何かに依存して生きているとしんどくなる【信じすぎないこと】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、生徒さんと話していて、この前と同じような状況になりました。

お気に入りの先生がいなくなってしまった…やる気が出ない

と。

僕も学校の先生をやっていましたから、その「移り変わり」というところにやるせなさを感じたこともありました。

ただやはり、

ずっと一緒にいられたらいい

ということは、この地球に住んでいる限り、無理な話なのです。

今日は「人に頼りすぎないこと」について書いていきます。

誰しもが誰かに頼って生きているのは事実だ。しかしそれがいつなくなってもいいよう、普段から終わりを意識し、分散をしておこう。

基本的に一人で生きているわけではない

この手の話題は、僕も何度か記事にしてきました。

それでもいつも思うのが、

そんな僕だって、道路がなければ、電車がなければ、コンビニがなければ、生きていくことすらできないだろう

という圧倒的な事実です。

社会とは僕一人で回っているわけではなく、互いに支え合いながら機能しているということを知っておかなければなりませんよね。

この事実と「依存すること」は、別にして考えなければならなさそうです。

もうちょっと「個人のレベル」に落としたほうが、議論しやすいでしょう。

まず話さなければならないこととは、やはり「生」を営んでいく際には一人では限界があるということ。

インフラやロジスティックス(流通)がなくなってしまえば、生活もままなりません。

それでも依存するなというのか?!

いえ、しかしこれには明確な「金銭のやり取り」があります。

全てをお金の問題に集約するわけではありませんが、

  • 税金
  • サービス代

など、こちら側もしっかりとコストを払っているからこそ、利用できているとも言えます。

僕も英語を通していろんな方に教育のサービスを与え、お金をいただいていますから、そこには一方的な依存関係は(本来は)ありません。

だからこれらの場合は、「依存している」という定義と違ってくるのかなぁと。

特に「依存」とは、

この人がいなければ成り立たない!

というような状態を指すのかなぁと。

僕も今あるサービスがなくなればしんどいものですが笑、たくさん選択肢のある場合は、分散させていればいいのではないかと思っています。

僕の場合も、様々な店舗やサービスを使わせてもらってますからね。

いずれにせよ、他の方の恩恵に与(あずか)っているのは、まず間違いないということはお伝えしておきます。

社会はいろんな人のおかげで成り立っている。依存ではないけれど、頼っている部分があることも理解しておくべきだ。

頼りすぎないこと

インフラやサービスは、お互いにお金で繋がっている部分もあるので、話題の外に出しておきましょう。

さて、よくやってしまいがちなのは、サービス内で、

この人がいなければ!

と思い込んでしまうことです。

  1. 誰かを信頼し
  2. そこに仕事をお願いする

ということは、決して悪いことではありませんし、だからこそ仕事とは成り立つものです。

一方で、

この人しかいないんだ!
この仕事しかありえないんだ!

と思ってしまうことは、果たして大丈夫なことなのでしょうか。

僕は一貫して、

それは違うと思う

と言っています。

頼りすぎてしまっている場合、それを失った時の損失が大きいからです。

これは度合いにもよります。

せいじだって生徒を失ったら、ダメになるではないか!

いえ。

僕の場合、生徒は卒業させるものであって、「一生をかけて教える相手」ではありません。

「長期的な伴走」も大事だとは思っていますが、そこにもある程度の限度はあります。

また「信頼のおける人/サービス」を、分散させておくこともまた大事なことです。

時代や年齢によって、関わる人も変わってきますからね。

いつも心のどこかに、

このサービスはいつか終わると思う

と思っておくことです。

僕らが知らない間に終わっていったサービスや消えていった商品、建物なんてたくさんあったでしょう。

特にテクノロジーの発展は凄まじく、TSUTAYAがどんどん利用されなくなってサブスクが流行り、YouTubeやGoogle、Appleなどの大手企業が市場を独占しているのが現状です。

これは一例に過ぎませんが、

このお店、好きだったのになぁ…
このサービス(商品)はよかったのになぁ…

と思わされたことは、たくさんありました。

その前提に立てば、「どこか一点に集中して依存しすぎること」は、少し危険だということがわかります。

現存するサービスも、永遠に続くわけではありません。

それは僕も一緒。

社会にいる以上は「持ちつ持たれつ」の関係ではありますが、一方で適切な距離感も大事なんですよね。

何事も依存し過ぎてはいけない。ほどよい距離感で付き合いながらも、お互い助け合えるところは助け合っていこう。

人を信じすぎない

僕は以前、「信頼がポイントになってゆく」という記事を書きました。

これはキングコングの西野亮廣さんの本から、学んだことでした。

信頼とは積み上げてゆくものであり、瓦解するのはいとも簡単です。

え?じゃあ信用するとか信じるとか、頼るってこともやっぱり大事なのでは?

当然、それは「依存」とは違いますが、やはり全幅の信頼をおいてしまいますと、いざとなった時に自分で判断ができなくなります。

じゃあせいじは、人を疑って生きているのか?

と言われますと、正直に言えばあながち間違いでもありません。

僕が信頼されることもありますし、僕が信頼することもあるのに、です。

僕が注意しているのは、100%信用したり、

この人が言うんだから間違いない!

という感覚を、持たないようにしているということです。

時には素直に従ったり、その人の言う通りに動いてみたりすることも大事ですが、先ほど述べた「生徒を卒業させること」と一緒で、いつかは一人立ちしなければなりません。

とても難しい言い回しになってしまいますが、

  1. 他人を信じてもいいが
  2. 依存したり鵜呑みにしないこと
  3. ずっと頼り続けて任せっきりにしないこと

が大事なのではないのかなと。

自ら「違うのではないか?」と思って “自分なりに” 調べることも大事です。

逆に「自分が正しいのだ」と思っていたことについて、他の人から突っ込まれたら、

あれ?もしかして違ってたかも?

と思えるかどうかも、大事なのことですね。

信用や信頼とはとても綺麗な言葉ですが、裏を返せば、

  • 依存
  • 思考停止

ともなりかねません。

この「度合い」とは程度問題であり、

どこまで行ったらダメなのか?

なんてことは、個々人によります。

もちろん、誰かを失った時に、柱が崩れ落ちるような感覚にもなるかもしれません。

僕だって「メンタルが最強だ!」なんて言うつもりはありませんし、頼れるものを失った時はしんどいものです。

しかし、普段からそうした前提に立てていれば、

また次にいくしかない

と思えるもの。

だからどこか一点に依存し過ぎず、分散させながらリスクを減らしておくこと。

投資みたいなこと言うなよ!

と言われそうですが笑、この点についても、生きていく上ではしっかりと考えていなければならないことなのですね。

人間関係や仕事でも、

「適当なところに全幅の信頼をおいて、あとは一点集中」

ではいけませんからね。

他人を信じ過ぎないことだ。信頼や信用は聞こえはいいものの、そこに100%注ぎ込んでしまうと痛い目を見る。しっかりと考えて分散させることも大事なことだ。

おわりに

人間関係とは難しいもののように見えますが、意外にも「いつか切れるもの」というサバサバとした感覚を持っておくと、シンプルになります。

  • 依存し過ぎず
  • 自分の軸を持ちながらも

100%信頼し切ったり、頼り切ったりしないことですね。

僕も気をつけていきます。

それではまた!

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