こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
タイトルで言うくらいですから、僕はモノをほとんど持っておりません。
引っ越す回数が多かったこともあり、段々とモノを持たなくなったと言うほうが正しいかもしれませんね。
今日はそんなすずきの「断捨離のメリット」を紹介していきたいと思います。
モノを持たないメリット
- 片付けの手間が減り、見た目もキレイ。
- 精神的にもスッキリする。
- 他人にも整理整頓されている人だという印象を与える。
- お金がかからない。
まず単純に部屋がキレイになりますので、片付けたり掃除したりする手間が激減します。
モノが多いと、それらをどかしたりする手間以前に「見た目が煩雑」になります。
ここで勘違いしていただきたくないことは、「コレクションや趣味での蒐集を否定しているわけではない」ということです。
「それがイイんだ!」と思うのであれば、悪いことではありませんし、見方によっては整然と並んでいるコレクションはキレイに映ることもあります。
こういう人ほど身の回りをキッチリと整頓しているフシもありますしね笑。
ただ僕は、モノであふれること自体に抵抗があるため、コレクション等もするつもりは今後一切ありません。
「モノがない」というだけで気持ちがスッキリするというメリットがあります。
物理的な解放感だけでなく、精神的にも脳的にもすっきりとした気持ちになることができます。
「頭の中が整理されている感覚」になるのです。
これは意外にも「他人からの評価」にもつながります。
- あの人はいつも身の回りがすっきりしている
- シンプルだからやるべきことに集中している
と思わせることもできます。
「他人の目を気にするな」とはよく言われるものの、好印象を与えられるのであればそれに越したことはありませんよね。
正直、職場でデスク回りが書類などで溢れかえっている人を見てしまいますと「ウッ」となってしまいます。
実際に仕事が回っていなかったり「あれどこだっけ?」と探し回ったりしている印象が多いです。
そして何よりお金がかからないというのが最大のメリットです。
物欲がない状態ですと、びっくりするくらい本当にモノを買わなくなります。
すると、
- モノを減らす
- モノを買わない
- モノが増えない
- 身の回りがスッキリ整頓されている
という好循環が生まれるのです。
これで物理的・精神的な幸福度が一気に上昇すること間違いなしです。
唯一持っているモノ
唯一多いモノといえば「服」くらいです。
大学時代から使っているものが多く、私服・スーツそれぞれ4〜5着ほどで回しています。
8〜12年くらい平気で使っていますが、友人や同僚からも驚かれるくらいキレイな状態です。
「モノ持ちが良い」ということもありますけどね。(それにしても異常らしいです)
他はダンス・ランニング用の練習着くらいです。
服に関しての記事は以下を参考にしてください。
本はスラムダンクのリマスター版の漫画全20巻以外ありません。
これも売るか悩んだレベルですが、時々読むので良しとしましょう。(次の引越しで売ると思います)
以前にも書きましたがテレビも残っています。これも売るか検討中です。(追記:売りました)
自転車は1台、外に置いてあります。車はもちろん持ったことすらありません。
あとはコアラマットレスとキッチン回りの家電と洗面台・お風呂回りの消耗品。
コーヒー器具は小さいものなので、最低限あるくらいで場所はそこまでとっていません。
リビングには食事机(作業机)と椅子2脚があります。椅子も良いものを買うか検討中です。
本棚も一応ありますが、横になってテレビ台と化しています。(※今はテレビはない)
隙間があるレベルでスラダンとWi-fi関係の機器がおいてあります。
ロフトもついていますが特に何も上げていません。
改めて部屋を見回してみたのですが、本当に家にいても今こうしてブログを書いているパソコンと、生きていく上で最低限のモノたちしかありませんね笑。
相当のミニマリストと言えるほど、モノをもっていないわけではありませんが、どの友人からも「シンプルだね」と言われます。
これはこれで少し嬉しいんです笑。
自分の信念でもありますからね。
以下の画像は部屋の一部です。何もない…
昔の価値観と変化
実は僕は昔実家に住んでいた頃、かなり多くの本を所有していました。
特に「ハリー・ポッターシリーズ」は分厚いですし、眺めるにはもってこいでした。
