30代が自分の存在する意味について考える【岩と石と砂の話】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)

先日『夢をかなえるゾウ』第4巻を読み終わりとても感動しました。

第4巻では、「人の死」がテーマとなっており、余命3ヶ月の男性が主人公として登場します。

彼には奥さんと娘がいるのですが、読書後半から最後のほうにかけては、感情移入し過ぎて泣いてしまいました。

ご家族やお子さんがいる方には、強くオススメしたい一冊ですね。

今回は本書で出てきたテーマ「迫り来る死をどう受け入れるか」がとても印象的でしたので、それについて書いていきます。

常に死について、自分の最期について考えておくことだ。いつか来る終わりのために、しっかりと人生を生き抜いていこう。

岩と石と砂の話

死について考え悩む主人公に対して、ゾウの神様であるガネーシャは、

「自分」とは何か?

を主人公に尋ねます。

さてみなさんは、自分のことを、いつどのように「自分」という存在として定義しているでしょうか。

  • 生きている今この瞬間?
  • 死んだ後は、もう自分ではなくなる?

これについて、さらにガネーシャは問いかけてきます。

  • 脳死状態の人は?
  • 意識を失っている間は?
  • 寝ている間は自分ではないのか?
  • 記憶がおぼろげな赤ちゃんの頃は?

いつどの時間の部分を切り取って「自分と定義するか?」は、なかなか難しいです。

そこでガネーシャは、主人公にこんな問いかけをします。

目の前にあるこの塊、あんたなら何て呼ぶ?

と。

主人公の目の前にある「塊」とは、公園に落ちている「石」でした。

それを「石」と呼ぶ以外に、選択肢はありません。

「砂」というほどサラサラしているわけでもないですし、渓谷にあるような「岩」というには小さ過ぎる。

じゃあこれならどうや

と、ガネーシャはマトリョシカよろしく小さな砂つぶの大きさから、大きな岩の大きさまで順々に地面に描いていきます。

どこまでが砂で、どこまでが岩や?

と。

どこからどこまでを石と呼ぼうか…

となりますよね。

ガネーシャが言いたかったこととは、境界線は人間が勝手に決めているものだということでした。

石や砂になる前はもともとそれらは “大きな岩” であり、侵食や風化によって削り出され今の形となっています。

「石」や「砂」という名前をつけることは、「人間の都合」とも言えます。

「自分」という存在にも、同じことが言えるのだと。

ここからここまでは自分だ

という定義をすることは、「ここからここまでが石だ」と定義することと、変わらないということです。

ここからここまでが生で、この時は死だ

と決めているだけなのです。

どれも元は「岩」であったように、人間の生死にも線引きはできないというのです。

生と死の線引きをするということは、

生きている間の人間は、特別な存在である

と、意識してしまうということ。

しかし、人間も元をたどれば、原子などが集まった「ただの有機体」でしかありません。

「死」という特別な概念が入ることはなく、

  1. ただ生まれて
  2. そしてまた元の状態に戻る

ということを理解すること。

これによって、死を受け入れることができるというのです。

何も特別なことではないのですから。

人間の都合によって「自分」や「生」を定義しているだけであり、本来は定義などなく、生まれて死んでゆくという事実があるだけだ、ということ。

境界線はない = つながりを意識する

何年か前に、大学院時代の友人と飲んだ時のことを思い出しました。

人間や自分の「境界線」についての話でした。

「自分という存在」の範囲は、

  • 皮膚の表面までか?
  • 触れているものまでか?
  • オーラが出ているとしたらその範囲までか?

などでしょうか。

僕の友人は、

人間は、元はと言えば原子などの集まりだ

という先ほどの考えを用いて、

全ての物質が繋がっているという考え方に基づけば、自分という範囲は定義できない

と言いました。

つまり、今から食べる目の前のご飯だけでなく、パソコンもコップも時計も本棚も、僕らの一部だったと定義する考え方です。

こうして『夢をかなえるゾウ』の岩と石と砂の話を読んでから、

なるほどあの時聞いた話は、結構深い考え方だったのだな

と思いました。

本書でも、岩が砂へと移り変わっていくように、

「地球上の全てものには、繋がりがある」

と書かれています。

それを意識するだけでも、死を特別視することがなくなり、

死を受け入れて、今を生きていくことができるのだ

と締めくくられています。

僕も人生を見直し始めてからは、「繋がり」を意識することが多くなってきました。

この意識を持つだけで、さらに他人との繋がりを意識することもできるようになり、僕は以前より人に優しくなったように思います。

自分と周りの人やモノとのつながりを意識することで、今の生を感じられるようになり、恐いものがなくなる。

人間の生きる意味 = 経験

本書のラストに差し掛かる場面で、

人間が生まれて死んでいく意味なんて、ないのではないか?

という率直な疑問が出てきます。

  • 岩から石へ
  • 石から砂へ

と流転していくことが当たり前だと捉えることは、自分の存在が特別ではないということ。

では、”人間” として何ができるのか。

そこでガネーシャは、

人間の存在理由は、経験をすることなのだ

と語ります。

死を恐れないことは、「何も考えずに生きていくこと」ということではありません。

死を受け入れた上で、どのような経験をして生きていくのか

これが “生きていく意味” だと言うのです。

この体で、この世界を存分に感じること以外に、何もないのではないだろうか

と。

僕にも、「死ぬまでにやりたいことリスト」があります。

  • サウナ施設を作ってみたい
  • ダンススタジオを作ってみたい
  • 英語関係のビジネス(済)
  • 世界を旅してみたい(済)
  • 様々な言語の人と話してみたい(勉強中)

など。

そしてこれらの経験をするには、行動なのです。

  • 夢を描くのも自由
  • 好きを語るのも自由

一度しかない人生で実現したいのであれば、すぐにやる以外はないのです。

僕は、自分に言い訳をし続けてきた数年間を振り返ってみて、やっと踏ん切りがつきました。

これも本書を始めとして、多くの友人や書籍と出会えたおかげです。

新たな経験をするために、いろいろと手放さければならない時期が、すぐそこまで来ています。

人間が生きる意味は、この世界を経験するためである。

おわりに

現代の悩める人たちに刺さる言葉が、本書にはいくつも散りばめられています。

ただし、この本を読んだとしても行動に移さなければ意味がありません。

僕もせっかく背中を押されましたので、新たな人生に向けて、またチャレンジしていこうと思っています。

みなさんもともに行動していきましょう。

それではまた!

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