こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
10月なのにまだまだ暑さが続いているといった状況ですが、みなさんはお元気でしょうか。
僕は今日ほどハードモードだった日はありません。
僕の学校の英語科の人数は非常に少ないのですが、今日は6時間あるうちの4時間分の授業が自分の受け持っている授業だというのに、なんと僕と新人の2人で回さざるを得ない状況に陥りました。
いや、本当にシャレにならないくらい「しんどかった」ですね笑。
しかしお休みの先生方は「休まざるを得ない事情」がありましたので、別に嫌な気持ちで他クラスに自習監督をしに行ったわけではありません。
それは、
- 僕が培ってきた「助け合う精神」や、
- 「他人のことは気にしない」という精神。
に基づく力の影響だったのかもしれません。
過去の考え方から現在の考え方まで、変遷をたどってみていきましょう。
それぞれの事情で休んでもいい
以前の僕といえば、とにかく「他人の休みが許せない」というトガった性格でした笑。
若かったこともあって「プロ意識=休まないこと」と、勘違いも甚だしかったことを覚えています。
しかし学校が移っていくにつれて、年齢を重ねて落ち着いたこともありましたが、何より各家族やそれぞれの事情を感じられるようになりました。
僕らに子どもはいませんでしたが、結婚生活で忙しくなったことは間違いなく自分の働き方に対する考えに影響を与えました。
特に僕の周りでは、「家族」が増えて幸せそうにしている家庭が増えてきています。
一方、育児やプライベートに追われて忙しそうにしているところもまた、目にすることが多くなってきました。
そんな姿を見ていますと、
- 「各家庭の大変さがあるのだな」
- 「自分は余裕があるから穴を埋められるよな」
と考えるようになりました。
仮に「パーッと休んじまえ!」と有給休暇を取られる人がいても、今の僕であれば何の問題もなく「どうぞどうぞ」と言って、穴埋め作業に入ることができると思います笑。
その人にとっての理由があれば十分であって、他人がとやかくいうことではないからです。
どうも日本では、
- 「休むことはよくない」
- 「穴を作ってしまってはいけない」
- 「申し訳ない」
という感覚が「強すぎ」てしまって、少し窮屈だなと思っていました。
それがあるからこそ、ここまで「勤勉な国民性」が培われてきてもいるのですけれどね。
しかし、それも「極端」であってはいけません。
そう思った僕は、同僚がお子さんのことやご家族のことで休むたびに、
「大丈夫です!やっておきますから!」
と言うように心がけることにしました。
今日の「スーパーハードモード・シフト」のおかげで、僕のライフは一瞬にして0になりましたが笑。
瀕死状態にはなったものの、なんとかやり切ることができました。
以前、僕もひどく体調を崩した日がありまして、同僚たちからいい意味で「総スカン」を食らい、「いいから帰れよ笑」と言われて帰らされたことがありました。
それぞれの事情があるときに、
- 休んでいない側の人間がマウントをとったり、
- 面倒くさがったり
することは、よろしくありません。
誰だってしんどい時は休む必要があります。
そんな時は、周りが声をかけて「やっときます」でいいのです。
それでも会社や学校という組織は、成り立つのですから。
チームとしての雰囲気を作り上げておく
ただし「助け合いの精神」というものは、一朝一夕で作り上げられるものではありません。
こうしたワンチームの精神を日々醸造していくことは、職場にはとても大切なことである一方で、非常に難しいことでもあります。
いざ同僚が「家庭の事情で休まなければいけない」という時に、職場で切り出しづらい雰囲気があっては、言えるものも言えなくなってしまいます。
- 普段の雑談
- 立ち話
- 井戸端会議
などから人間関係を円滑にしておくことは、組織では面倒ながらも不可欠なことです。
僕が若かった時は、一匹狼のロンリーウルフもいいところでして、トガっては人を傷つけていました笑。
しかしその姿勢を続けていっても、どこかで消耗しきってしまうことに気づきました。
1人で学校全体を回せるのならそれでもいいですが、そんなことはできません。
学校という組織にいる以上は、お互いに助け合うことが必要不可欠ですし、しんどいこともお互い様です。
