こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、友人から勧められてアニメ「チェーンソーマン」を見ました。
グロテスクなシーンもありますので、苦手な人にはオススメできませんが。
最初は「思春期の男の子の恋心と、アクションアニメ」だと思っていたのですが、気になり始めたので、ちょうど購読していた「ジャンプ+」で一気に最新話(2部の学園編)まで読みました。
読み進めていきますと、主人公が、
- 最低限の生活
- 当たり前の暮らし
について心底喜んでおり、僕の忘れていた気持ちを思い出させてくれました。
今日は「平和ボケしている日本」について書いていきたいと思います。
今の暮らしを客観視する
このブログを書いている時も、安定の「コメダ珈琲」で山食(やましょく)パンを食べていたのですが、
と思いました笑。
以前から僕は「すでに十分幸せである」とはお伝えてしてきましたが、チェーンソーマンを読んでいますと、改めて今の「十分すぎるほどの生活」に感謝しつつも「違和感」を覚えました。
主人公のデンジは父親の借金を背負い、
- 1日3食を食べられれば幸せ
- お風呂に入ることができれば十分
という、いわゆる「貧しい生活」を送っていました。
それでも「生きていること」に対して感謝し、様々なことを考えながら前に進んでいきます。
今の僕らの生活はどうでしょうか。
ちょっと我慢して週4〜5くらいで働いて、手取り15〜20万円くらいもらって、週休日に好きなことをする。
仕事はしんどいかもしれないですが、僕は最近「幸せすぎる」とすら感じています。
だからと言って、
と喝を入れたいわけではありません笑。
今の生活を「幸せだと認識できたこと」が、僕にとっては大きな転換点となったのです。
実は今まで、どうも窮屈で切羽詰まった生き方をしており、満たされない日々が続いていたからです。
日本は平和ですし忙しさを言い訳にすれば、毎日を淡々と何事もなく過ごすことができます。
僕はそう思いました。
そう思ってから、サウナや旅を始めたのです。
すると気持ちにも行動にも、変化が表れたのでした。
貧乏なマインドになってしまった過去
僕の家は「経済的に貧しい家庭」でした。
しかし今思えば、母のご飯も美味しかったですし、毎日部活動の練習着も洗濯してくれて、とても幸せだったなぁと感じています。
一番の代償は、「金銭的な貧困さ」が「精神的な貧困さ」に直結してしまったことでした。
- カッコいい服を着てみたい
- 贅沢な暮らしをしてみたい
- 目の前に出されたのなら全部ほしい
いわゆる「渇いている状態」でした。
仕事を始め、まとまったお金が入ってくると同時に、
- 後輩に奢(おご)ったり
- パートナーにブランド物を買ったり
と、調子に乗っていたことを覚えています笑。
もちろん「お金を使うこと」それ自体は全く悪いことではないのですが、「渇きに対する反動」だったことは明らかでした。
また、
- お金を貯めて安心したい
- できる限りお金を使いたくない
という、変な方向の「倹約」をし始めます笑。
本来支払うべきところに「対価(感謝)としてのお金」を支払わず、結果的にムダな飲み会やスナック菓子にバカスカとお金を使っては、普段の生活では「節制という名のケチ」を貫いていました。
貯蓄率はものすごく高かったのですが、「お金を使う力」が明らかに足りていませんでした。
いわゆる「独り占め」ですね。
しかしこうして自分の「幸せ」を求めて軸を確立していきますと、逆にムダなお金を使わなくなったのですから自分でも驚きです。
- 旅行
- カフェ
- サウナ
- プレゼント
など、「自分が幸せだと思うこと」に使えるようになった一方で、日常では「最低限の暮らし」をするようになりました。
それは「足るを知った」からですね。
そう思えるようになったのは、今の自分が十二分に幸せであると実感したからです。
幸せを実感するには、意外にも一度「やり過ぎてみる」ことが良い手法なのかもしれません。
コロナ禍では、本当にいろんなところにお金を使ってみたものでした。
大した額ではなかったのですが笑、僕にとっては、
という気持ちになったのです。
すると、今の状況がいかに恵まれているのかに気づくことができます。
平和な「今」の状況を理解するだけでも、幸福度はグンと上がるのですね。
日本の暮らしを知っておく意味
「最低限の暮らし」に、驚くほど満足するチェーンソーマン主人公デンジ。
そう思うようになりました。
僕が世界を見たくなったのは、「日本の暮らしが世界から見てどうなのか」を知りたかったからでもあります。
日本各地の地方に行くだけでも親近感が生まれたように、世界各地に行けばその国に対する理解も深まると思っています。
日本の地方に行っただけでも「知らなかった!」と感じることが多いのですから、世界に行ったら「カルチャーショックの嵐」でしょう。
そうして他の国々の暮らしと比較することを、若いうちにやっておきたかったのです。
「平和ボケ」とは警鐘を鳴らすために使われるワードだと思っていますが、僕の捉え方は少し違います。
日本がどこか精神的に豊かではないのは、
- 平和であるがゆえに渇き続けている
- 平和であるがゆえにもっと求めてしまっている
からなのかなと思っています。
僕がまとまったお金を手にした頃のように、
このような考えに至ってしまっているのかもしれません。
「ボケてる」というより何も考えていないような、そんな感覚です。
しかも、もっと欲してしまっている。
自分も含めて、今の日本の状況に気づけていない人が多いからなのかなと。
それを払拭するには、僕自身も目を覚ます必要があります。
いつまでも「平和な暮らし」に甘んじている場合ではありません。
節制しながらも行動することで、「本当の現実」を見に行くのです。
おわりに
海外を経験した人の話を聞くだけでも、
としみじみ思います。
あとは「直接的な体験」をするだけです。
日本生まれ日本育ちの僕が「体験すること」は、僕にとっても大きな意味があると思っています。
世界を旅している日本人はごまんといますが、だからと言って僕が「わかった気」になっていてはいけません。
平和な国、ニッポン。
いつまでも夢を見ていないで、もっと現実を見に行かなければなりませんね。
それではまた!
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