僕の承認欲求がほとんどないわけ【感謝されているだけで十分】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

いろんなところで先生をやっていますと、感謝されることがあります。

一方で「褒められること」はなくなります。

個人的には、

感謝すること ≒ 褒められること

だと思ってはいるのですが、先生とは「できて当たり前」のほうが多く、確かに、

先生、すごいね!

と言われることはあまりありません。

僕の場合、世界を一周をしたり他言語を勉強したりしているものですから、「すごい」と言われることもあるのですけれど、褒められたくてやっているわけではないので、

うーん、僕の承認欲求はどこに行ってしまったのだろう?

と考え直してみることにしました。

今日は「僕の承認欲求が消えたわけ」について書いていきます。

承認欲求はなくていい。感謝されるだけで十分なのだ。

昔は承認欲求のカタマリ

学生時代の僕は、とにかく「勉強が全てだ」と思って生きていました。

今のようにダンスやランニングをすることもなく、

頭の良さがその人の価値を決める

という、かなり危ない思想の持ち主でしたね笑。

それは「なまじ勉強ができた」からなのかもしれません。

テストでいい点数を取れば、

  • 親から
  • 先生から

褒めてもらうことができますからね。

それをいいことに、高校に入ってからも「点数を伸ばすこと」だけに明け暮れ、最終的には東大や京大を目指すことが全てだと勘違いしていました笑。

こういう考え方になってしまったのには、根本に「勉強が全て」という考え方があったからだと思っています。

裏を返せば、

「勉強」というものを失ってしまっては、自分には価値がなくなる

と思っていたのでしょうね。

だからこそ、

自分は勉強で認めてもらうしかない

と思い込んでいました。

その時も実はかなり褒めてもらっていたはずなのに、どこか人から見下されていると感じていました。

  • 周りの期待
  • 自分のプライド

いろんなものが重なってしまい、結局は浪人するという散々な結果に至りました。

今思えば大したことはなかったのですが、とにかく「周りの評価」を気にして生きていましたね。

自己否定もよろしくなければ、プライドが高いことも問題ですので、その按配(=バランス)を探っていくのは至難の業(わざ)です。

ただ当時は、

勉強すればするほど渇く

という、悪循環に陥っていましたね。

それは、人からの称賛を求めすぎていたからだと思っています。

人間、求めると欲に限界がなくなるものです。

本来、承認なんて求めなくてもいいものなのに、現代社会でSNSが発達したおかげで、数字を追い求める人が増えてきたのも事実ですね。

以前の僕は、自分の頑張りや実力を認めて欲しかった。承認欲求のカタマリだったのだ。

変わったのは自分を認めてから

浪人して大学に入学した後も、自分の英語の能力のなさから、

人から認められたい

という欲求は残り、社会人になってからも続いていました。

それは何より、

自分は何かを成し遂げることのできる人間なんだ

錯覚(=勘違い)していたからだと思っています。

本当は「凡人」なのに、自分に宿っていると思い込んでいた「才能」を過信していたのでしょうね。

相次ぐ失敗に納得できなかった僕を変えてくれたのは、離婚コロナでした。

自分の人生を考え直す毎日。

何かのヒントが欲しくて、毎日のように自己啓発本や偉人たちの書籍を読み漁りました。

その時に感じたことは、

自分は何者でもない

という、ごく当たり前のことでした。

そして、

  • 自分の弱さ
  • 自分にできること

を知るようになります。

自分のことを認められるようになりますと、それ以上を人から求めようとしなくなります。

先生を始めた当初は、

どうだ!俺の英語の指導はすごいだろ?

と思っていましたし、英語力や指導力のない先生を裏でディスっていました。

イキっていた時代ですね笑。

今となっては、

  1. いかに自分が凡人で
  2. いかに自分には何もできないか

を知るようになりました。

面白いものでして、

自分はできている!評価されるべきなんだ!

と過信している時ほど、承認されることを望んでしまうのです。

さらに面白いことに、そういう時ほど人は離れていくものです笑。

ある意味、承認されるにはもっともっとシンプルなことが必要ということ。

それは、他の誰かに認められることではなく、まずは自分を認めることです。

そうしますと、それ以上の「承認」を求めなくなります。

すでに満たされているからですね。

僕が承認されることを必要としなくなったのは、自分で自分のことを認めるようになってから。

そこが起点だったのです。

人から認められようとするのではなく、まずは自分を認めることだ。それだけで満たされるからだ。

感謝されれば満たされる

「承認欲求」とはいろんな要素から生まれるモノであり、

「一括りにして定義できるもの」

ではないと思っています。

僕は先生となって数年、いろんな生徒や保護者と話していく中で、いろんな経験をしてきました。

もちろん最初は、

生徒や保護者から感謝されたい

と思って、必死に働いていたものですが、実際はそこに欲求がなくなればなくなるほど、感謝されるようになりました。

たまに、

適当に力を抜いている先生がかっこよく見える

という若い先生もいますが、それは違うと思っています。

無関心であることと承認欲求がないことは、同義ではないからです。

大切なのは、先述した通り「自分にできること」を必死に続けていくこと。

僕は承認欲求がなくなってきて、

とにかく誰かのためにならないか?

と考えるようになってから、より感謝されるという現象を目の当たりにしてきました。

つまり承認欲求とは、ある意味、

先にくれ

と言っているようなものなのです。

その前に、自分にできることをしっかりと全うすること

賞賛だの感謝だのは、後からついてくるものですからね。

先に感謝される」ということはあり得ないのです。

そうして自分からたくさん出して(=与えて)いますと、いろんな人から感謝されるようになりました。

一方で承認欲求がある人は、負のループにハマってしまうことになります。

それは、

「一生満たされることのない世界」

だからです。

まず自分が何かしら、人のために頑張ってみること。

そこから自然と「承認」されてゆくのです。

ただ気をつけたいのは、なんとなく褒められる経験をしてしまうこと。

褒められることに慣れていないと、気持ちよくなってしまい、

もっと欲しい!

という気持ちが出てきてしまいますからね。(以前の僕のように)

僕は人から感謝されるだけで、

うわぁ〜ありがたいなぁ!

と思うようになりました。

それからは、

もっと自分を磨こう!

とも思いましたしね。

感謝されれば、それで十分です。

そのバックをエネルギーにして、今日もまた頑張るのです。

自分のできることをやって感謝されること。これだけで十分なのだ。

おわりに

なくなってしまった承認欲求。

「誰かに認められたい」というその純粋な気持ちを、否定したいわけではありません。

ただ「欲求」という言葉が入っているように、欲とは延々と続いていくものであるという理解をしておく必要があります。

まずは自分を認めてあげましょう。

そしてできることを続けていくこと。

それだけで、回り回ってみなさんがあなたのことを認めてくれますし、そうでなくても「あなた自身」が認めてくれるので大丈夫です。

それではまた!

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