こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、栃木は宇都宮に行ってきました。
新幹線に乗る時に、後ろの席の方に、

と聞こうとしたら、ヤンキーみたいな色黒のお兄ちゃん…
しかし意を決して(というか何も考えずに)聞いてしまったところ、
と快く承諾してくださいました。
本当に大したことではないのですが、僕は涙が出そうになりました。

世界は優しい人で溢れています。
人と関わることは素晴らしいことでもあり、悩みのタネでもあります。
今日は「僕が人を好きになるまでの経緯」について語っていこうと思います。
人と関わるのが苦手だった
意外に思われるかもしれませんが、僕ほど1人が好きで他人を嫌っていた人間は、世界でも手で数えられるほどしかいなかったと思います。
中高時代は、「自分をさらけ出すこと」が本当にイヤでした。
やはり、

という思いが強かったからでしょう。
誰だって人から嫌われたくはないものですが、どんな聖人であっても、必ず誰かしらとは波長が合わないように世界はできています笑。
「嫌われる勇気」を読むまでは、僕は人の目線ばかりを気にしていました。
それは「他人軸」で生きていることであり、本来の自分ではない「嘘偽りの自分」で生きていたということです。
- 自分のことがキライ
- 自分の意見を言えない
- 相手に合わせてしまう
など、言い方は悪いですが「典型的な日本人」だったと思っています。
実はそれは、優しさではないと思います。
そうです。
自分に対して優しくないと思うのです。
気を使ってばかりの人は、一見すると「優しくて柔和な人」という印象を持たれますが、言い方を換えれば「自分軸がなく何も考えていない人」と捉えられてしまいます。
本当はそんなことはないはずなのに、表に出さなければそうなってしまいます。
何よりそうやって生き続けていますと、そのような性格になっていくものなのです。
当時の僕は、悩みに悩んでいました。

さて、どうしたものか。
これを解決するには、
- 思考
- 行動
がカギだったのでした。
自分を変えるために思考と行動を変えた
先ほどあげた「嫌われる勇気」もそうですが、僕はまず「思考」を変えてみることにしました。
人間関係や心理学の本を何冊か読み、自分なりに納得のできる答えを探しました。
答えを1つに絞ることはできませんでしたが、自分の中で「これだろうな」というものは出来上がりました。
それは以前とは「全く逆の思考法」でした。
- 人と関わる中で自分をさらけ出し、
- どう思われようと関係なく振る舞ってみる。
一見すると「なんでも言いたいことを言う人」ですが、もちろんそういうことではありません笑。
その場の空気感やその人との関係の深さから、「自分色」をどこまで出すかはその都度で判断が必要となります。
ただ、自分を「あまり出し切ることができない状態」が続いてしまった場合、そっと身を引いてきたとは思います。
それは「窮屈だから」です。

そう思えてから、自分をさらけ出すようになりました。
「人生は一度きり」という考え方には、この自己開示のマインドはとても近い部分があります。
自分の生きたいように生きられないなら、それは自分の人生ではないからです。
そうやって思考を詰めていくと同時に、「行動」もしてみました。
- 人前で泣く
- 会話でボケてみる
- SNSに日記を投稿する
- インスタで写真を発信する
- ブログに真剣な想いを書いてみる
など、「自分はこうだ」というものをありったけ出してみることにしました笑。
これほど気持ちのいいものはありません笑。
むしろ出し過ぎています笑。
もし、
- 自分の言動や行動が目に余るもの
- 人を傷つけたり不愉快に思わせたりするもの
これらが散見されれば、今頃多くの人が僕のもとを離れていたと思います。
リスクを取っているようにも見えますが、「自分」を発信して嫌われるようなら、
- 僕の発信内容が悪いか
- どうしても気が合わないか
の2択しかありません。
だから実は、リスクを取っているわけではなく、
「自分をできる限り出すことで、関わる人を選別している」
という解釈もできます。
あとは僕自身が、
- 楽しい存在
- 結果を出せる人
など、一緒にいたいと思わせる価値のある人間であり続ければ、多くの人と関わっていけるのだと思います。
- 自分に正直であり続ければストレスもなくなり、
- 発信を続けていれば魅力的であろうと努力する。
僕はそう思っています。
すると、人と関わることにも抵抗がなくなってきます。
人との関わりで起こるストレスは、実は自分をがんじがらめにして閉じ込めていることが原因だと言うことに気がついたのです。
ひとたび自分を解放することができたら、他人の反応はどうでもよくなってしまうものなのですね。
それでも絶えない悩みはどうする?
そんなスーパーポジティブでオープンな僕でも笑、やはり悩むことがあります。
でも悩んでいる時を振り返ってみますと、結局のところは、
「自分の言動や行動は適切だったか」
という悩みに収束することがほとんどです。
世の中優しい人ばかりなので、あまり他人から攻撃されることはありません。
一方で自分を自由に出すことには限度がない分、その線引きは難しく、どこまで出していいものなのか悩み、時に「やり過ぎた」と思ってしまいます。
ただ、関係を築いている時は、お互い感情を持った人間ですので、
- こちらの言い方
- 相手の受け取り方
は、その都度変わってくるのは仕方のないことです。
僕は最近、非常に細かいところに気を使ってしまっていました。
思えば、その1〜2つ程度の言動や行動で壊れる人間関係なら、もうその関係はずっと続かないはずなのですけどね。
その都度、

と考えることはとても大切なことですが、あまり気を使い過ぎてしまうと、極論「1つ1つの言動や行動」ごとに振り返らなければなりません。
たまに悩んでしまうことは仕方のないことですが、人間関係は、
- 長い時間
- 接触の回数
を重ねることで培われていくものです。
何度も何度も気にしていては、生きていくのがしんどくなってしまいます。
- 倫理や道徳に沿って自分を自由に出していくこと
- その中でたまに間違ったこともしてしまうのは仕方のないこと
- それでも自分を受け入れてくれる人であれば、結局は長く関係が続くこと
僕はこう解釈するようになりました。
人間関係はどうしても抽象的であり、落とし所のないものでもあります。
ただ、自分のありのままに生きていくことは最も大切なことであり、誤解を恐れずに言えば、人からどう思われるかは二の次です。
自分の思うように生きていくことで、人と関わることも苦にならず、むしろ人を好きになることができるようになると思っています。
おわりに
「人間関係」は、僕がブログを書き始めた時からの課題でもありました。
悩む時はとことん悩みましたし、全く気にしない時期もありました。
今は後者の期間のほうが長くなってきています。
それは、自分がありのままでいられるようになったからでした。
ワンピースでも、ハグワール・D・サウロというキャラクターが、こんな名言を残しています。
この世に生まれて 一人ぼっちなんて事は
絶対にないんだで!!!!
自分を嫌う人や、価値観や性格の合わない人もいます。
一方で、自分を好いてくれたり、価値観の合う人が必ずいます。
無理に好かれようとしないことは大切であり、自分が一番心地よいと思えるかどうかが最重要事項です。
乱暴に聞こえるかもしれませんが、あとは他人に決めさせればよいのです。
すると人と関わることも楽しくなってきますし、本当の意味で良い関係を築ける仲間が周りに集まってきます。
僕も長い時間をかけて悩んできましたし、今でもたまに悩むことはあります。
それでも、怖がらずに自分を出していきましょう。
人生は一度きりですから。
それではまた!
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