こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
すでにテレビを見なくなって早1年ほどが経過しましたが、実は僕にもテレビを見る機会があります。
それはサウナに入っている時です。
サウナに入っている時以外は、テレビを売り払った人間にとって、もはや世俗の情報は入ってきません。
以前に書いた記事を参照してみてください。
千葉の佐倉を旅している途中、佐倉天然温泉澄流のサウナでテレビを見ていた時、テレビではワイドショーを放映していました。
1つ(1人)の事件に関して、延々と垂れ流される報道…
結論:「とにかく無駄」
なぜかを説明する必要もありませんが、改めて感じたことを書いていきます。
ワイドショーはネガティブの巣窟
日中に仕事をしていますと、その時間帯にテレビを見ることはおろか「ワイドショーなんてやっているんだ?」という感覚ですよね。
ワイドショーとは、日中の時間帯に報道される番組で、事件を詳しく扱うことでその内容をじっくりと視聴者に伝える番組です。(これで認識は合っていますかね?)
先日見たワイドショーの第一印象は、
- とにかく1つの事件について長く取り扱う。
- みんなで過ちを犯した当事者をフルボッコ。
- ゲストは「こんなことするなんてあり得ない」を連呼するのみ。
と、見ている側としては何ひとつとして気持ちいいことはありませんでした。
実は以前の僕は、そちら側の人間でした。
コロナ禍は悲惨なものでして、その時は周りのもの全てが憎かったですし、標的を見つけては槍玉にあげていました。
それは僕だけではなかったと思います。
多くの人がストレスを抱えており、誰かに攻撃せずにはいられませんでした。
その後は再び「攻撃した人」を非難するようになり、学校のいじめのような負の連鎖が起こっていました。
それを断ち切ることができたのは、自分だけでした。
とにかくそうしたネガティブニュースを見なくするよう心がけてみました。
そうして月日が流れたのちに、改めて先日のワイドショーを見ていた時には、やはり気持ちいいと感じることはありませんでした。
しかしなぜ、人々があのような番組を見てしまうのか。
自分の経験も踏まえてみますと、
- 安全地帯から誰かを攻撃するのは楽しい。
- 非難・批判している自分は正しいと思える。
- 自分が周りの意見と同じ意見を持っているようで、一体感が生まれる。
- そして自分の正しさを認めてもらっている気になる。
- ストレスを発散することができる。
と、みんなが思い込んでいるからだと思います。
実際はストレス発散でもなければ、自分の正義感を証明する時間にもなっておりません。
ただただ残るのは不愉快な気持ちのみ。勝手に誰かに対して怒っているのですからね。
もしその不快感を感じることができていないのであれば、以前の僕の状態と一緒だということです。
そうして視聴者が釘付けになってくれれば、テレビ局側は視聴率を保つことができ、CMで広告収入が得られるという寸法でしょうか。
僕はこの悪循環を断つことができて、今は本当に幸せになりました。
自らそうしたネガティブなニュースも、積極的に遠ざけるようになりましたね。
人を叩くのはやめよう
まるで小学生の標語とも言えるような、極めてシンプルかつ誰でも分かっていることであります。
(これはもちろん、「物理的に」という意味ではありません)
しかしそれでも人を叩いてしまうのは、先述した通り人々の感覚が麻痺しているからです。
僕は批判的な貧しい考え方から、なんとか脱出することができました。
ここでいう「批判的」とは「生産的な議論」という意味ではありません。単純に他人をボコボコに叩くことを意味しています。
僕がサウナでチラッと見て思ったことは、
- もうそんなに叩かなくてもいいじゃないか…
- サウナ2セット目だというのに、まだ同じ内容を扱っているのか…いつまでやっているんだ?
- ゲスト陣も「こんなの反省の色が見えませんね」って言ってるけど、別にもう言わなくていいじゃないか…
- 1つ1つその人ができていなかったことを、ここまで根掘り葉掘り否定しなくてもいいじゃないか…
- なんでこの人たちはこんなに怒っているんだ?そこまであなたたちに関係のあることなのか?
