こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
僕は今日ほど、ハードモードだった日はありません。
僕の学校の英語科の人数は非常に少ないのですが、今日は、
「6時間あるうちの4時間分の授業」
が自分の受け持っている授業だというのに、なんと僕と新人の2人で回さざるを得ない状況になりました。
いや、本当にシャレにならないくらい「しんどかった」ですね笑。
しかし、お休みの先生方は「休まざるを得ない事情」がありましたので、別にイヤな気持ちで他クラスに自習監督をしに行ったわけではありませんでした。
それは、
- 僕が培ってきた助け合う精神
- 他人のことは気にしないという精神
に基づく力の影響だったのかもしれません。
過去の考え方から現在の考え方まで、変遷をたどってみましょう。
それぞれの事情で休んでもいい

以前の僕といえば、とにかく「他人の休みが許せない」というトガった性格でした。
若かったこともあって、
「プロ意識 = 休まないこと」
と、勘違いしていたことを覚えています。
しかし学校が移っていくにつれて、年齢を重ねて落ち着き、何より各家族やそれぞれの事情を感じられるようになりました。
僕らに子どもはいませんでしたが、結婚生活で忙しくなったことは、間違いなく自分の働き方に対する考えに影響を与えました。
特に僕の周りでは、「家族」が増えて幸せそうにしている家庭が増えてきています。
一方、育児やプライベートに追われて忙しそうにしているところもまた、目にすることが多くなってきました。
そんな姿を見ていますと、
と考えるようになりました。
仮に「パーッと休んじまえ!」と有給休暇を取られる人がいても、今の僕であれば何の問題もなく「どうぞどうぞ」と言って、穴埋め作業に入ることができると思います。
その人にとっての理由があれば十分であって、他人がとやかくいうことではないからです。
どうも日本では、
- 休むことはよくない
- 穴を作ってしまってはいけない
という感覚が「強すぎ」てしまって、少し窮屈だなと思っていました。
それがあるからこそ、ここまで「勤勉な国民性」が培われてきたのですけれどね。
しかし、それも「極端」であってはいけません。
そう思った僕は、同僚がお子さんのことやご家族のことで休むたびに、
と言うように心がけるようになりました。
瀕死状態にはなったものの、なんとかやり切れましたしね。
以前、僕もひどく体調を崩した日がありまして、同僚たちから “いい意味で”「いいから帰れよ笑」と言われたことがありました。
それぞれの事情があるときに、
- 面倒くさがったり
- 休んでいない側の人間がマウントをとったり
することは、よろしくありません。
誰だってしんどい時は休む必要があります。
そんな時は、周りが声をかけて「やっておきます」でいいのです。
それでも、会社や学校という組織は、成り立つのですから。
チームとしての雰囲気を作り上げておく

ただし「助け合いの精神」というものは、一朝一夕で作り上げられるものではありません。
こうしたワンチームの精神を日々醸造していくことは、職場にはとても大切なことである一方で、非常に難しいことでもあります。
いざ同僚が「家庭の事情で休まなければいけない」という時に、職場で切り出しづらい雰囲気があっては、言えるものも言えなくなってしまいます。
- 普段の雑談
- 井戸端会議
などから人間関係を円滑にしておくことは、組織では面倒ながらも不可欠なことです。
僕が若かった時は、一匹狼もいいところでして、トガっては人を傷つけていました。
しかしその姿勢を続けていっても、どこかで消耗しきってしまうことに気づきました。
一人で学校全体を回せるのならそれでもいいですが、そんなことはできません。
学校という組織にいる以上は、お互いに助け合うことが必要不可欠ですし、しんどいこともお互い様です。
一つの雑談例をあげます。
英語科で「10月ってしんどいよね」という雑談が繰り広げられた時のことでした。
そこで冗談半分、本気半分に、
という話が出ました。
冗談であったとしても、こうした発想が生まれている職場に、「心地よい空気」を感じることができました。
誰かが倒れた時は、他の誰かが代わりに走ってくれる。
この安心感があれば、
という考え方ができるようになります。
となれば、
と思うことができるようになるのです。
人に頼ることも特技のひとつ

漫画「ONE PIECE」では、主人公のルフィが、戦闘相手に堂々と叫ぶシーンがあります。

おれは 助けてもらわねェと 生きていけねェ 自信がある!!!
こんなに潔く言われてしまうと笑ってしまうのですが、同時に主人公ルフィがなぜこんなにも愛されているのかがわかります。
さらに漫画スラムダンクでも、三井寿というスリーポイントシューターの名言があります。

奴は今 赤んぼのように味方を信頼しきる事で なんとか支えられている
疲れ切っているはずなのに、なぜかスリーを打ちまくる。
それは、
という信頼があるからです。
こうして信頼のもとに神がかっていく三井寿に、多くの読者が魅了されました。
本当に強い人は「一人でなんでもできる人」ではないのだなと。
世界や社会は、どこかで誰かと支え合いながら成り立っています。
自分が弱いということを知り、恥じらいもなく人に頼ることができる人ほど、
と思います。
得てしてそういう人ほど、力強いパワーを持っているのですよね。
普段から多くの人を助けることによって、他人から頼られているからこそ、周りからも支えられているんじゃないのかなと。
「信頼する」ということの意味は、なんでもかんでも他人に頼りっぱなしということではありません。
他人に頼ることができる人ほど、いつもどこかで「他人を助けている」からです。
強い人ほど、
- 己の弱さを知り
- その弱さを認め
- 人に頼ることをいとわない
この域まで行きたいものですね。
おわりに
今日はかなりしんどかったですが、まだ余力があるので大丈夫です。
パワーがあり余っているときは、その力を使いまくればOKです。
これは「恩を売っておくこと」とは、全く意味が異なると思っていなければなりません。
「見返りを求めた行動」の行き着く先というのは、何も生み出さず不平不満が出てくるだけだからです。
というTAKERの発想になってしまいかねません。
組織にいる以上は、ある程度の「遊び/余白」をもっておくこと。
あえて「人を助けよう、助けてもらおう」と意識することは必要ありません。
ただ、実は知らない間にお互い助け合っていることにも、気づいておくべきかなと。
自分がしんどい時はきっと誰かが穴を埋め、代理をしてくれていますから。
それではまた!

