生徒はまだまだ未熟だから大人が折れてあげること【下に出る勇気】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、久しぶりに自分が以前勤めていた高校にいくこととなりました。

  • 生徒たち
  • 先生たち

の顔が見られてとても嬉しかったのも束の間、部活動はうまくいっていませんでした。

僕も長く先生をやっていましたが、特に学習困難校では、生徒との信頼関係がとても大切になってくるのだと、2校目において深く感じたのでした。

幾度となく書いてきた、先生と生徒の関係。

もし若くして「先生になりたい」という人がいるとしたら、この記事がその方々に届けばいいなと感じています。

あるいは、

ベテランなのだけれど、生徒とうまくいかない

と言う先生にも、僭越ながら何かしら伝われば幸いです。

先生は大人だ。だから大人から折れなければいけないのだ。

生徒はまだ未熟であるという前提

まず始めに、「生徒はまだ10代だ」という前提のもとに立てているかどうか。

これが先生たちにとっての大きな課題です。

僕が若かった頃もそうだったように、

彼らはまだ10代であり、未熟なのだ

と言う事実に気づけていない先生がものすごく多いです。

16〜18歳なんだから自分でやれなきゃダメだぞ

考えてみてください。

あなた方の10代は、そんなにデキのいい生徒でしたか?

僕は10代に対して、ものすごくハードルを低くしています。

自分がとても「未熟」だったからです。

大人になりますと、

高校生だってできて当たり前

と思ってしまい、生徒に責任を押し付けてしまう傾向があります。

今回の部活動の状況も典型的でして、先生たちは全くもって彼らの立場に立つわけでもなく、

連絡をしなかったお前らが悪い

という一点張りでした。

彼らは部活をやりたいのに、そこに先生たちがコミットすることができていなかったのです。(ただし僕は部活動反対派ですが笑)

生徒たちは「未熟」です。

それをまるでないかのように「俺らは対等だよな?」という「てい」で接してしまいますと、全て生徒のせいにすることで、ラクに関係を断ち切ることができてしまいます。

もう一度聞きます。

先生たちは若かりし頃、そんなにデキがよかったのですか

と。

個人的には、現代の高校生たちのほうが、よっぽど「オトナ」ですし、しょうもない先生たちのワガママに付き合ってあげているような、そんな空気を感じます。

生徒たちはどこまでいっても未熟です。

そんな彼らがあまりにもワガママでやる気がないのであれば、その点は指摘した上で叱るべきでしょう。

ただ僕が感じた雰囲気は、

これは、先生が自己中心的にやろうとしててかつ、生徒のせいにするという最悪のケース笑

と思えましたね。

生徒はどこまでいっても未熟だ。その大前提をわかってあげた上で、大人である先生たちがサポートしてあげるべきなのだ。

大人が折れることで逆に信頼を得る

そんな偉そうに言っている僕も、若かりし頃はよく生徒たちとぶつかっていました。

それはひとえに、

お前らが悪い

と言う一方的な立場に立って、ものを言っていたからでした。

確かに、全てにおいて先生が下手(したて)に出る必要はなくて、ケースバイケースでもあります。

生徒は時にワガママですし、

こいつマジで何言ってるんだ?

