広くいろんな人を受け入れるために持つべき心【暴力は何も生まない】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

選挙も終盤に近づいてきて、いろんなデマやガセが飛び交うようになり、誹謗中傷も増えてきました。

僕もこの波に乗ってみるかー

と、軽い気持ちでXの何かの投稿(忘れた)にポストしますと、ある党に対するアンチが数人、反応してきました。

僕はかなり論理的に会話をしたい人間ですので、

なぜそう思うのですか?
Aがこうならない限り、Bもこうはならないでしょ笑

と理詰めをしますと、どんどんアンチは去っていきました。(おいアンチもっと頑張れ笑)

でもなぁ。なんだか違うんだよなぁ

ちょっと参加してみた、Xのコメント欄。

今日は「いろんな人を愛していくこと」について書いていきます。

世の中には寂しい人たちがいる。そんな人たちも愛せるような、広い心を持っていこう。

世の中は寂しい人が多い

アンチの人たちを始めとして、世の中には「寂しい人」がたくさんいます。

  • かまってもらいたい人
  • ただ何か言いたいだけの人
  • 人の悪口を言ってスッキリする人

などなど。

これらの人々に共通していることとは、「リアルが充実していない」ということ。

この一点に尽きますね。

要は、リアルの生活で不安や不満がとにかく溜まっていて、何かこう「どこかにぶつけたい」という思いがあるという人たちですね。

こういった人たちは、自分で頑張ろうとはしません。

あいつが悪いんだ!

と人のせいにし、叩くことによって快楽を覚え、「自分はマシだ」と勘違いします。

しかし最終的に行き着くところは、「ただの寂しい人生」なんですよね。

みなさんもお分かりかと思いますが、人を叩いていたって人生は豊かになりません。

もちろん、僕だって「批判/議論」はします。

それは違うでしょ
そうは言うけど、本当にそうかな?

と。

そうした批判や議論と「無意味に憎悪から叩くこと」は、全く出発点が違います。

後者は、

むしゃくしゃするから誰か叩きたい
こんなうまくいかないのは誰かのせいだ
なんとか自分のポジションを維持しておきたい

そういう考えから来ています。

こう思ってしまっている人は、人生がすでにツラいのでしょうね。

その寂しさを埋めるために、誰かに食ってかかったり、なんとかかまって欲しいのです。

僕らはそうなってはいけない。

むしろ、そういう人たちがいない世の中を望むのです。

世の中は寂しい人たちばかりだ。そういう人たちほど、現実でのやり切れなさをSNS上でぶつけたり、他人を非難したりすることによって、自分を満たそうとする。しかし実際は、満たされないで渇いていくだけなのだ。

大切なのは話してあげること

僕がレスポンスを送った方の何人かからは、細々とリプライが来ました。

人によっては僕のツイートを「引用リツイート」し、

これが〇〇党支持者がするような発言です

という主旨で引用投稿。

僕が、

どこが間違っているのか指摘してほしい

とお伝えしたら、「うるせぇ!じゃあな!」と言ってブロックされました笑。(大丈夫です。なんとも思っていませんので)

お分かりのように、僕がしたいのは、

  • 説得でも
  • ケンカでも

ありません。

話し合いをして「何が問題点で、何について声をあげているのか」を聞きたかったのです。

やってみてわかったことは、

あぁ、やっぱりそこに理念とか信念はないんだなぁ

ということでした。

先述したように、彼らは基本的に「可哀想で寂しい人たち」なのです。

彼らはこうした “中身のないこと” でもいいから、安全地帯から誰かを批判することによって自分を保っている、そんな人たちなのです。

逆に僕が彼らに噛みついてしまったら、

  • 相手が被害者ぶるか
  • 相手とケンカになるか

のどっちかくらいです笑。

こういった人たちを、僕は貶(おとし)めたりバカにしたりしたいわけではありません。

今回の実験では、

なんだよ。やっぱり叩きたいだけだったのね

という結論が出ましたので、もういいかなぁと思いました。(時間も割かれましたしね)

むしろ、話してみてその「本質」を知りたかったのです。

結局、彼らに自分の軸はなくて、「ただただ内容のない可哀想な方々」だという結論が出ました。

でもこうした方々ともやり取りをしてきたのが、元教員である「僕」です。

攻撃をしてくる人がいる場合、僕は冷静でいられるか?

と思ってはいましたが、リプライは “クソがつくほど” 丁寧な返しをすることができて、

なんだ、せいじ、意外と感情的にならないのね

と、我ながら思いました笑。

しっかりと対話をすることが大事。

そうでしたよね。

ただただ「誹謗中傷合戦」をするだけなら、僕はここに返事なんてしません。

ちゃんと「話し合いたい」のです。

中には現実がうまくいかなくて、誹謗中傷に明け暮れてしまう人もいる。まず話を聞き、会話をしてみること。常に冷静に対話をするのだ。

聞いてあげて暴力で解決しない

僕は元教員ということもあって、いろいろと経験があります。

若かりし頃は、モンスターペアレントとバトったこともありました笑。

自分の未熟さゆえでもありましたので、反省しています。

今回のやり取りのように、

その人にはその人の言い分がある

とは思っています。

だから僕が今回できたことといえば、「相手の言い分を聞いてあげる」ということでした。

世の中には、SNS上でなんとか攻撃的に絡んで挑発しようとしてくる人がいます。

そんな時は、僕が先生時代にやっていた対応を思い出しますね。

要は、

相手は子どものように、かまって欲しいだけなんだ

と思ってあげることです。

あーはいはい。うんうん。それで?

というように。

これができますと、相手もガードを下げてきます。

すると「議論」ができるようになります。

もちろん言っていることはトンチンカンなので笑、議論と言うにはほど遠いものありましたが、それでも広く受け入れてあげることです。

その気概がなければ、僕はいちいちこんなことしません。

そうした人々も「広く愛すこと」が、僕の目的だったのです。

確かに、罵声を浴びせてくる人もいるでしょう。

SNS上だとイキっている割に、リアルであったら全然議論もできない人なんて腐るほどいます。

それでも、そういう人たちがどういう背景を持って反論してくるのか。

僕はそれが見たかったんですよね。

そこで僕自身もイキっていたら、本当にただの言い合いの大喧嘩です笑。

そんなリスクを取りたいがために、コメントしたわけではありません。

世の中にはいろんな人がいるけれど、そこを暴力や力でねじ伏せても意味がないんだよなぁ

と。

それができたら、もう僕だってギッタギタにしてますわ笑。

暴力に訴えて問題が解決するなら、各国だって戦争をして土地や資源を奪っていることですし。

そうではなく、そうした人たちと「話」をしてみること。

ここで懐(ふところ)を深くできなければ、世界平和なんて夢のまた夢なんですよね。

何か感情的に反論してくる人とは、子どものような人たちだ。そこで冷静さを欠くことなく、しっかりと大人の対応をしよう。暴力に頼って何かをしようとしないことだ。

おわりに

みなさんもいろんな「議論」をしたことがあるかと思います。

時には感情的になり、ただのケンカになった経験がある方もいることでしょう。

そうならないためには、相手のことをしっかりと受け入れてあげることですね。

僕も暇ではないのですが、いちいち反応ができたのは、今回はあまり多くの人からの反論がなかったからです。

これが多くなってくると、

そんなものにいちいち返信してられない

となるのでしょうね。

僕はいろんな人を受け入れられるような人でありたいですね。

まだまだ精進していきます。

それではまた!

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