こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、生徒さんから質問をいただきました。
これは別に外国人に限ったことではなく、日本の学生たちも同じようなパターンがあります。
高校教員だった頃の僕は、高校が義務教育ではないことをいいことに笑、

といったスタンスでした。
もちろん、そこに至るまでには彼らとの話し合いや過程があって、開口一番にそんなことを言っているわけではありません笑。
しかし、僕らにも僕らの「時間」が存在するということは事実。
こうした人たちとどう折り合いをつけてゆくのか。
今日は人間関係について書いていきます。
人の時間を奪う人
以前にも「Taker(テイカー)」については記事にしました。
今回の件のように、
- 人に頼んでおきながら
- 全然改善しようとしない人
これは単なる「Taker」ですね。
自分で気づいていることはあまりなく、無自覚のまま人の時間を奪っています。
特に日本では優しい方が多いため、こちらも「無自覚に」自分の時間を差し出していることがあります。
それではいけません。
いずれは疲弊し、
と、いつの間にか自分の心も体もボロボロになってしまっています。
社会にはある一定数、こうしたTakerたちがのさばっています笑。
そう感じたら、イエローカードが2〜3枚出た時点で切ってしまいましょう。
人とはそんなに簡単に変わるものではありませんからね。
あなたがいくら注意しようとも、同じ過(あやま)ちを繰り返す可能性があります。
もちろん僕が教師をやっていた時だって、生徒たちのことを、

とは思っていませんでした。
とはいえ、ある程度のチャンスを与えてもできなかったら(これは個人の按配による)、それ以上は面倒見きれません。
そうやって高校を離れていった子たちも、何人か見てきました。
どちらが正義だとか、そういうことを言っているのではありません。
みなさんの時間を奪ってくるような人であれば、防衛策として “みなさん側から” 拒否しなければならないということ。
そんな人にかまっている暇はないくらい、人生とは短いのですからね。
自分の時間=違う人のための時間へ
僕が最近思うのは、

ということです。
一種の「後悔」とも言えます。
その人(いわゆるTaker)に対して割いている時間とは、みなさんにとってもかけがえのない時間だからです。
その時間でできたこともあったでしょうし、「彼/彼女」にやる気がないのであれば、それ以上時間を割く理由がありません。
よく考えてみれば、”その時間” を他の大事な人に費やせたかもしれないのです。
すると、
と、踏ん切りをつけることができます。
と言い、良かれと思ってやっていることでも、実は他の人のための時間をも奪われているということに気づきましょう。
だから僕は、

と思ったら、すぐに関係を切るようにしています。
みなさんの貴重な時間とは、全く別の他の人に対して割くことのできた時間でもあるということ。
この自覚がありますと、悠長に一人の「Taker」のために時間を使っていることがバカらしくなります。
となるのが普通ですよね。
仕事をしている人なら、そう感じるはずです。
むしろ優先順位をつけ、次のやるべきことに向けて動き出すもの。(そうしないと終わらない)
だからこれは冷酷でもなんでもなくて、「仕事でやっていること」と “ある意味で” 同じだと思っていていいです。
中には、優先順位をつけることで「イヤな気持ち」になってしまう人もいるかもしれません。
でも僕は、そうやってムダに時間を割いてしまうほうが、
- 自分に対しても
- 他の大事な人に対しても
失礼なのではないのかなと思っています。
そう思えるかどうかが、「自分の時間」に対しての意識の差なのではないでしょうかね。
自由に使いすぎない
ただし、
と思ったらさっさと切りまくればいい…
というわけでもありません。
僕がある程度は生徒の変化を期待していたこともあるように、人とは変わるのにも時間がかかりますし、人間関係とはそうした「面倒くささ」があって絡まりながら、進んでゆくものでもあるからです。
だから、そうした “ムダだと思われる時間” を最大限に切りまくって、自由な時間に当てすぎてしまうことも、また問題です。
ここの線引きとはどうしても定義がなく、それぞれの人間関係の経験上から導き出すものでもありますし、最適解だと思ってやったことが裏目に出ることだってあります。
その「奪われそうだった時間」を有意義に使おうとして、
となってはいけません笑。
その時間がもしかしたら、
- 他の人のために使えた時間
- 自己研鑽のために使えた時間
だったかもしれないからです。
ある意味、
と突っ込まれてしまうということですね。
だから僕は、

という前提のもとに、判断することにしています。
いえ、「ムダだな」と思うことに時間を割くこと自体、回避すべきことなのはもちろんなのですが、
と考えることもまた重要なことです。
- もっとやりたいことがある
- もっとためになることに使いたい
こうした気持ちがあるからこそ、
と言えるというもの。
だから僕の場合は、仮にどんなにお金をいただけても、

とはっきりした意志表示をしています。
こうした人間関係とは、利害関係で成り立ってはいないからです。
多少はあるにしても、最終的な本質としてはお互いが気持ちよくなれるような「win-win」の関係であるかどうかがカギ。
この気持ちがあるからこそ、多少なりともお金や見栄が関係するものだとしても、「ムダだ」と言って切ることができます。
自分の大切なものを追求していますと、切った関係に対して「冷酷だ」とか「冷たい態度だ」といった安っぽい言葉が介入しなくなります。
そう考えているからですね。
おわりに
時間とは限られたものです。
このブログではよく「終わり」を意識したことを書きますが、それを認めない限りは、
とお花畑の中にい続け、結局は「今」という貴重な時間を台無しにしてしまいます。
だから、人との時間を取捨選択することは当然のこと。
行きたくない飲み会があったら、みなさんも行かないでしょう?
それと全く一緒です。
ただ、その時間をどう使いたいかを考えておくべきですね。
それではまた!
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