と思うこともあります笑。

ただ、大人が振りかざす「正論」とは、いつも正義になるとは限りません。

生徒たちを論破したり、権力を使って潰したりするのは、教育の本質ではないからです。

綺麗事のように聞こえますが、何度言ってもわからなくても、彼らを信じて「伝え続けること」なのです。

時には1対1で話し合ったこともありましたしね。

もちろん、何度言ったってわかってくれないこともあります。

彼らはまだ未熟ですから、仕方のないことなのです。

ただ、姿勢としては「大人が折れること」はとても大切なことです。

悪かったね
申し訳なかったね

この言葉は、先生と生徒という立場に関係なく、とても効果的な言葉なのです。

もっと広く言えば、「人として」大切な姿勢です。

僕も教師をしていた時、生徒と口論になった後(どう考えたって生徒が悪い)、他のベテランの先生からアドバイスをもらったことで、生徒に謝りに行ったものでした。

今回の件に関しても、うまくいかなかったことに対して、いわゆる”大人”が引き下がらなければ、生徒たちから謝ることはなかなか難しいことです。

先生たちにも「どうしても譲れない場面」はありますし、生徒たちからの謝罪を促す場面もあります。

しかし仲違いしてしまった時は、どうしたって生徒は気まずいものです。

先生からアプローチをかけてあげましょう。

腹立たしいかもしれませんが、

ま、まぁ先生がそういうならいいよ

と許してくれますから笑。

それがまた可愛いじゃないですか。

そうやって「大人から折れてあげること」は、生徒に絶大な信頼を与えます。

どっちが正しかったかはどうでもよくて、

この人は間違っていたら、謝ってくれる人なんだ

という認識を植え付けることができるからです。

つまり、「話ができる人なんだ」と思わせられるということ。

「先生」という立場を使って何も聞こうとしない人は、いつまで経っても生徒たちから「頑固な人」というレッテルを貼られます。

ある意味「子ども」なのです。

そういう人は先生だろうがなんだろうが、うまくいくものもいかなくなってきてしまいます。

一事が万事。

何も「教育者=特殊な人」ではなくて、人として大切なことを守っていれば、それでいいのです。

生徒は未熟であるがゆえに、口論になった後は生徒から謝りづらいものだ。そこで大人である先生から謝ってあげると、生徒たちから絶大な信頼を得ることができる。

頑固な人は一生嫌われる

「先生」とは、今思えばなんの特別な存在でもなくて、単純に「一人間」でしかないということを、世界を回ってみて痛感しました。

とても小さな世界である、

  • 学校
  • クラス

で、偉そうにして力で押さえつけようとしている先生は、一生嫌われます笑。

僕もそういう先生は嫌いですしね。

逆に言えば「先生」という肩書きすらなければ、彼/彼女は偉そうに振る舞うことができないとも言えます。

僕が今回、部活動に行って感じたことは、

生徒のせいにしてないで、ちゃんと謝ったらいいのに

という感覚でした。

それができなければ、いつまでも言い訳している子どもとなんら変わりがありません。

それこそ、

大人になってまでなぜこうも柔軟になれないのだ

と思ってしまいますね。

むしろ「大人だからこそ」なのかもしれませんが。

いずれにせよ、頑固でずっと謝ろうとしない人は、先生であろうとなかろうと失墜していきます。

周りが離れていくからです。

あぁ、こいつは何を言っても変わらないのだな

と。

もちろん、生徒の中にもそういう生徒はいますが、やはり彼らのほうが押しなべて理解力に長けており、むしろ「オトナ」であると感じますね。

日本の若者のほうがオトナってどういうことやねん

と、教育現場で思ったことが何度あったことか笑。

最終的に話を聞かない大人たちは、誰にも何も言われなくなります。

言われているうちが華。

自分の言動や行動を見直して、自分の非を認められればそれで済む話。

僕もまだまだできていないところなんてたくさんありますが、意固地にならずに素直に謝れれれば、それだけで信頼を得ることができると知っています。

なんでもかんでもヘコヘコすればいいわけではありませんが、先生たちだって間違う生き物です。

その時に素直に思いを伝えられるかどうかが、人として好かれるか嫌われるかの境目なのですね。

いつまでも自分の非を認めないのであれば、この人は変わらないのだと認識される。そうならないよう、何か非があったら素直に生徒に謝れる先生でいよう。

おわりに

ふと訪れた部活動。

生徒に非があることなんてよくある話。

それでも「頑張っている生徒たちが不満を言う」ということは、先生が頑なに生徒たちを批判しているとしか思えないのです。

それでは嫌われてしまうのも仕方のないこと。

  • 柔軟に
  • 素直に

生徒たちとも接していきましょう。

先生だって間違えていいのですから。

でももし間違えたら、しっかりと謝りましょうね。

それではまた!

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