こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、サンパウロでゆったりと一日を過ごしました。
サンパウロには有名な美術館がいくつかあるのですが、たまたまその日が月曜日だったこともあり、州立美術館しか開いていませんでしたが、結果「最高」でした。
少し遠くまで行ってもよかったのですが、前に行った日本街のお店が気になっており、そこに行った後は周辺をブラブラして一日を過ごしました。
久しぶりにゆったりしたせいか、
と感じました。
今日は「少額で幸せを買う方法」について書いていきます。
自分が感じる幸せを知る
僕の「幸せ」については、日本にいた時にすでに完成されており笑、
- サウナ
- 美術館
- コーヒー(カフェ)
で全て完結していました。
さらに、
- 大好きな運動をすること
- 人間関係が良好になってきたこと
なども重なり、「幸せ」を絵に描いたような暮らしができていましたが、
- 働き方に疑問があったこと
- 世界を見てまわりたかったこと
などの要素が現れ笑、少しチャレンジングな「世界旅」を企てたわけです。
世界に出ても「僕の幸せのカタチ」は相も変わらず、上記の3つを求めてはゆったりしています。
今思えば、世界に出る前に「自分の幸せ」について考えることができたことは、とても良いことでした。
この軸がしっかりしていないと、どこかで「ブレ」が生じてしまうからです。
どこにいても、自分にとっての幸せを見定めておくことです。
そのカタチは、人それぞれでいいのです。
ただ僕は、
と感じています。
高級なものも「一(いち)体験」としてはいいのでしょうし、もしかしたら僕も高級なものにも価値を感じる可能性もあります。
でも僕は、
と思っています。
想像の範疇を越えることはありませんが、世界を回ってきた僕からすれば、
と思っているからです。
現在2023年は日本の物価がまだ安いからかもしれませんが、1,000円で外食ができてあれだけ美味しいものがいただけるのですから、もう贅沢だと思っています。
という意見を否定するわけではありませんが、
「そこに価値を感じている僕」
を想像することは、あまりできませんね。
価値を感じるなら躊躇なくお金を払う
僕は「価値を感じるもの」にお金を積極的に払うようになりました。
海外に出てからは、特に収入もなかったので躊躇したこともありましたが、
と思ったツアーや大きな美術館には、何が何でも必ずお金を払うようにしていました。
確かにそう考えてみれば、
ということにもなりそうですが、そこは取捨選択をしています。
「価値を感じる」にも様々あり、
という億万長者もいるかもしれません笑。
体験したことのない僕が言えることではありませんが、先述した通り「幸せ」とは、
「お金をかければかけるほどいい」
という公式に当てはまらないところが「ミソ」です。
僕はホステルを転々としていますが、「高級なホテル」とはまた違った体験ができますから、「お金をかけなくても得られるもの」でもあります。
もちろん逆も然りで、「お金をかけるからこそ」できる体験もあります。
その議論に答えはなく、もし答えを知っている人がいるとすれば、「地球上の全ての体験」をした人くらいでしょう笑。
それぞれの趣味趣向も違ければ、幸せの感じ方も違います。
「お金をかける体験」を否定しているわけではないのですが、僕の中ではある程度「幸せの定義」は決まっていますから、ちょっとした時にしかお金を使うことはしていませんし、それで十分です。
この旅でいえば、一番は何より「交通費」です。
これはもはや「浪費」としての出費とは言いづらいくらい、旅なので「マスト」の要素ですから、仕方のないことですけどね。
それ以外では上記のようなもの(体験やコーヒーなど)には、ノールックでお金を使います笑。
そんなものでいいのかなと。
- 価値を感じる
- 躊躇なくお金を払う
- ただし高ければいいわけではない
僕の場合は高いものである必要はないことが多いです。
聖人ぶりたいわけではありません。
「本当に価値あるもの」とは、そこまで値段が高くなくてもいいのです。
身の丈にあったお金の使い方をする
と言って、バカスカお金を使っていいわけでもありませんし、お金があるからと言って、「使うこと」に注力し過ぎている億万長者も聞いたことがありません。
と、多くの書籍に載っていたからです。
そういった意味でも、
「僕には僕の身の丈にあった使い方」
があるのだと感じています。
もちろん、余るほどお金があったら、僕も選択肢をグッと広めることができるかもしれません。
それでも、「身の丈にあった」とは決して「お金のある/なし」に依存しているわけではないと思っています。
もし僕が億万長者だとしたら、決して今のような旅はしていなかったことでしょう。
それはそれで否定されるべきではありませんが、同時に「今僕がしている体験」は決してできないということもまた事実です。
一方で、大学生からすれば、
と言うに違いありません。
つまり「それぞれのできる範囲」が、ある程度決まってしまっているのは否めないということ。
だからこそ、それぞれなりに「幸せ」を探していけばいいのです。
とはいえそれでも、仮に大学生と比べても僕は、「少額」でかなりの幸せを感じられていると思っていますけどね笑。
コスパがいいのかもしれませんが、1つ言えることは、「足るを知る」ようになったことが一番のことだったのではないかと思っています。
仮に「豪華な体験ほど幸せに直結する」と設定するのならば、それはもう終わりのない探究となってしまいますからね笑。
常に「上には上がいる」からです。
僕はそう感じています。
- 必要なところには(それなりの)額を出し
- あとは足るを知りつつ、自分の身の丈を見つつ生活すること
「どこからどこまでの額が身の丈に合っている」ということは、自分にしかわかりません。
と感じることも悪いことではありませんし、そう感じるということは身の丈に合っていないということ。
別にケチではありませんし、いえもしかしたらケチなのかもしれません笑。
それも自分が決めればいいことなのです。
他人からどうこう言われる筋合いはありませんが、
と言って無理して支払っているとしたら、それはよろしくありませんね。
- 自分が幸せを感じるものを選定し
- そこに躊躇なくお金を支払うものの
- 自分の身の丈に合っているかどうかを考える
この流れを大切にして、僕は旅を続けていきます。
おわりに
人からみれば、僕のお金の使い方は、
- 倹約家
- 十分な浪費家
の、どちらとも捉えることができます。
「少額」とは、
と言ったほうがいいのかもしれませんね。
それでも、僕の浪費額はだいぶ少ないほうだと思っています。
そこに幸せを感じることができているかどうかが大切です。
僕はサンパウロで十二分に幸せを感じました。
いつでも軸をブラさずにいたいですね。
それではまた!
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