その確認をしておくことが大切ですし、なんなら「明日休んだら?」と促してもいいでしょう。
1つの雑談例をあげます。
英語科で「10月ってしんどいよね」という雑談が繰り広げられた時のことでした。
- オリンピックの関係でスポーツの日は移動してしまい、
- コロナの関係で午前で終わる中間試験もなくなり、
- 祝日が全くないような6月並みの憂鬱感だよね…
という内容です。
そこで冗談半分、本気半分に、
「ローテーションでも組んでさ、1人ずつ休暇とらない?笑」
という話が出ました。
「休暇取得推進委員会」の副委員長を務める僕からすれば、おふざけであったとしてもこうした発想が生まれている職場に、「心地よい空気」を感じることができました。
誰かが倒れた時は、他の誰かが代わりに走ってくれる。
この安心感があれば「自分がしんどくて、どこかでダメになる可能性もあるだろう」という考え方ができるようになります。
実際に誰かが「休んでしまう」ことが、一番威力を発揮します。
「ほら、君が休んでもどうにか回ったでしょ?」という証明がなされれば、「あぁ、別に休みたい時は休んでもいいだな」と思うことができるようになるからです。
人に頼ることも特技のひとつ
漫画「ONE PIECE」では、主人公のルフィが、戦闘相手に堂々と叫ぶシーンがあります。
おれは 助けてもらわねェと 生きていけねェ 自信がある!!!
こんなに潔く言われてしまうと笑ってしまうのですが、同時に主人公ルフィがなぜこんなにも愛されているのかがわかります。
さらに漫画スラムダンクでも、三井寿というスリーポイントシューターに関する名言があります。
奴は今 赤んぼのように味方を信頼しきる事で なんとか支えられている
疲れ切っているはずなのに、なぜかスリーを打ちまくる。
それは「桜木花道が確実にリバウンドをとってくれる」という信頼があるからです。
こうして信頼のもとに神がかっていく三井寿には、多くの読者が魅了されました。
本当に強い人は「1人でなんでもできる人」ではないのだなと。
世界や社会はどこかで誰かと支え合いながら成り立っています。
自分が弱いということを知り、恥じらいもなく人に頼ることができる人ほど、
「すごい人だなぁ。強い人なのだなぁ」
と思います。
得てしてそういう人ほど、力強いパワーを持っているのですよね。
普段から多くの人を助けることによって、他人から頼られているからこそ、周りからも支えられているんじゃないのかなと。
「信頼する」ということの意味は、なんでもかんでも他人に頼りっぱなしということではありません。
他人に頼ることができる人ほど、「いつもどこかで他人を助けている」からです。
強い人ほど己の弱さを知り、その弱さを認め、人に頼ることをいとわない。
この域まで行きたいものですね。
おわりに
今日はかなりしんどかったものですから、「しんどい時は休んでいい」というタイトルに寄せて、明日こそ休んでやろうかとも思いました笑。
でもまだ余力があるので大丈夫です。
パワーがあり余っているときは「うおー!」と、その力を使いまくればOKです笑。
これは「恩を売っておくこと」とは全く意味が異なると思っていなければなりません。
「見返りを求めた行動」の行き着く先というのは、何も生み出さず不平不満が出てくるだけだからです。
「これだけ与えたのに?」というTAKERの発想になってしまいかねません。
組織にいる以上は、ある程度の「遊び」「余白」をもっておくことを肝に銘じておき、互いに「GIVE&TAKE」があるということを認識しておくといいでしょう。
全員の余力がなくなってしまった場合、その組織はギスギスして取り返しのつかない末路を迎えることとなりますので、「GIVER」に徹して(ボランティアになって)しまい過ぎるのも注意が必要です。
あえて「人を助けよう、助けてもらおう」と意識することは必要ありません。
ただ、実は知らない間にお互い助け合っていることに気づいておくべきかなとも思っています。
自分がしんどい時はきっと誰かが穴を埋め、代理をしてくれています。
僕はそんな穴を埋めていく「スーパーサブ」ですので、これからも迅速な手配を心がけてチームに貢献していきたいと思います。
たまにちょっと休みますけどね笑。
それではまた!
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