30代になって実家に帰ったことで感じたこと【顔を見せる意味】

人間関係

こんばんは。せいじです。(@seiz_suzuki

30代になってもまだ実家に顔を出しています。

一応、同じ県内ということで自粛要請されている帰省に入るものの(当時はコロナ禍でした)、

ちょっと違う感覚だから良かろう

と思って帰省しました。

まだ両親ともに元気ですが、父の方が認知症なのかわかりませんが、ひどくなってきておりまして。

最初はなかなか話せなかったのですが、久々に母・妹ともいろんな話をした次第です。

いつまで経っても親は親。

僕は過去に壮絶な闘いを繰り広げてきましたが、今となっては曲がりなりにも(親孝行と言えるか定かではありませんが)、たまにこうして実家に帰ることにしています。

そんな僕の、知られざる家族に対する思いをお伝えします。

気恥ずかしくてもいい。たまには実家に帰って顔だけでも見せよう。

顔を見せる

いくつになっても親子というのは切っても切れない関係であります。

その関係が良好であるならば、できる限り長い間見守りたいのはそれぞれ抱く想いだと思います。

以前は反抗期真っ只中だっため、親の顔を見るのもイヤな時がありました。

しかし年を重ねるにつれ、

  • 親も
  • 僕自身も

丸くなり、対等に話す仲となりました。

そう考えますと、

あぁ、親と会えるのもあと何年かかもしれないな

と思い、年の節目節目に会いに行くようになりました。

そうなんです。

当たり前ですが、僕がどんなに年老いたとしても、自分の親は死ぬまで親であり続けます。

いろんな関係があるとは思いますが、会えるのであればぜひ会ってあげてください。

それが、最大の親孝行だと思います。

もしかしたら明日会えなくなるかもしれませんからね。

そう思い始めてからというもの、顔を見せるだけでもいいので会いに行くようにしています。

親はいつまでも親であるが、いついなくなるかもわからない。

なんでも話せる

僕の親も兄妹も、なんやかんや言ってオープンにいろんなことを話すことができます。

ゆえに、ここ1年でためにためてきた(インプットしてきた)知識を、家族と共有することにしてみました。

お金の話はもちろん、

  • 教育や仕事の話
  • 世界の話まで

と、幅広く知識を共有すること(付け焼き刃ですが)、つまりアウトプットすることで、自身が身につけて来た経験や役に立ちそうな知識を伝えることができました。

普段、こうしてブログを書いていることも後押ししてスラスラと話すことができたため、改めて普段のアウトプットの力は凄まじいなと思いました。

また様々な場所に行ったため、美術が好きな妹にも美術館をオススメすることも怠りませんでした。

「どの家族でも」とは言いづらいですが、やはりこうして気兼ねなくしゃべることができるのは、親戚だからこそですよね。

以前は、

特に話すことなんてないよな…

と思っていた僕も、捲(まく)し立てるように自分の考えや思想、信念や経験を話すことができました。

家族の近況も聞きつつ、

こういう考えもあるよね
この動画チャンネル勉強になるよ

など、アドバイスというより自分への復習として、生産性のある対話を繰り広げました。

これは家族に限ったことではなくて、以前からの僕のテーマでもある「常日頃からのインプット(勉強や経験)」をしておくことで、久しぶりに会う人と本当に多くのことを語ることができるのだなと、改めて感じたことでした。

話してみて思ったのは、

今後もインプットを続けよう

ということです。

止まる気はサラサラありません。

たくさん経験を積んで、アウトプットする準備をしておこうと思います。

家族との時間も、アウトプットに使っていい。普段からインプットしておこう。

親とは対等である

先ほど書いた通り、すでに30代に突入している僕は、それなりにいろんなことを経験しましたので、話す内容もだいぶ大人びた内容で会話ができました。

すると、僕が最近たくさん本を読んでいる分、親と意見がすれ違う(というか理解しづらい)部分もありました。

それはそうです。

  • 年代も
  • 考え方も
  • 生きた時代も
  • 関わってきた人も

環境も違う、ひとりの人間なのですから。

幼い頃は、家庭が子どもたちの思想の多くのパーセンテージを占めているものです。

しかし、そんな「トリカゴ」から解き放たれ、様々な尊敬できる友人や先輩後輩、同僚や上司に出会った兄妹それぞれが、生き方や信念に変化がないわけがありません。

少しドライな言い方かもしれませんが、大人になっていく子どもたちは別の、もう一つの「個」であり、一人の人間として尊重されるべきです。

たとえ血が繋がっていても、です。

ゆえに、対等な関係として親子関係は続くとしても、いつまでも親が絶対の正義やルールであるはずがないのです。

子どもが自立した人間であるのならば、彼らの生きたいように生きさせるのが親というものではないでしょうかね。

少し父といろんな話をしましたが、理路整然と話をすることができましたし、納得できない部分を指摘したりすることもできました。

それは父のことを “いい意味で” ちゃんと「他人」としてみることで、ハッキリと気持ちや考えを伝えられた瞬間であり、今まであまり感じたことのない気持ちでした。

重複しますが、たくさん学んだり動いたことで様々な経験が積み上がったからこそ、説得力が増したのかなと思っています。

偉そうに書いていますが、家族と話すことで自身の成長を感じられて正直驚きましたね。

親と対等に話してみよう。そのためにインプットしておこう。

実家に帰って感じること

久しぶりに実家の周りをうろついてみると、最寄り駅から昔通った小学校、よく遊んだ公園が目に入ります。

昔は小さかった自分が、今となっては肉体的に大きくなって育った地元を闊歩しますと、

意外と狭い世界なのだな

と気づいたり、あるいは発見があったりもします。

しかし人間誰しも、始まりは必ず狭くて小さな世界です。

こうして久しぶりに帰りますと、甦る数々の思い出が走馬灯のように過ぎていきます。

やはりどこか安心しますし、

自分が今は広い世界へと飛び立てたのだな

と感じることができます。

成長して帰ってきた自分に、改めて、

また成長して帰ってくるからね

と約束を誓うこととなりました。

数年後に今の行動が全て結果として出るように、精進し続けていきます。

以前は大きく見えていたものも、自分が大きくなると小さく見えるものだ。それだけ、自分が成長しているということを実感しよう。

おわりに

家族とは一番近い存在でもありながら、特殊な存在でもあると思います。

生徒の家庭をほんの少し見てみても、それぞれの「形」があって、その都度様々なことを感じます。

僕も、

家族という存在を大切にしなければ

とヤキモキしていた頃から考え方が変わり、いい意味でほどよい距離感を保つことができるようになりました。

自分の人生じゃないか。もっと自分で切り拓いていかなくちゃ

と思えたからです。

今でも家族のことを100%愛せているかというと多少の疑問は残りますが、

少なくとも、以前よりは愛せるようになったんじゃないかな

と思います。

両親が老い、自身が成長したということもありますが、何より最近続けていた多読がいろんな視点を僕に与えてくれました。

まだまだ成長段階ですし未熟なところがあるのですが、それもまた今後の成長の楽しみとしておけば大丈夫。

家族のもとに帰ることは安心する場所への帰還ではなく、成長した自分を見せる場でもあるのだな

と感じた1日でした。

まだまだ伸びますね。

日々精進です。

それではまた!

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