自分の身を削ってでも毎日を生きる理由【一度の人生、どう生きる?】

読書

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、生徒さんと話していますと、

先生は私より若いのに、なぜかこう、上の人のように見えてしまう

と言われました。

確かにいろんな経験をしてきましたから、もしかしたら普通の方よりは多少経験があるのかもしれません。

「達観している」と言えるほど、偉そうな人間ではないですが(上には上がいますし)、

  • たくさん考え
  • たくさん勉強して
  • たくさん本を読み
  • たくさんの人と会ってきた

という事実が、僕という人間を作っているのだと思います。

世界を回っていた時も、

どこかでこの命が尽きる可能性もあるだろう

と思って旅をしていました。

それくらいの覚悟を持ってやる、ということですね。

今日は「なぜ僕が毎日を必死に生きているのか」について。

何度も記事にした話題ではありますが、改めて書いていきたいと思います。

自分の命を投げ出す覚悟でやれ。ただし、命をかけることと捨てることは違う。その命を誰かのために使っていこう。

僕が世界を回った時の話

先述した通り、僕が「世界に飛びてる!」と決めた頃には、

うん。これが最後の旅になるかもしれない

と思っていました。

いえ、別に危険な紛争地域に行く予定ではありませんでしたが笑、それでもこの安全な国「日本」を離れるということは、何かのトラブルに巻き込まれる可能性があったということです。

僕はコロナ禍の時に、自分の人生を見つめ直しました。

コロナと離婚を経験。

そして本をたくさん読み、税金や投資のことについても学びを得ました。

では一体、僕の人生は何をして生きていくことが正解なのだろうか?

必死に考えた結果、

自分の人生を自分のためだけに生きないこと。そして後悔しないこと

を念頭に置き、数ヶ月かけて世界を回りました。

なんだよ大袈裟な笑

と思われるかもしれません。

でもそれくらい、

  1. 自分の人生について考え
  2. 自分の人生と向き合うこと

をした人が、どれくらいいるでしょうか。

「僕は誰よりも考えたのだ」と言いたいわけではありません。

ただ、生徒の方から「なんか自分より上の人みたい」と、そう言われるくらいたくさんのことを考え勉強し、自分の人生について俯瞰してみたということです。

そこにはいつも「生と死」が必ず関わっていました。

僕が目先の利益だけを考えてやっていたら、世界一周もしなかったでしょうし、朝活英会話を始めたこともなかったでしょう。

自分の人生をかけてでも、やりたいことがある

こういう考え方ができるようになって初めて、自分の人生に責任を持ち、信念に基づいた行動ができるようになるのです。

覚悟を持って自分の行動に移すことができているのか。これが大切な出発点なのだ。

自分の命をかけるとは?

ただし、命をかけるといっても、何も捨て身の覚悟で生きているわけではありません。

漫画ワンピースでも、

死ぬことは恩返しじゃねえぞ!!!

そんなつもりで助けてくれたんじゃねェ!!!

生かしてもらって死ぬなんて弱ェ奴のやることだ!!!

という、ルフィのセリフがあります。

ルフィは自分の命をかけて海賊となり、その高みを目指しますが、「死ぬこと」でその夢が達成されるわけではないということを、誰よりもわかっていました。

命をかけるくらい、本気になってみること。

それくらい真剣に戦うからこそ、手に入れられるものもあるということです。

誰もが簡単に手に入れられるものだったら、誰も挑戦なんてしていない。

手に入れることは難しいし、何が起こるかもわからない。

そんな中、“必死で” 戦うということがどういうことなのか。

それが、僕がコロナ禍の時にずっと考えていたことでした。

否が応でも、僕の「命の砂時計」はどんどんと「死」に向かっていき、いつか終わりを迎えます。

その最期の一瞬まで、僕は人生において何をしていたいのだろうか?

