こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
僕が教師になりたての若かりし頃は、
「仕事は全然できない割に、人の仕事ぶりをなじる」
と、回りをところかまわず傷つける思春期の学生のようでした笑。
今日はそんな経験をもとに記事を書きつつ、
- どのように考え方が変わり、自分に集中できるようになっていったのか
- 他人に割いている時間がどれほど傲慢で無駄か
を、お伝えしていきたいと思います。
勘違い野郎
大学院を経て鳴り物入りで教員になった僕の鼻は、天狗のそれよりも高かったことでしょう。
自分をフォローするわけではありませんが、
- 学生時代に個別塾でバイトを6年経験し、
- 大学院時代に非常勤講師として中高に2年間勤めた経験もあり、
- 英語教育の議論に身をおいてきた若者だからこそ、
自信も情熱も兼ね備えていました。
あの時代の自分は「嘘偽りのないピュアな若者」だったとは思っていまして、だから僕は当時のことを否定的にとらえてはいません。
良い意味で猪突猛進していたな、とは思っています笑。
そんな若者が、「疲れ切ったクタクタの教育現場」に入ってきたわけですから、みなさん歓迎もしてくれましたし「頑張れよ」と応援もしてくれました。
それにしても、「勘違いの甚だしい若者」だったと思います。
「自分はいかに教育論を勉強してきていて、あなたたちとは違う世界にいる」
と、思っていたものか。
自分のことを、神か何かだと思っていたのでしょう。
一方で40人の生徒を相手に授業をしてみれば、今は目も当てられないくらいズタボロの授業。
「若いんだから仕方ないよね」で終わるならいいのですが、自分の学んできたことにこだわっていた分、頑固で柔軟性もなく、一切変わろうとしませんでした。
一方で、校務分掌(授業や部活以外の学校運営に関わるグループ業務)は全くと言っていいほどわからず、ほとんど役立たずでした。
最初の一年目は誰もがそうなのは、仕方のないことなのですけれどね。
「大学で学んできたことと現場は違う」
とよく言われるものですが、まさにその通りでして現場はナマモノでした。
常日頃から、些細な変化や動きが絶え間なく続く場所なのです。
天狗より高かった鼻はあっけなくポキンと折れることとなりますが、それは時間をかけて仕事を覚えていくことで、初めて起こった出来事でした。
それまでの僕は、典型的な若輩者といった感じでした。
押し付け時代
特に顕著に出ていたのは、
「俺、英語頑張っている」
というような「謎のオーラ」でした笑。
いつかの飲み会のことでした。
- 僕は通勤時間には英語を聞くようにし、
- 空き時間で英語の勉強をし、
- 帰ってからも一所懸命うんぬんかんぬん…
と発言したことを覚えています。
確かに、今の自分も見習うべき姿勢ですし、英語教師として頑張っていて偉いことなのですが、人前で言うべきことではないですよね。
「俺は英語を頑張っている(お前らも英語頑張れよ?)」
といった、偉そうな態度でした。
あぁ恥ずかしい…顔から火が吹きそうです。
本当に英語力のある人は、そんなことは言いませんからね。
若い頃の僕の周りには、
- 英語教育熱のある友人や、
- 英語の能力が高い友人
といった「すごい友人」がたくさんいたこともあって、日本の英語教育の現在と未来に憂いていたことは事実でした。
それにしても、新進気鋭感があふれ出ていましたね笑。
さらにもう1つエピソードがあります。
職場にも慣れ始めた2年目のことでした。
英語科の年上の先生と英語教育(確か評価についてだった気がします)のことについて、職場で議論になったことがありました。
内容はあまり覚えていませんが、何か納得がいかなかった点があったのか、
- 論点をまとめたものをfacebookに投稿し、
- 僕の友人たちの叡智を結集させたコメントをプリントアウトして、
- その先生の前に叩きつけてやりました。
何と言う時間の無駄なのでしょうか。
そんなことをされたところで、その先生が読むわけがありません。
- 能力もなく、
- 人の話も聞かない、
- それでいて他人に自分の意見を押し付ける人間
が、どのようにして変わっていったのかを見ていきましょう。
他人に自分の時間を捧げない
当時ルームシェアをしていた友人も、同じような悩みを抱えていました。
彼は職場をマネジメントしていた分、僕のケースよりも深刻な悩みでした。
彼は、
「ナメくさった態度で、話を聞こうとしない部下」
を叱責するも、なかなか変わらない現状に参っていました。
そのことを上の先輩に相談したところ、
「その人に時間を割いて怒って悩んでいる時間があったら、自分を磨いたり自分の成長のために時間を使いなさい」
と言われたそうです。
管理する立場である友人が、そのような悩みを持つことは間違っておらず、むしろそれが仕事と言ってもよいです。
そうだとしても、その先輩上司の言葉には確かな重みがあり、深く納得したと言っていました。
当時の僕も、同じようにハッとさせられました。
「俺、何してるんだろ」
と。
「一教員でしかない、クソの役にも立たない若造が、他人にかまっている暇はないんだ」
と思ったのです。
その時聞いた言葉は、まるで自分に跳ね返ってくるような、そんな重みのある言葉でした。
また「嫌われる勇気」を読んだことで、他人への干渉が無意味な時間であるとともに、自分勝手な行動だということも悟りました。
後輩の教育や悩みの相談ならまだしも、自分の理念を勝手気ままに押し付けるなんて、暇もいいところです。
「そんな暇があるのであれば、自分を磨いて、ない頭をもっと実のあるものにして、一人の男としてドンと成長してみよう」
と考え直したのです。
努力している人は見ればわかる
年を重ねて経験も豊かになってきますと、随分と尖っていた僕も丸く柔らかくなりました。
以前の僕も、今思えば「尊敬に値する姿勢」だったと思いますし、そのようなまっすぐな姿勢をこれから敢えてなくす必要はないと思っています。
たくさんの知恵と経験をインプットすることで、静かなる闘志を燃やしていこうと決めました。
僕が思ったことは、
「空っぽだった自分にもっと説得力が欲しい」
ということです。
その力を教育界でつけていくために、今の僕に必要なことは「勉強と実地経験」でした。
授業の空き時間に英語を勉強していれば、見ている英語教師陣はただならぬ空気を感じます。
他人からよく見られようと思う必要はありません。
自分が成長するために勉強するのであって、勉強している事実を振りかざす必要もありません。
自分が努力し続けていれば、生徒たちからも尊敬してもらえます。
友人たちも「俺も負けてられない」と思います。
そうやって努力することが、自分にとっても、周りの人間にとってもプラスに働くのです。
おわりに
以前の、
- ギラギラしていた、
- 他人とドンパチやっていた
時代があったからこそ、身についた能力もありますし、成長したこともあります。
一方で、
「他人にかまっている時間があったら、自己研鑽や大切な友人・後輩との時間に使ったほうがマシだ」
と思うようにもなりました。
- 他人に干渉しようとすればするほど、変わらない相手にイライラしますし、
- 期待すればするほど、そのリターンが得られないこと
に、愕然としてしまうからです。
実際は他人を変える必要はなくて、自分が変わればいい。
それだけのことなのです。
自分の人生を豊かにすることに集中していけば、きっと周りだって豊かにできるはずです。
人生は有限です。
そう思うと他人に干渉する時間を極力減らして、自分の時間に充てていきたいものですよね。
まだまだ伸びしろしかない30代、成長は青天井です。
もっと自分と向き合う時間を大切にしていきたいと思います。
それではまた!
コメント