と言ったように、疑問しか湧いてきませんでした笑。
以前の僕ならこうは行かず、「ふんふん。そうだそうだ!もっと叩け!」と思っていましたからね。本当にヤバい奴でした笑。
ゲストの方々も立場上、「まぁまぁ、許してやればいいじゃないか」と言うことはできません。
そこで僕は、すぐにマインドフルネス(瞑想)をすることにしました。
「こんなの聞いていても、クソの役にも立たない」と思ったからです。
人を叩くことで気持ちがいいと思っているのであれば、それは要注意です。
感覚が麻痺しているか「本当にダメな人間」への階段を下っていることになります。
同調していて気分が気持ちよくなるのは一時的なものでしかありません。
今はワイドショーの構成から内容、ゲストやMCの煽り方や批判的な言い方まで、気にくわないなと感じることが多くなりました。
謝れば済むような問題ではないこともありますが、人が過ちを犯したら法で裁かれてそれなりの措置が取られるものです。
それでいいじゃないですか。それ以上一体何をしようというのでしょうか。
疑問しか残らないため、やっぱり僕は人を叩きのめすようなワイドショーには近寄らないと心に決めました。
人を否定すると自分にも返ってくる
その昔、僕はかなり否定的な人間だったと思います。
「否定的な気持ち」を持っていると、普段から心の中がダークな状態となってしまいます。
それはよろしくありません。
人に優しくできない人に、周りの人が優しくするはずがないからです。
普段から否定的な情報や意見にさらされており、ネガティブ思考が積み重なってしまいますと、知らないうちにネガティブ人間へと形態変化してしまうのです。
ここからの悪循環はとてつもなく速いものでして、周りもそんな人間に近寄らなくなりますし、本人をまとっているオーラもトゲトゲしいものになってしまいます。
それを断ち切るのには時間がかかります。
しかし僕は、なんとかそのネガティブ体質を変化させるようにしてみました。
すると、
- そもそもネガティブなニュースを見ていないので、話題にあげなくなった。
- 話題にあがっても「そんなことあったんですか?ま、どうでもいいですけど」状態に。
- 他人を(悪い意味で)批判する機会が激減し、ほぼゼロになった。
- 楽しいことやうれしいこと、幸せに感じられるようなことで周りを固めるようになった。
などなど、良いことづくしです。
ワイドショーを食い入るようにして見る時間もなくなって有意義な時間が多くなりましたし、普段からポジティブでいられるようになりました。
これも最近感じたことなのですが、人の欠点を見つけてしまった後も、それを引きずらないようになりました。
以前であればその人を徹底的に叩き潰すという、いわゆるセルフワイドショーをとり行なっていましたが、その時に残る感覚はやはり「不快感」のみ。
そこでスパッとその場で終わるようにして、後腐れを残さないようになりました。
他人の悪いところを切りとって、その人のことの粗探しをしている時間は、ワイドショーを見ている時と同じくらいもったいない時間です。
カチッと切り替えるためにも、普段からネガティブなものに曝されないように心がけておきたいですね。
おわりに
テレビを見なくなって、否定的な(攻撃的な)意見に耳を傾けなくなって、どんどん生活の質が向上することとなりました。
こうしてワイドショーを見て「これってやっぱり、なんか違うんじゃないのかな?」と改めて思えたことも、僕にとっては大きな進歩でした。
有限である時間を、明らかに無駄だと思えるものに費やすのはもったいないことです。
僕もまだまだ無意識のうちに時間を割いてしまっているものも多く、テレビのワイドショーを見なくしたように、生活の中でもっと精選すべきことがありそうです。
一番怖いのは無意識のうちにやってしまっていることですね。
できる限り自分のルーティンになっている行動を振り返り、そうした無駄をなくていきたいと思います。
さらなるポジティブ人間になれるように頑張ります。
それではまた!
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