こんにちは。
学校やスポーツ、医療では救急救命の演習が行われますよね。
僕はAEDの場所とか使い方とか毎年習うのですが、なかなか覚えていないですし「本当に使う時がくるのかな?」と思ってしまうことがあります。
しかしながら、かく言うすずきはなんと救急車を呼んだことが2回あります。学校外です。
その時の状況と、経験を通して感じたことをお伝えしようと思います。
倒れる
部活の引率もそろそろ終わりだなと、生徒数人と駅に向かって歩く昼下がりの午後。
こんな天気のいい日は気持ちよく家でのんびりしようと考えを巡らせていると、生徒がいきなりポンポンと僕の肩を叩き「先生、なんか人が呼んでる!」と言いました。
こんなところに知り合いがいるのかなと思って振り返ると、おばあさんが「誰か助けてー!!誰かー!!」と叫んでいました。
大通りの反対側の歩行者道だったのですが、おばあさんと倒れているおじいさんが視界に入るや否や、僕の体は動いていました。
僕が駆け寄ると、生徒たちも後に続いて近くにきました。
おばあさんは「急に倒れてしまって…どうしましょう…どうすればいいんでしょう?」と動揺して震えていました。
ただ僕にとっても初めての経験でしたので、勇んで近くに行ったは良いものの、救急車を呼んだ経験がなかったためにあたふたしてしまいました。
その時は僕もパニックで携帯を持つ手が震えており、救急車が110か119かわからなくなっていました。
すると生徒が「先生!119です!」と助言してくれたのでなんとか繋ぐことに成功。
「火事ですか?救急ですか?」という流れから状況を聞かれ、名前や住所を言う時に駅のどちら側ですかという説明になりました。
その時はだいぶ落ち着いており、他の方々も何人か集まってきてくださったので、冷静に対処することができました。
おじいさんは意識があり、呼吸はできていたことも手伝って安心できていました。
ちなみにそこで聞かれたのは交差点です。
大きい通りであれば、交差点に場所を表す看板が必ずついているからです。
これは経験して初めてわかったことでした。
たぶん医療専門に従事していると思われる人が、冷静におじいさんを安静の体位にしてくださったので、事なきを得ました。
無事救急車が到着するまでも、電話をかけた僕はわかりやすいところに立って救急車を誘導しました。
その時におばあさんが、
「命の恩人です。どうかお名前と住所を教えてください!」
と言ってきたので何度も断ったのですが、結果折れて住所を渡しました。後日菓子折りが届きました。
救急車を見送った後も茫然としており、まだ心臓がばくばくいっていました。
「こ、これが救急救命なのか?なんという緊張感なんだろう…」
自分の力の無さと経験の浅さに、がっかりした日でした。
再び倒れる
地元の駅を歩いていたところ、駅前でパフォーマンスなどの催し物があったので通りがかりに見てみると、僕の目の前でいきなりおじいさんが倒れてしまいました。
一回目からさほど日も経っていなかったので、まず第一に意識があるかどうかを確認しました。
一回経験しましたので、焦るよりもまず意識があればとりあえず大丈夫ということを学んでいました。
意識があり呼吸があれば、心肺蘇生をしたりAEDを急いで持ってきたりする必要もありません。
ただし口を切って出血しており、立てる見込みもなかったので「迷ったらすぐに救急車」という言いつけを守り、救急搬送をお願いしました。
救急車がくるころにはだいぶよくなっており、見た感じだと「酔っ払って転んだだけ」という様子でした。
「人騒がせだなぁ」とも思いましたが、それで済んで良かったというものです。
この時は駅前の広場で人も多かったので、だいぶ安心して対処することができました。
緊急事態に直面したら
この手のマニュアルは本当に多くあり、皆さんも「そんなこと知っているよ」と言うに決まっています笑。
でも医療やライフセーバーなど現場を経験していないすずきのようなド素人にとっては、頭でわかっていてもやはり経験を積まないとこれは無理というものです。
いや無理でなくても、事態に直面した瞬間に本当にパニックになります。
「人間こんなにも簡単に混乱するものなのか」と、つくづく経験に勝るものはないと思いましたね。
