こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
「継続」といえば僕の得意といいますか取り柄といいますか、むしろそれしかできないとすら思っているのですが笑、多くの人にとっては難しいものですよね。
僕は、継続するために大切にしていることがあります。
それは「必ずやめないこと」です。
禅問答のような答えになってしまって申し訳ありませんが、この考え方はとても大切なことだと思っています。
今日は続けることよりも「やめないこと」について、僕の考えを述べていきます。
好きでなければ続かないのは当たり前のこと
継続は力なり
この言葉の魔力は凄まじく、
と思われる方が多いかと思います。
結論から言いますと、僕は続けることはとても良いことだと思いますし、この言葉を否定するつもりもありません。
ただ僕が意識しているのは、
「続けなければいけないという、切迫感の中でやらないこと」
が大事だ、ということです。
何ごとも好きではないと続かないように、
と思ってやっているうちは、必ずどこかでストップします。
見てください、この僕のブログを笑。
- 好きなことを書き、
- 好きな人たちに向けて発信し、
- なんのプレッシャーも感じていない。
この条件下であれば、続けられないわけがありません笑。
「続かないもの」というのは、
- 実は好きではない。
- なんとなく言われてやっている。
- 意味はわかっていないけど大切だと思っている。
そのようなものです。
ざっくり言えばその人にとって「漠然としたもの」であることが多いです。
僕が継続しているものは、自分にとって必ずそこには、
- 大切で
- 大きな
「意味」があります。
逆の例をあげましょう。
僕が始めても続かなかった典型例は「楽器/ボードゲーム/テレビゲーム」などです。
兄妹が音楽センス抜群であり、家に楽器がたくさんあったので、
と思って触り始めたピアノやギターなどなど…
結論から言いますと「無理」でした笑。
「継続の鬼」だからこそわかるのです。
と。
偉そうに聞こえてしまったら申し訳ないのですが、継続が好きな僕としては、
と思っています。
もちろん、今でもそう思っています。
ただそれが好きではない限り、続けたいと思う気がしないのです。
コロナ禍になってからも、学校の音楽室で試しにピアノを触ってみましたが、全くもって続けたいと思いませんでした笑。
他にも、
- 同僚と「囲碁」に挑戦したり
- テレビゲームでも買ってみようかと思ったり
もしましたが、やはり「興味がわかない」と思って放り出しました笑。
自分にとって興味のないことやワクワクしないことは、続かなかったのです。
それを無理に続けようと思うのであれば、それは悪い意味で苦行か修行でしかありません。
まずは好きになれるものに出会うこと。
これが大切だということですね。
続けることとやめないことは違う
実は「続けたくて続けているもの」はありません。
もっと言いますと、「続けたい」と強く願うよりも「続けないと自分がダメになる」という麻薬的な発想のほうを続けている感覚が強いのです笑。
よく、
- 英語
- 筋トレ
- 食生活
の継続を褒められることがありますが、たまたま僕のやっていることが他の人にとっては難しいことや苦手なことであるだけだと思っています。
確かに、
と思われるのかもしれませんが笑、僕にとってはそれがないとダメになってしまうくらい、必要不可欠のものばかりなのです。
先ほどの例からすれば、僕の兄は四六時中ずっとギターを触っていた時がありました。
楽器の練習が、あまりにも細かすぎてイヤだった僕からすれば、
と思っていました。
また祖母のいる宮城に遊びに行った時も、従兄弟の子どもたちが延々とゲームをしているのを見ては、
と、まるで珍獣を見るかのような目で、尊敬していたものでした笑。
僕のケースでも、兄や従兄弟のケースでも、共通していることがあります。
それは「やめられないこと」なのです。
「続けること」と「やめないこと」は、僕にとっては似ているようで大きく違った意味を持ちます。
「続けること」は、どちらかと言えば意識的に取りにいくイメージであり、「やめないこと」は無意識的に続けてしまうイメージです。
世の中の偉人たちを見てみても、一見すると、
- 汚いこと
- 人の嫌がること
- 難しそうに見えること
を継続しているように思えます。
しかし、それは他の人にとってそうであるだけであり、彼らからすれば「やめられないこと」なのだと思います。
兄や従兄弟が夢中になって「AのことやBのこと」ができるのと違い、僕にとっては「Cのこと」が楽しくて仕方がない。
ただそれだけのことなのです。
「やめない」とは意識的に、
ということではなく、「やめられない」にとても近い。
やめられないから勝手に続いてしまう。
僕はそれを「継続」と呼んでいます。
人生を「好き」で埋めること
人生を「好きなこと」で埋めていくことは、以前の僕からすれば不可能だと思っていました。
「甘ったれるな」と笑。
しかしお金の勉強を始め、人生について深く考えてみますと、今の働き方が、
- 事務的で非生産的なことが多いこと
- 自分の人生にとって意味のないことが多いこと
がわかり、
と考えてしまいました。
そして1年以上にも渡って考え、導き出した結果が「退職」の二文字でした。
退職に向けて、最初こそ焦り散らかしていたものでしたが笑、
と考えた僕は、30年以上生きてきて今が一番幸せで充実しているといった結果となりました。
好きで好きで仕方のないものは、自然とやめられなくなるものです。
それをビジネスにするかどうかはまた別の話だとしても、今の僕にとっては例え本業がなくなったとしても、やめられないことはずっと続いていくのだと思っています。
その中で「誰かの役に立てること」につなげていくことも、できなくはなさそうですしね。
「継続しているもの」(したくて仕方のないもの)がいくつかありますと、それだけで人生は豊かになっていきます。
僕はまだ本業のほうでの縛りがありますが、現状が豊かになりつつあることを見てみれば、好きなことを継続していくことは、明らかに人生にとって良いことだと思います。
- 好きで仕方がなくて
- どうしてもやめられないもの
で人生が埋まっていくことは、僕が追い求めていた人生であり、自然と「意味のある時間」が続いていきます。
自分の限られた人生という時間を、それだけ夢中で駆け抜けることを意味するからです。
- どこかで無理をして
- 自分のイヤなことだらけであふれ
- やりたくもないことばかりを続けている人生
は、継続できることも少なく、豊かであるはずもありません。
それなら、好きなことで埋めていきましょう。
それが自然と「継続」となっていきます。
僕はこのことだけを大切にして、好きなことをやめずに継続しているのです。
おわりに
継続することは、「好き」から始まります。
「好き」が高じて「得意」となり、「誰かのため」につながります。
間違ってはいけないのは、
- 無理をすること
- 本心に反すること
を継続してしまうことです。
それは単調に「続けていること」であり、往々にして自分にとって「意味のないもの」である可能性が高いです。
もしかしたら、今の職場や仕事について深く考えてみれば、
と思っている時間や仕事もあるかもしれません。
それはプライベートでも同じですね。
自分にとってやめることができないくらい、夢中になれる好きなことでいっぱいにしていくこと。
そんな人生を生きていくのも、悪くないと思います。
それではまた!
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