こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
2023年3月24日(金)が、僕にとっての教員人生「最後の日」となりました。
15歳の中学1年生の頃、素晴らしい先生に出会えてから10年が経ち、ようやく「教員になる」という夢を叶えた25歳。
そして神奈川県で働くこと9年。
実に多くの経験をさせていただき、
という願いは、思っていた形はどうあれ、叶うこととなりました。
今日は「僕が教員人生を歩んでみて感じたこと」を書いていきます。
現場での洗礼
教育現場で幸せに感じたこと。
これについては、言うまでもありませんね。
「生徒たちと触れ合っている時間」
この時間は、何にも代え難い時間でした。
そもそも僕が先生になりたいと思ったのは、「先生とは尊敬される存在だから」という理由が発端でしたが、もう1つは、
と思ったからでもあります笑。
ただ残念だったのは、着任当初の僕は「あまりにも未熟だった」ということでした。
こればかりは、どうすることもできません。
大学院まで長く教育の研究をしていたとはいえ、現場で戦うには「力不足」でした。
- 同僚との衝突
- 生徒たちとの距離感
などに悩まされ、うまくいかない日々が続きました。
そんな中、持たされた「ダンス部」で、僕は成長させてもらうこととなりました。
一所懸命頑張る、生徒たちの姿。
何かにひたむきに生きるその姿勢は、大学時代に死ぬほど練習していた時の自分を思い出させてくれました。
そう思ってから、生徒と距離を取るようになりました。
いえ、それまでは「近すぎた」のです。
「生徒に何かできるはずだ」と勘違いをし、生徒に干渉しすぎていました。
また「自分が青春を味わいたい」という身勝手な考えも、生徒からしたら鬱陶しい考え方だったのかもしれません。
生徒は精神的に未熟な面がありますが、自分で考え行動している一人の人間です。
その行動を、
- 間違わないように
- 失敗しないように
と、僕は制限しすぎていました。
生徒本人が、正しいと思う生き方をすればいいだけなのに。
少しずつ彼らの頑張りを横でそっと見守ることができるようになり、成長を手助けしている感覚を持てるようになった時、
と思うことができたのです。
生徒と過ごした青春の日々
公立の学校といえば、あの「独特の古さ」が印象的ですよね笑。
でも僕は、あの公立高校の雰囲気がむしろ好きなくらいです。(もちろん綺麗であることに越したことはありませんが)
ただし、学校という環境は「良くも悪くも独特の場所である」ということを知っておかなければなりません。
先生になりますと、中には「学校が全てだ」と言いかねない人も出てきますからね。
- 閉鎖的だからこそ、排他的になることもある
- クラスや部活などのまとまりがあるからこそ、密になることもある
両方の側面を知っておかなければ、生徒が人間関係でうまくいかないときに、彼らの選択の自由を奪うことになります。
あくまで先生は中立の立場を貫き、生徒の選択の自由を尊重してあげることが大切です。
思春期の生徒たちの心の変化を大切にしながら、彼らが活躍している場を見ていくことほど、感動することはありませんでした。
「成長」とは、いつも美しいものとは限りません。
時に、
- 激しく
- 切なく
- 胸の痛いもの
もあります。
みなさんも経験があるように、誰しもが学生時代を楽しく過ごせたわけではありません。
生々しい人間ドラマがあり、不器用な生徒たちが悩みもがきながら過ごしていく空間。
それこそが「学校」なのです。
また教師同士でも意見や指導方針の食い違いがあり、そこで精神をすり減らしてしまう先生もいます。
しかし先生も生徒も、そんな傷を負うからこそ成長していきます。
もちろん僕自身も、
と思っています。
ただ、「成長する」ということは、人との関係性の中で「自分が」気づいて経験していくことでもあります。
- 部活で
- 行事で
- 授業で
生徒たちのいろんな顔を見るたびに、
と、涙が出そうになります。
彼らの心情の変化も(わずかですが)知っている側からしますと、その感動も一入(ひとしお)です。
「青春」という言葉は、言い得て妙ですよね。
まだ青いながらも、春を感じていくこと。
その瞬間は綺麗なものばかりではなく、紆余曲折あるような「長い過程」も必要です。
生徒と出会って1週間で感動することなんて、ほとんどありません。
長い月日の中で育まれていく関係の終わりに、初めて感動するものなのですね。
生徒たちの未来が明るいと信じること
以前にも、僕は「生徒の未来」について記事を書いたことがあります。
教師たちにできることなんて、ほとんどないと思っている僕ですが、
「彼らの未来を信じてやること」
だけは、僕らのできる仕事だと思っています。
今日、体育館で生徒たちに向けて僕がしたスピーチは、我ながらとても熱いものとなりました。
人生は一度しかないからだ。
君たちがもし他人の敷いたレールの上を歩いているのなら、今すぐやめなさい。そんなことに時間を費やしているほど人生は長くないのだから。
今あるその与えられた命を、燃やせることができるくらいの「熱くなれるもの」を見つけなさい。
そうすればきっと、みなさんの周りに人が集まってくるはずだから。
君たちはまだ若い。だから僕は、君たちの未来が明るいと信じている
以前の僕は、
と思っていたこともありました。
しかし彼らの頑張りを見れば見るほど、日本の未来は明るいと思わずにはいられないのです。
彼らの発するエネルギーによって、僕はいつも力をもらっていました。
僕の半分くらいの人生しか生きていない生徒たちが、こんなに一所懸命頑張っている現場に立ち会えるなんて、奇跡以外の何ものでもありません。
ツラくなった時、仕事を辞めたいと思った時でも教師を続けることができたのは、いつも生徒たちの笑顔がそこにあったからでした。
「光」となり得るような、「正」のエネルギーを発している生徒たちの、近くにいること。
これだけで僕は、彼らの未来が光に満ち溢れていると感じました。
- 彼らの未来を信じることのできる大人が、近くにいてやること
- 彼らが闇に支配されそうになった時に、近くにいて支えてやること
僕が教育現場にいてわかったことは、このことでした。
生徒たちを信じれば信じるほど、彼らは僕の予想も期待も大きく超えてくるのです。
教育現場では人間の「闇」の部分、ツラいことやしんどいことと向き合い、必死で歯を食いしばらなければならない場面も多いです。
そんな中でも前に進み続ける若者たちの未来が、明るくないわけがありませんよね。
実は僕のことを救ってくれていたのは、現場で出会ってきた生徒たちだったのかもしれません。
彼らの笑顔が僕の「光」となり、ずっと先の未来まで照らしてくれています。
だからこそ、僕も彼らに恥じることのないように、前を向いて進んでいかなければいけませんよね。
おわりに
様々なことがあった9年間。
僕は何か大きく変わることができたかと言えば、特別何かを感じているような気がしません。
今は僕が、前を走るのに必死だからなのかもしれませんが。
生徒たちと過ごした9年間は、まるで家族としゃべっているかのような、心地よい時間でした。
人が多ければ多いほど、その関係性を繋いでおくのに労力を要します。
ただ、それでも踏ん張って9年も続ければ、僕にはもう怖いものはありません。
この経験を糧に、また新しい挑戦を続けていこうと思います。
それではまた!
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