こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
以前、

という記事を書いたことがありました。
とはいえ、なかなか経済的に厳しい毎日が続いていますので(半分冗談です)、

とは思っています笑。
でも、少しでもそうした「希望(=誰かのために使いたい)」が持てますと、なかなかにテンションが上がってきます。
そうなんです。
自分のために使うお金よりも、他人のために使うお金のほうが幸せになるものなのですね。
今日は再び、その展望や夢について語っていきます。
まずは節制
さて、一丁目一番地はとにかく「倹約/節制」することですね。
得手不得手はさておいて、僕は公務員(教員)時代から、この考え方を持っていました。
元々、裕福な家庭で育ったわけではありませんでしたから、

といった具合でした。
しかし、非常勤講師やバイトをすることで、だんだんとお金を手に入れていき、ちょっと使うようになってしまったのですね。
別に悪いことでもありませんが、今考えれば “ムダなもの” もいくつか買っていました。
それだけ、信念に「ブレ」があったんですよね。
とはいえ、だからと言ってとても高いものを買った覚えはほとんどなく、教員になっていろいろと考えた結果、
- ICL
- 脱毛
- 世界一周
などにお金をかけ、あとはコーヒーやサウナ代、そして投資に回すようになりました。
人生、紆余曲折ありましたが、要は「そもそもお金を使わない人間」なんですよね笑。
すると余力が出てきて、
- 気前よく奢ってあげたり
- 友人にプレゼントを買ってあげたり
できるようになります。
自分の人生を豊かにしてゆくためには、まず「足る」を知り、余剰資金を作ること。
これが面白いことに、
- 他人のために働いて
- 他人のためにお金を使えば
なぜかお金が回るのですから、不思議なことです。
まず自分は最低限のものにとどめ、たまに自分にご褒美を与える。
これが資産を増やしていく上で重要なんですよね。
少しずつ実感する
節制をしますと当然、自由なお金も増えてきます。
すぐに自分のために使うのではなくて、これはあくまで「誰かの何かのために」です。
もちろん、みなさんの言いたいこともわかります。
でも僕は、「貯金」ではなく基本的には投資をしています。
2本の柱を立てておくことが大事です。
- 貯金
- 投資
あとは今の生活を豊かにするために、どれだけの「浪費」をするかがポイントです。
サウナに行くことも少なくなり(月に1〜2回程度)、外食も友人とするときだけ。
自分で外食すると言っても、高くて600〜700円程度です。
つまりは、キャッシュの部分を最低限の「生活防衛資金」としておき、
- ある程度の額まで行ったら
- 残りは浪費や投資に回していく
という感じですかね。
少しずつ貯金ができるようになってきますと、自分のちょっとしたご褒美だけでなく、誰かのためのお土産や、元生徒たちに対する「おごり」なんかにも使えます。
それが大きくできるようになったのは、特に「教員時代」でした。
自分の投資のためにもお金は使いましたが、お土産を買ったり奢(おご)ってあげたりすることで、幸せを感じていました。
今は、あまり他人に対してお金を使えていないのがもどかしいところですが、毎日誰かのために働き、楽しんで人生を謳歌できていることは何よりの喜びでもあります。
このブログでずっと書いてきたことですが、

ということです。
節制したり節約したりすることは、経済的に豊かになるためには確かに必要なことですが、一方で、
というのでは、あまりにも悲しくなってしまいます涙。
そういったフェーズ(=段階)が人生の中にもあっていいですが、やはりバランス感覚は大事にしたいところですね。
極端に行き過ぎず、適度に浪費することによって、
という実感を持っておきましょう。
常に誰かのために
こうして「他人のために」ということを言っていますと、
- やれ偽善者だの
- やれ嘘をつくなだの
言われることはありま…せんが笑、それでも、
と思われる人はいるかと思います。
ただ、実はこれをご自身の「家族」について考えてみれば、
と思えるはずです。
お子さんのいるご家庭では、大人になってくると自分への投資よりも、圧倒的にお子さんへの投資にシフトするのではないでしょうか。
僕がやろうとしていることは、確かに「身内向け」ではありませんが、

という気持ちは、みなさんの「それ」と何ら変わりはありません。
また先述した通り、

というのも事実です。
人生の中で、自分に使えるお金にも限界はありますからね。
今の生活でも十分幸せですから、今後日本政府がもっと変わってくれれば、より豊かになるのだと思っています。
僕はまだまだ貯金もなく(投資はしている笑)、力があるわけでもありません。
それでも、そうした「未来」を思い描いておくことで、

をより理解できるようになってきます。
そこに意味があるかどうかはわかりませんが、そうやって「みんなで幸せになっていくこと」を描いているほうが、圧倒的に楽しいのです。
別に余力のある人は、どんどんお金を使ったらいいと思います。
僕も公務員時代には、かなり使っていましたからね。(たかがしれているが笑)
でもだんだんと、それが「自分のため」から「人のため」を意識するようになるはずです。
どこかのお店でお金を落とすこともまた、それは巡り巡って誰かのためのお金ともなり得ます。
お互いがそうやってお金を使いあって、幸せになっていきましょう。
これが僕の求める理想像であり、

と言っても過言ではありませんね。
そして少しずつ、もっともっと具体的に「教育のため」にお金が使えるようになったらなと思っています。
おわりに
お金を稼いで、何に使うか。
これは数年前からずっと僕の中のテーマでもありました。
かといってやはり使ってみないと、その価値を見出すこともできません。

足るを知るようになってから、こうした考えに至ることができました。
ではあとはどうするか。
それは「もっと先の幸せのため」に、使おうと思っています。
みなさんはどうしますか。
それではまた!
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