素人なりに何がベストだったのかなと思いましたので、マニュアル以前にまずとにかく確実にできること・やるべきことを2つあげます。それは、
- 「大丈夫ですか!」と急いで現場の近くに駆け寄ること。
- 倒れている人の状態の確認。意識・反応・呼吸があるかどうかが問題。
たぶんこの2つが最優先事項だと思います。
人が倒れた時に同伴している側からすれば、とにかくすぐに何人かの人が来てくれることが安心材料になります。
僕は一回目の時にすぐに体が動いたので、我ながら当時の反応はとても良かったと思っています。
自分に何ができるかどうかは関係ありませんので、とにかく駆けつけてください。
それだけでおばあさんからはとても感謝されました。
それくらい、倒れた人を一人でなんとかするには荷が重すぎますし、混乱してしまいます。
逆に言うと同伴者や近くの人が倒れましたら、人を呼ぶのも大きな手助けになります。
焦る気持ちもわかりますし実際僕はめちゃくちゃパニックになりましたが、その際に倒れた方の意識・反応があるだけでひとまず安心できますので、そこをまず確認してください。
(※ただし呼吸があっても心臓が止まる前の呼吸である「死戦期呼吸」の可能性もありますので、その場合は時間との勝負だと言われています。
この死線期呼吸かどうかは素人では判断できないらしいので、明らかに乱れている・喘いでいる呼吸の場合は心肺蘇生の措置を取らなければいけません)
ここは専門的な知識を要しますので、適切な措置は信頼性のある文献や専門の方の指導を参考にしてください。
とりあえず「医療・救急救命の素人」が一番先にやるべきことはこの2つだと思いました。
何かの参考になれば幸いです。
それさえできれば、あとはご存知のマニュアル通りで大丈夫だと思います。
僕は緊急事態を経験したので「もし意識がなかったら心臓マッサージをして気道確保をして…」と想像を巡らせることまでできるようになりました。
本当にそのような場面に直面した時、こんな僕に何ができるのかはわかりませんが、最低限の措置だけでもできるようにしておきたいと思っています。
おわりに
命を救ったとまで大袈裟なことは言えませんし、本当に危ない現場を経験されている方々からすれば大した経験ではないかと思います。
しかし普段では経験し得ない状況を一度でも経験しておくことで、今後の動きにさらなる冷静さとスピードが加わります。
「何事も経験だな」と思わざるを得ないのは、僕がしたこの経験が全てを物語っているからです。
やっぱり人間、経験していないことはなかなか語れません。
だからこそ、
- できる限り新しい経験や体験をできるように積極的に行動すること。
- 物理的・時間的制約があるため、本などの媒体で知識や情報を入れること。
が、僕の今の目標、というか行動指針です。
少し話を広げます。
1は本当は諸外国に行って学びたいのですがひとまずおあずけということなので、県内や日本国内など限られたところで頑張ります。
人生は有限ですし体は一つしかないので、1ができない場合は僕らの神様である「本」に頼っていきます。
最近は毎日活字に触れることで多くのことをインプットしています。
もはや活字に触れないと禁断症状が出てきてしまい、電車の広告など目に入る活字を目をガン開きして見てしまいます笑。
仕事の隙間時間や通勤の往復でできる限り本を開くように心がけています。(ワンピースも読んでいます笑)
そしてなにより、学んだことを話したり書いたりすることによって知識をアウトプットし、いつでも引き出せるような体験に近い感覚にしておくことも心がけています。
するといざという時に「刀」が出せるというものです。
刀を磨き、素振りをしておくことで、いつでも振り抜けるようにしておきたいですね。
そう言えば高校時代、毎朝の通学時に必ず単語帳を開いていました。
またその時並みの熱が戻ってきたということで、頑張って続けていきたいと思います。
話を戻しまして、例のおばあさんからは本当に感謝されました。
大したことをしたわけでなくても、人は何かの役に立てるのだなと思いました。
こういうご時世だからこそ、小さな働きでも人の役に立てるのだと改めて考え直し、仕事に邁進していきたいと思います。
それではまた!
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