漫画もたくさんありましたし、学生時代の教科書も捨てきれないまま、引っ越すごとに新居に持っていっていました。
やはりそろっている本の背表紙を眺めることに満足するという方は多いと思います。
ただし、読まないのであれば自己満であり無意味です。
- 眺めるのが好き
- コレクションしている
のであればもう何も言いません笑。
僕もそこまで全ての本を読んでいたわけではないですし、そもそも「邪魔」でした。
今思えば「自分はなんて無意味に蒐集していたのだろう?」という気持ちになります。
そこで僕のマインドを変えたのは、「引っ越し」でした。
引っ越すごとに「いちいち新居に移動させるのが面倒だな」と感じていた時、基準を決めることにしたのがきっかけでした。
僕が決めた断捨離の基準は、
「ある一定の期間使っていなければ、これから一生使わないだろう」
という基準です。
使い過ぎて壊れていたり、古びていて使えなくなったりしたものも、即捨てました。
逆に普段からよく使うモノであれば、それなりにバリエーションが増えてしまいます。
例えば、
- 服
- 運動用のタオル
- サウナハット
などです。
これらはいまだに現役ですので、「有用だ」と言えます。
一方で「いつか使うだろう」と思うモノや思い出の品々は、一生の中で本当に使いません。
「いつか使う ≒ 使わない」です。
積極的に捨てましょう。
アルバムや手紙なども気持ちだけ汲んだら捨ててしまうものもあれば、一つの空き缶箱に重ねて入れています。
それに収まる程度に取捨選択しています。
きっと「あげた側」はあげたこと自体忘れていますから大丈夫です。
僕はそうした過去の繋がりよりも、今目の前にいる人との繋がりを大切にしたいのです。
基準は人それぞれですけどね。
自分の基準に照らし合わせても「あまりにも残る品が多い」のであれば、基準がかなり甘いのかもしれません笑。
もう一度自分の生活や身の回りを見渡し、基準を練る必要がありそうですね。
おわりに:シンプルに生きる
皆さんもご察しの通り、このように「モノを持たない生き方」や「徹底した整頓術」などが今人気を博しております。
それはなぜかといえば答えもまたシンプルで、幸せや人生に直結するからではないかと思っています。
モノがあふれていてもモノに囲まれていても、僕は幸せを感じたことはありません。
趣味としてコレクションをしていない限りは、それらのモノから幸せを享受することは、とても難しいことだと思います。
「なんだよ。すずきはデジタルの世界に毒されて、人間の温かい心を忘れてしまったのか?」
と言いたい人は落ち着いてください笑。
僕は人の情に熱いからこそ、モノを持たずに今生きているこの瞬間に注力したいのです。
モノは大きい意味での「幸せ」には直結しません。
一時的に幸福な時間をくれるだけなのです。
それならば、そこに浸る時間は、今の僕には必要ないと感じています。
どんどん行動できるように、ムダなモノを省いて頭をスッキリにして、たくさんインプットする。
その分の知識とエネルギーで駆け回って、経験や体験の時間を人生の財産や糧にしたい。
そう思うのです。
だから自宅も職場の机周りをシンプルにする。
ブログを書いていてもストレスがたまりませんし、仕事中も自分がやっている作業に集中して広くスペースを使うことができます。
突き詰めた結果がこれなのです。
「ミニマリスト寄りの人間だから、そういう風に考えるだけだろ?」
と思われるかもしれませんが、身の回りがシンプルだと本当に幸せです。
人生や社会は人間関係やできごとの絡まりだけでも複雑なものです。
それをさらに生きにくいように複雑化する必要はありません。
そうしてシンプルにしていくことは、モノの価値を突き詰めていくことに等しいということです。
取捨選択をし「本当にこれは必要なのか?」とモノの価値を問い続けることは、人生において「今やるべきことが本当にこれでいいのか?」と人生の価値を問うことになっていくのだと思います。
もし身の回りが煩雑である場合は、もう一度それらの価値を考えてみましょう。
「そこにあるだけのモノ」であるのならば、そのモノ自体の価値を損ねていることにもなりかねません。
ぜひ自分の人生において「これは価値があるのかどうか」と問うてみてはいかがでしょうか。
それではまた!
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