こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日ALTと、生徒や人間関係についていろいろと話していたところ、
という話になりました。
ちょうど現在読んでいます「開き直る禅思考」にも、完璧を求めないことについて書かれていました。
考え方はいろいろあり、僕も概(おおむ)ね賛成しています。
ただ僕自身が成長していけたのは、常に100点を目指して努力をしていたからでした。
その微妙なニュアンスとは一体なんなのか。
書いていきます。
人間はみな、完璧なんかじゃない。
みんながみんな、完璧なわけじゃない。
少し考えればわかるはずなのに、以前の僕は、人にも自分にも「完璧」を求める「完璧主義者」でした。
自分のことは棚に上げておいて、
- できの悪い生徒に突っかかり
- 人ができないことに対して露骨にイラ立つ
など、教育者の風上にも置けない人間でした笑。
しかしそれから徐々に、
- 本を読むようになり
- 尊敬できる人たちと出会うようになり
他人と自分の境界線を引き始めてからというもの、自分ごとに集中できるようになりました。
そもそも自分が完璧でもないのに、人に完璧を求めることはおかしな話です。
仮に僕自身がものすごい努力家だったとしても、100点を取れることなんて非常に珍しく難しいことだと承知しています。
その現実がわかったことで心がとても豊かになりましたし、人に優しくなることができるようになりました。
また、完璧じゃないからこそお互いを助け合うわけですし、「不完全さ」に魅力があるのも人間の良いところですよね。
「ミロのヴィーナス」は両腕のない彫刻ですが、だからこそ想像を膨らますことができますし、その姿がむしろ「美しい」という人もいるくらいです。
その「不完全さ」の魅力に気づかないままでいますと、「自分でその穴を埋められない人」に対して、
と、強く当たることになってしまいます。
それは自分の首を締めることにもなりかねません。
人はみな完璧ではないことを知っておくべきです。
間違ったって、できていなくたっていい。
むしろそれが「人間らしさ」なのですから。
ただし完璧を目指し続けること
ここで矛盾しているような言い方になってしまいますが、僕は「完璧を目指す」ことを大切にしています。
僕は、
- 完璧を求めること
- 完璧を目指すこと
は全くの別物だと思っています。
常に「完璧を求めてしまう」と窮屈になりますし、ギスギスしてしまいます。
大切なのは「姿勢」の問題です。
- 完璧でないことを嘆いてネガティブになる。
- 完璧でない人を非難して、その人に高い水準を求める。
この考え方は、ざっくりですが「良くない」と言えるでしょう笑。
という考え方でも十分であり、終わった行為自体に対して否定的になったり、完璧でないことを悪く思う必要はないということです。
ただし僕は、後者の「完璧を目指すこと」は、とても大切で必要な姿勢だと思っています。
僕がダンスやランニング、ブログを続けているのは、単純に「楽しいから」ということもありますが、そこに「成長」を感じることができるからです。
常に、
と思っているからこそ続けていますし、成長したいからこそ踊ったり走ったり、書き続けたりしているのです。
もちろん、ライフワークとして続けていたり、リラックスしながらやったりする趣味もあります。
ただ、
というのもまた、違うのではないかと思うのです。
- 自己実現
- 自己肯定感の向上
に直結するのは、「成長すること」だと思っているからです。
成長しようとする人は輝いて見えますし、どんどん見たことのない新しいステージにいくことができます。
何か目指すものがありますと努力もできますし、その道中で同じ仲間(同志)を見つけることもできます。
ひとたびその快感を感じてしまいますと、
と思わずにはいられないのです。
だから「100点でなくていい」というキャッチフレーズは、捉え方によっては良くない表現にもなると思っています。
何かを続けていく上で「毎回100点を取れること」はありえませんが、アスリートや芸術家、あるいは起業家のように、
そう強く思い高みを目指すからこそ、継続できるし成長し続けることができるのではないでしょうか。
ひたすらに前進していく姿勢もまた、僕は悪くない生き方だと思っています。
80点にもいろいろな感情が含まれている
80点を取ったとしても、その時にどう思うのか。
先ほどの「姿勢」の話ではありませんが、この「気持ち」の部分も僕は大切にしています。
80点を取った時に、
と思いつつも、
同時にそう思うものです。
この間走りました「ハーフマラソン」「フルマラソン」はどちらも不甲斐ない結果であり、走り切った達成感と、自分の力のなさを同時に感じたものでした。
ダンスバトルも、出るまではいけるいけると思うのに、出た後では反省点が山ほど出てきます。
英語のスピーキングも話せるようになったかと思えば、知らない表現、聞き取れない単語に悔しさがどんどん湧いて出てきます。
しかしそこに対して、
と思うことは、ほとんどなくなりました。
少しずつ「成長している現実」のほうに、目を向けられるようになったのです。
- ブログは30記事でネタが尽き、内容も稚拙。
- 英語はずっと資格試験を避け続け、ほとんどしゃべれず向上もせず。
- ダンスは最初クルクル回ることができず、長距離なんか3kmでノックアウト。
そう思えば、今は本当に成長しているではありませんか。
みなさんにも、必ず「できなかった時」があります。
それは「始めたての頃」です。
それでも継続していくことで、少しずつ成長していく自分がいます。
そのことに気づいてあげてください。
ストイックであることは、できない自分を否定して前に進むことではありません。
少しずつ成長している自分を認め、次はもっと大きくなってやろうと思う継続力のことです。
僕はそこに魅力を感じ、好きなことを継続するようになりました。
たくさんの出会いに恵まれ、素晴らしい景色も見ることができました。
毎回100点を狙わなくてもいい。
でも心の中には、「いつか頂上へ…」という気持ちがあってもいいのです。
結果に対して自分がどのように感じ、次にどうしたいのか。
それが明確になれば、自ずと「続けたい」と強く願うようになってゆくものなのです。
おわりに
それぞれの目指すべき道があり、正しいとされる道なんてありません。
だから常に、完璧でなくてもいい。
しかし、この言葉を「表面上だけで捉えてはいけない」とお伝えしました。
それは、100点を目指すことを「否定的に捉える必要もない」と思うようになったからです。
成長していける自分を好きになることだってできますし、過去の自分より1歩でも前に進んでいれば、過去の自分に対して胸を張ることもできます。
最初は誰でも、できないが当たり前です。
その後は60点、70点…80点と歩を進めていけばいい。
そして成長する自分を認めてあげながら、また次の目標に向かって走っていけばいいのです。
成長する毎日は、とても気持ちの良い感覚です。
運動、仕事、趣味、勉強。
何においても「先に進んでいる感覚」を持てると、楽しめるのかもしれませんね。
それではまた!
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