こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、女性芸人No.1を決める大会、「THE W」がありました。
それに対して、粗品さんがコメントを出しています。
尺は1時間半くらいありますが、興味のある方はぜひ。
僕は昔から根が真面目で、たまにボケて楽しいことも言いたいのですが、
- 勉強について
- 生き方について
- ダンスについて
など、語らせたら結構熱くなってしまうタイプでして。
と感心したものでした。
今日は「真面目」と評価することやお笑いなどについて書いていきます。
真面目な人

僕は絵に描いたような「真面目」人間であり、学生時代は先生の言うことを忠実に守りながら、一応「優等生」としてやらせていただいていました笑。
今でも覚えていますが、中学3年生の頃に一人教室で、
と感じたのです。
それからお笑いを見るようになり、
- ボケ方
- 話し方
- 間の取り方
などを勉強するようになりました。
芸人の方々のようなプロフェッショナルではありませんが、
と、いつも考えながら人と話をしています。
お笑いに関してもそうなのですし、ダンスを始めた時も結局は「真面目」のままでいました。
だからこそ、貪欲に求めていたのですね。
ダンスサークルという小さな場所ではありましたが、僕の熱意が伝播したからか、最後は涙涙の公演となりました。
当時は、
と揶揄(やゆ)・批判されていました。
でも僕が毎日夕方4時過ぎにサークルの活動場所に来ては、夏も冬も毎日、朝まで練習していたからか、
と思われるようになりました。
何をするにしても、根っこの部分に「真面目さ/情熱」みたいなものがなければ認められることはありません。
真面目にやっていますと、
と思ってもらえるのですね。
「お笑い」というジャンルでも、(みなさんもご存知の通り)ものすごく練ったり考えたり、練習を重ねたりしながら、彼らも舞台に立っています。
そういう意味では、
と思っています。
審査したり教えたりすること

僕はダンスサークル時代に、とても良い機会に恵まれました。
僕の練習の熱さを買ってくれて、他のチームに入れてもらったことがあったのです。
その際に、
- 一人ずつ前から振りを見て
- コメントをしながら回していく
という「詰めの作業」がありました。
僕は勝手がわからず、
という “抽象的な” コメントしかできませんでした。
そのあと、他の友人や先輩たちのコメントを見ていましたら、
- 具体性
- 客観性
- 細かな修正点
を見事に言語化していて、少し恥ずかしくなりました。
それがきっかけで、僕のブレイクダンスのショーケースも細かさを増してゆくのですが、それはまたどこかの記事で。
そこで「審査するということ」、そして「教えるということ」について学びました。
みなさんも経験があるかと思いますが、コメントを求められた時とは「気の利いたこと」を言いがちなんですよね。
嫌われたくないからです。
「辛辣なコメント=悪者」と、勘違いしている人が多いのもあります。
でも実は、誰も「フワッとしたコメント」なんて求めていないのです。
当時の僕もそうした傾向がありましたが、そのダンスサークルの経験から、
- 後輩の研究授業でも
- ダンスの審査員としても
その時間は発表者の動きや言動を見て、真剣にメモをとり、
と、具体性を重視して、多少は辛口になってでも指摘するようにしました。
今回の粗品さんのコメントも、本当に愛に溢れていたと思っています。
誰だって、相手を批判したくて(キラいで)、審査しているわけではありません。
僕だって生徒の英語が、生徒のダンスが、どんなにレベルに達していなくても、
を常に伝えるようにしています。
でもそれこそが、「成長したい!」と思っている人たちの求めているコメントであり、手直しのきっかけになるのです。
だからこそ、適当なことは言えない。
教育者や審査員になる時とは、真剣に相手のことを見てあげて、的確にコメントすることが求められているのです。
真剣に生きること

とか、
と言う人はいませんが、あえて “そういう” 反論があったとしましょう。
でも僕だったら、それこそ、
と問いたいのです。
情熱に溢れていて、真剣に審査すること(コメントをすること)が求められていることであって、
なんて、しょうもないコメントはできません。
- なんのためにダンスチームが時間を割いてステージに立ち
- なんのために英語学習者たちが僕の授業を受けに来ているのか
と、常に考えているからです。
僕はネイティブでもなければ、プロのダンサーでもありません。
でも英語や他の言語は毎日「あぁでもない、こうでもない」と勉強し、ダンスも練習頻度は落ちているものの、いまだに毎週練習しています。
とにかく熱量があるのです。
「それすらもない人」たちには何も批判する権利はありませんし、そういう人ほど中途半端にものごとに取り組んでいることが多いです。
と言われて、できますかという話ですね。
「真剣に向き合う」ということに、プロもアマも関係ありません。
そのことが本当に好きで仕方がないから、僕らは続けるんじゃないですかね。
いつも引き合いに出すのは、
ということ。
そんな世界だったら、そこら辺の野球コーチはみんなクビですよ。
世の中はそうではないですし、一流選手だからと言って教えるのが上手いわけでもなければ、言語化するのが得意だとも言い切れません。
別に最前線で戦っている人を否定しているわけではなくて、審査やコメント、教育とはまた別のフィールドであるということ。
東大生が「先生として適正だとは限らない」というようなイメージに近いですね。
現在はYouTubeやSNSがありますから、その熱量、真面目ささえあれば誰だって「伝えること」ができます。
いつでも『真面目』は最強。
そこに人の熱量が集まるのですね。
おわりに
僕は昔から真面目だったのですが、この手の動画をみますと、
と思うのですよね。
好きで仕方がないから、たとえ自分の力が及んでいなくても全力でやる。
それって、素晴らしいスタンスではないでしょうかね。
前提として、その分野においていつまでも一所懸命やる必要があるのは当然のことですけどね。
また毎日頑張らなければ。
それではまた!
