こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
最近また、僕は「生(せい)」を感じています。
先日は久々にサウナに行って(しかも1,000円笑)、

と感じました。
また、
- 夏の夕空を見ては感動し
- 公園の新緑を見ては感動し
- 夜の虫の声を聞いては感動し
まるでこの世に生まれたばかりの赤ちゃんみたいに笑、毎日「目に見える全てのこと」に対して感動しています。
みなさんは「生」を感じていますか。
今日もまた「生きること」について深く考えていきたいと思います。
全てに対してマインドフルネスを
僕はここ最近、イヤホンを外して環境音を聴き、自転車をスイーっと走らせながら図書館に行っています。
埼玉の小さな街ということもあり、見える山々はとても美しく息を飲むほどです。
聞こえる音もどれも自然のものですし、近くの公園で子どもが遊んでいましたら、顔が「これでもか」と言わんばかりに崩れてしまいます笑。
日本に限らず、この地球という奇跡の惑星に生まれた僕らは、どこかで「生きるということの稀有(けう)さ」を忘れてしまっていたのかもしれません。
それはひとえに、「働くこと」が主となった現代社会が生み出した結果なのだと思っています。
ここで僕が指摘した「働く」とは、
「自分の精神を削ってまでも働く」
ということを意味し、多くの人が、
と思っているかと思います。
でも本当は、そうじゃない。
- 家族と一緒に笑って
- 友人とどこかに行って
- 仕事では信頼関係を築いて
と、生きている生活の一部に「仕事」があるべきなのです。
僕も休みなくフルスロットルで働いていますが笑、とてもしんどい思いをしたり、

と思ってやったりしているわけでもありません。
僕はオンラインの先生ということもあって、授業をしている時も「幸せだなぁ」と思っています。
- 食べる時も
- 仕事の時も
- フラッと出歩く時も
朝起きてから寝るまで、全てに対して意識を向け、マインドフルネスをしてみること。
僕は学校の先生をやっていた後半の時も、教室の中から雨や風、空を見ては感動していました。
「生」を感じるためには、多忙であってはいけません。
余裕を持てるように、働き方をシフトしながら “仕事” を探していくこと。
今の僕は、

という気持ちよりも、「心から『生』を感じていたい」という気持ちのほうが、強いのかもしれませんね。
人生について考えること
僕は最近、日本の現状を憂いていることもあって(おい)、より「今」を大事にするようになりました。
公務員(教員)を辞めて新たに個人事業主となった去年(2024年)は、必死さもあってか「余裕」がなくなっていて、空いている時間でお金を使っては自分を癒していました。
別に去年のことを嘆いているわけではありません。
“そういう時” とは、人それぞれあるものですからね。
今は少し図太くなったからか笑、

といった状態です笑。
と思われるくらい笑、毎日のルーティンを愚直に続けています。
でも「だからこそ」だと思うのです。
僕がやっている「がむしゃらさ」は、以前の「多忙さ」や去年の暗中模索の感じとは違って、
- やるべき目標に向かって
- 全力で走り続けているだけ
なのです。
常に「終わり」を意識し、いつ自分の命が絶えてもいいようにしています。
あまり大袈裟だと思わないほうがいいです。
人はいつか亡くなりますし、それがいつなのかは誰にもわかりません。
若くして事故で亡くなる人もいますし、僕だっていつ事件や災害に巻き込まれるかはわかりません。
だから常に、「今できること」を考えておくこと。
いつも自分の人生について考えておき、これからどうしたいのかを深く考えておくこと。
僕は年ごとに目標を立てる人間ではありませんが笑、

と思うようにはしています。
人生についていろいろと考えた結果、今に至ったのですね。
他人に優しく。だけど踏み込まない
人生においては、本当にいろんな方々と出会うかと思います。
マインドフルネスが大事だとはいえ、いつでも一人で過ごしているわけではありませんからね。
僕の場合であれば、
- 家族
- ダンス仲間
- 元生徒たち
- 元同僚の先生たち
- コミュニティの友人たち
- オンラインの生徒さんたち
など、とにかく幅広くいろんな方々と交流させてもらっています。
実はそれが、そうでもないんですよね。
以前にも書いたように、僕は「場づくり」がとても好きです。
みんなで会って話して、ワイワイやっている姿を俯瞰して見るのが、僕にとっての幸せでもあるのですね。
そうやって「幸せ」な空間にいる時ほど、僕はマインドフルネスをして、

と思うのです。
人との関係で、ある程度「ドライであるべきだ」ということも、以前の記事でいくつか書きました。
確かに人の時間とは大切な空間ではあるのですが、そこに固執したり依存したりした時点で、

と言っていることと等しくなってしまうため、僕は一定の距離感を保つようにしています。
それもまた、マインドフルネスに繋がってゆくのです。
一人でいる時は、確かに寂しさを感じることもあるかもしれません。
でもだからこそ、

と思うのです。
もしかしたら近い将来、結婚して子どもを授かる…
なんてことがあるかもしれませんけどね。
でも今は、独り身。
人との関係もいい意味で、「ドライな状態」にしておくからこそ、
- 一人の時間が際(きわ)立ち
- また人と会う時に感動を覚える
のです。
結局は、全てのことが回り回って自分の「生きる」というところに戻ってくる。
この感覚を忘れないことですね。
人との関係だって大事なのは確か。
ただ、そこに踏み込み過ぎて大切な「自分」を忘れてしまったら、結局何もかもがダメになってしまうのです。
おわりに
「生きる」とは当たり前のように思えますし、一方で仏教的な考え方として「意味のないもの」と片付けられることもできます。
詰まるところ、人間だって動物であり、ものすごい極論で言ってしまえば虫や植物と一緒です。
あくまでこの「地球」という場所に住んでいる “生き物” であって、実はそこまで特別なものでもありません。
ただ、僕らには考える力や理性、探究心や好奇心があって、その上で「生」を営んでいます。
だから「生きること」の意味を、追い求めてしまうのかもしれませんね。
僕はただただ今、自分の「生」に感謝するのみです。
みなさんは「生」を感じていますか。
それではまた!
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