こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日見たAbema TVで、EXIT兼近さんの発言がとても面白かったので引用します。
彼は、
という趣旨で、お金の使い方についてコメントをします。
この考え方が面白いなと思ったのは、
という考え方です。
彼の場合は、成功する前の話をしているのだと思いますが、僕なりに解釈を広げたところ、
と思いました。
今日は「僕らは何も持っていなかった」ということについて書いていきます。
「欲しい欲しい」は何も持たない人の反動
今でさえ僕はモノを持たないミニマリストの部類に入りますが、以前は結構、
と思っていたものでした。
足るを知るようになってからは、
と思うようになりましたし、
- 家も
- 車も
できるならば持ちたくないと思っています。
ただ、そう思えるようになったのは、
- 経済的に豊かになったこと
- 人と比べて見栄を張らなくなったこと
が主たる原因でした。
やはりモノを持っていなかった(まだ手に入れていなかった)時のほうが、モノを欲していたのです。
当時はリッチな人が羨ましかったものでした。
今は別に他人との差も感じておらず、「何に幸せを感じるか」が個人的にわかっていますので、特にモノを必要としていません。
公務員として働いていた時は、それこそ潤沢に資産がありましたので、全くと言っていいほどムダにお金を使わなかったですし、ある程度のモノは手に入れることができていました。
実際、僕らが求めているものなんてその程度のものなのです。
つまり、お金に困窮していた時ほど、足りなさを埋めるようにモノに執着していたと言えるでしょう。
でもそうやって、
と言っている間は、貧乏であるという証拠。
金銭的な意味ではありません。
ということです。
自分の身の周りにあるものに満足できていない人は、一生「何か」を追い求め続けていくのでしょう。
僕の生活はもう十分ですし、特別何かが欲しいと思っていることもありません。
何も持っていなかった時こそ、モノを求めていたのでした。
僕らはもともとゼロだった
兼近さんの発言は、とても興味深いもので、
と思わせてくれました。
そして当然のことですが、この世の資産を「あの世」に持っていくことはできません。
この考え方は、いろんな場面で効いてきます。
例えばお金。
僕は今、一所懸命お金を稼いでいますが、お金に対する執着みたいなものも消えてきました。
「お金を稼ぐことが悪い」という意味ではないですからね笑。
ただ、この世の中での不安とされている、
- 貯金できているかどうか
- 投資したものが増えているか
などは、実はかなり瑣末なことだと気が付きます。
そう思っていいということなのです。
最初はみんな「0」からスタートしているはず。
そう考えれば、
と考えていることは、ちょっとした欲張りなのかもしれませんね。
僕らが生まれた時のことを振り返れば、
という疑問が生まれます。
最後にはまた、ゼロに戻るだけですし。
仏教がなぜ「人生に意味はない」と説くのか、なんとなく理解できますよね。
こう言いますと、確かにお金やモノはミニマリズムの絶好の批判対象となりますけれど、そこから見えてくる「人生の幸せ」はまた違う議論なのかなとも思っています。
お金やモノによって、幸せを生み出すこともできるからです。
ゼロから始まって、人生において瑣末な金やモノを、
- 欲してみて
- 手に入れてみて
そこで初めて気づくこともあるのかもしれませんからね。
ただ最終的には、今稼いでいるお金や手に入れたモノたちは、大局的に見たら刹那的なものでしかないのですけれど。
すると、
と思えたり、あるいは、
と思えたりするようになります。
僕も今は「ゼロ」に近い状態です。
モノはほとんど持っていませんので、今持っている資産をどう使いこなして人生を豊かにするのか。
それが問われています。
失うことを恐れるな
こうしてあまりモノを持たなくなった僕は、文字通り失うモノがあまりないため、
と怯える必要はないと思うようになりました。
強いて言うなら、お金がたくさんあれば、
と思う程度ですけれど、ちょっと計算してみればそれもたかが知れています。
教員時代も頑張ってお金を使ってみたものの、
- カフェ
- サウナ
- 美術館
くらいにしか私的に利用することができなくて笑、むしろ誰かのために時間をかけてお金をもらうことのほうが、これからは増えてきそうです。
こうなるともう、僕の資産には手がつけられなくなってきます笑。(いい意味で)
今後は教員時代よりも、
- 気持ちよく働く時間が増えて
- 自分の生活は最低限のお金でまかなう
ことができるようになるため、教員時代と変わらずに「失うこと」を恐れなくなりそうです。
そして、
という「危ない思想」を持ち合わせれば、再び悟りを開いた男の完成です笑。
もともと僕らは何も持っていなかったのに、何かを求めていくのは傲慢でしかありません。
キレイごとに聞こえますが、それはお金やモノを欲していた僕だからこそ、行き着いた答えなのかも知れませんね。
失うことに対して恐れるものがなければ、あとはどんどん稼いでいくのみ。
そのお金をまた、
- 自分の事業に投資してみたり
- ちょっとした幸せに投資してみたり
することで、僕も僕の周りの友人も幸せになったら、それは素晴らしいことなのかなと思っています。
失うことばかりに目を向けずに、これから手に入れていくものに目を向けること。
それはお金でもモノでもなくて、
- 大切な人との時間
- 自分が幸せになることのできる空間
なのでしょう。
と思わずに、生み出していけるよう、踏み出していきましょう。
おわりに
もともと持っていなかった状態に戻るだけ。
考えてみればとてもシンプルなことなのに、人間とは一度何かを手に入れてしまうと手放したくなくなるものです。
それならばもう一度、ゼロに近づけてみましょう。
自分の求めていたものがきっと、瑣末なものだったということに気づくはずですから。
それではまた!
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