そう考える毎日なのです。

だったら、毎日を後悔なく生きるしかないじゃない

そう結論づけたのが2021年でした。

恥ずかしながら、今でも勉強していることはたくさんあります汗。

それでも、毎日学びながら生きていることで、以前のような「後悔するような人生」を送ることはなくなりました。

20代、当時の僕は何も考えていないでダラダラと仕事をしては、エンタメに明け暮れる毎日でした。

真剣に自分の人生と向き合おうとせず、ただただ時間を浪費していただけでした。

そんな状態では、「何もないまま」この命が終わってゆくだけなのです。

もちろん、生き方は人それぞれです。

大成したからといって、偉いわけでもありません。

ただ、

  • 真剣に向き合うことができていないのならば
  • 自分の命のある限りにやれることをやれていないのならば

僕は死んでも死にきれないということ。

だから僕はルフィのような生き方が好きなのであり、戦う漢の「生き様」をこの世に残しておきたいのです。

自分の命をかけて人生を生きること。それは決して、命を投げ捨てるということではない。それくらいの覚悟を持って戦えるかどうかということなのだ。

利他的に生きること

自分の命を賭けて生きること。

こうした覚悟が決まったはいいものの、

じゃあ具体的には?

という疑問が湧いてきます。

確かに、頑張ると言っても当時は公務員でしたから、

  • 体を鍛える
  • 仕事を頑張る

くらいしか選択肢がありませんでした。

待て待て。まだまだ資格を取ったり、挑戦する姿を見せることもできるぞ!

と思い、英検やTOEICに挑戦したのでした。

他にも何かできないかと思い始めたのが、コミュニティ内での「英語の文法指導」でした。

仕事が終わって夜の9時から毎週2日(月と木)、一年間休まずに教えました。

そうか。誰かのために全力で生きて、それで感謝される人生がいいんじゃないか?

そう思ったのですよね。

自分の人生を後悔しないと言ったって、

じゃあお金をたくさん貯めて、やれることにお金を使って最後に「0」で死ねば、それで僕は本望なのだろうか?

と、自問自答しました。

いや、何かが違う。

確かに自分が満たされて初めて、相手に何かを与える余裕とは生まれるものではあります。

でも世界を回ってみて、

僕ら日本人が、どれだけ豊かなのか

ということがわかり、いかに自分が「甘ったれた人生」を送ってきたのかを痛感しました。

まだできることがあるじゃないか

そして少しずつ始めた、「利他的に生きる」という小さな行動の数々。

これらをし始めてからというもの、「人から感謝されること」が生きがいとなりました。

たぶんそこには、お金では買えないような「何か」があるのだと思います。

精神的な、何か。

わからないのですが笑、なぜだか満たされるようになるのです。

じゃあもし、自分には何も与えられるものがなかったら?

そうしたらこう言えばいいのです。

おおきに」と。

これは『夢を叶えるゾウ』に書いてあった言葉でした。

その時に感じた「感謝の気持ち」を言葉に出して、「ありがとう」とお礼を言うこと。

そうすれば自分が満たされ、

今度は、自分が感謝される存在になりたい

と思うようになるのです。

僕にお金の余裕はありませんが笑、人に何かを与えられる知識や経験は、そこそこあると思っています。

もしそこで感謝されたら、あとはまた自分の命を使って人のために生きてゆくこと。

この循環を繰り返すことです。

大丈夫。

みなさんにも、できることはそれぞれあります。

人に感謝されるように生きること。

ただだからと言って、「それを目当てに何でもしてもいい」というわけではありませんけどね。

たくさん考えて、たどり着かなければならない考え方なのです。

自分の命をどう使っていくか。これが僕の人生の疑問だった。でも人のために生きることでどんどん満たされ、好循環に入ってゆく自分が見て取れたのだった。

おわりに

必死に生きるということは、とても簡単なことです。

でも僕は、自分だけの時はできる限り、何か作業をするようになりました。

それは、

  • 学びであったり
  • 教育であったり

します。

一方で、人とわちゃわちゃすることだって、とても大事な時間です。

後悔なく生きれるかどうかということ。

どんな一日でも、どんな一年でも、必死に生きていきたいですね。

それではまた!

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