかにならねえの!
正直で正しい人間が えらいに決まってるだろ!
何度も言いますが、「変われたこと」や「更生したこと」は素晴らしいことですし、素直に褒めてあげる度量を持っておきたいものです。
ただ、その前にあった「ダメだった時期」を、なかったことにしてしまうことはできません。
厳しい言い方でもありますが、これは自戒の念も込めて言っています。
人は誰だって間違いを犯すものですが、「自分のあり方」にいち早く気づき、たくさん真面目に頑張ってきた人のほうが、賞賛されるべきだと思うのです。
僕のことではありません。
そういうキャッチーなことにばかりに目が向いていないかと、そう思うのです。
それはそれとして受け入れ、素晴らしいことだと評価しつつも、毎日を頑張っている人にはそれ相応の対価があってもいいんじゃないかなって。
ダメなところから、這いあがろうとしたことは結構なこと。
僕だって同じ。
みんなだって同じです。
それを忘れてはいけませんよね。
おわりに

僕は毎日、そう思っています。
別に、

と思っているわけでもありません。
みんなそれぞれ、頑張っている。
それでいいじゃないかと。
下手に、ギャップを褒めなくても良いんじゃないかと。
そう思いますね。
それではまた!
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