こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、久しぶりに自分が以前勤めていた高校にいくこととなりました。
- 生徒たち
- 先生たち
の顔が見られてとても嬉しかったのも束の間、部活動はうまくいっていませんでした。
僕も長く先生をやっていましたが、特に学習困難校では、生徒との信頼関係がとても大切になってくるのだと、2校目において深く感じたのでした。
幾度となく書いてきた、先生と生徒の関係。
もし若くして「先生になりたい」という人がいるとしたら、この記事がその方々に届けばいいなと感じています。
あるいは、
と言う先生にも、僭越ながら何かしら伝われば幸いです。
生徒はまだ未熟であるという前提
まず始めに、「生徒はまだ10代だ」という前提のもとに立てているかどうか。
これが先生たちにとっての大きな課題です。
僕が若かった頃もそうだったように、
と言う事実に気づけていない先生がものすごく多いです。
考えてみてください。
あなた方の10代は、そんなにデキのいい生徒でしたか?
僕は10代に対して、ものすごくハードルを低くしています。
自分がとても「未熟」だったからです。
大人になりますと、
と思ってしまい、生徒に責任を押し付けてしまう傾向があります。
今回の部活動の状況も典型的でして、先生たちは全くもって彼らの立場に立つわけでもなく、
という一点張りでした。
彼らは部活をやりたいのに、そこに先生たちがコミットすることができていなかったのです。(ただし僕は部活動反対派ですが笑)
生徒たちは「未熟」です。
それをまるでないかのように「俺らは対等だよな?」という「てい」で接してしまいますと、全て生徒のせいにすることで、ラクに関係を断ち切ることができてしまいます。
もう一度聞きます。
と。
個人的には、現代の高校生たちのほうが、よっぽど「オトナ」ですし、しょうもない先生たちのワガママに付き合ってあげているような、そんな空気を感じます。
生徒たちはどこまでいっても未熟です。
そんな彼らがあまりにもワガママでやる気がないのであれば、その点は指摘した上で叱るべきでしょう。
ただ僕が感じた雰囲気は、
と思えましたね。
大人が折れることで逆に信頼を得る
そんな偉そうに言っている僕も、若かりし頃はよく生徒たちとぶつかっていました。
それはひとえに、
と言う一方的な立場に立って、ものを言っていたからでした。
確かに、全てにおいて先生が下手(したて)に出る必要はなくて、ケースバイケースでもあります。
生徒は時にワガママですし、
と思うこともあります笑。
ただ、大人が振りかざす「正論」とは、いつも正義になるとは限りません。
生徒たちを論破したり、権力を使って潰したりするのは、教育の本質ではないからです。
綺麗事のように聞こえますが、何度言ってもわからなくても、彼らを信じて「伝え続けること」なのです。
時には1対1で話し合ったこともありましたしね。
もちろん、何度言ったってわかってくれないこともあります。
彼らはまだ未熟ですから、仕方のないことなのです。
ただ、姿勢としては「大人が折れること」はとても大切なことです。
この言葉は、先生と生徒という立場に関係なく、とても効果的な言葉なのです。
もっと広く言えば、「人として」大切な姿勢です。
僕も教師をしていた時、生徒と口論になった後(どう考えたって生徒が悪い)、他のベテランの先生からアドバイスをもらったことで、生徒に謝りに行ったものでした。
今回の件に関しても、うまくいかなかったことに対して、いわゆる”大人”が引き下がらなければ、生徒たちから謝ることはなかなか難しいことです。
先生たちにも「どうしても譲れない場面」はありますし、生徒たちからの謝罪を促す場面もあります。
しかし仲違いしてしまった時は、どうしたって生徒は気まずいものです。
先生からアプローチをかけてあげましょう。
腹立たしいかもしれませんが、
と許してくれますから笑。
それがまた可愛いじゃないですか。
そうやって「大人から折れてあげること」は、生徒に絶大な信頼を与えます。
どっちが正しかったかはどうでもよくて、
という認識を植え付けることができるからです。
つまり、「話ができる人なんだ」と思わせられるということ。
「先生」という立場を使って何も聞こうとしない人は、いつまで経っても生徒たちから「頑固な人」というレッテルを貼られます。
ある意味「子ども」なのです。
そういう人は先生だろうがなんだろうが、うまくいくものもいかなくなってきてしまいます。
一事が万事。
何も「教育者=特殊な人」ではなくて、人として大切なことを守っていれば、それでいいのです。
頑固な人は一生嫌われる
「先生」とは、今思えばなんの特別な存在でもなくて、単純に「一人間」でしかないということを、世界を回ってみて痛感しました。
とても小さな世界である、
- 学校
- クラス
で、偉そうにして力で押さえつけようとしている先生は、一生嫌われます笑。
僕もそういう先生は嫌いですしね。
逆に言えば「先生」という肩書きすらなければ、彼/彼女は偉そうに振る舞うことができないとも言えます。
僕が今回、部活動に行って感じたことは、
という感覚でした。
それができなければ、いつまでも言い訳している子どもとなんら変わりがありません。
それこそ、
と思ってしまいますね。
むしろ「大人だからこそ」なのかもしれませんが。
いずれにせよ、頑固でずっと謝ろうとしない人は、先生であろうとなかろうと失墜していきます。
周りが離れていくからです。
と。
もちろん、生徒の中にもそういう生徒はいますが、やはり彼らのほうが押しなべて理解力に長けており、むしろ「オトナ」であると感じますね。
と、教育現場で思ったことが何度あったことか笑。
最終的に話を聞かない大人たちは、誰にも何も言われなくなります。
言われているうちが華。
自分の言動や行動を見直して、自分の非を認められればそれで済む話。
僕もまだまだできていないところなんてたくさんありますが、意固地にならずに素直に謝れれれば、それだけで信頼を得ることができると知っています。
なんでもかんでもヘコヘコすればいいわけではありませんが、先生たちだって間違う生き物です。
その時に素直に思いを伝えられるかどうかが、人として好かれるか嫌われるかの境目なのですね。
おわりに
ふと訪れた部活動。
生徒に非があることなんてよくある話。
それでも「頑張っている生徒たちが不満を言う」ということは、先生が頑なに生徒たちを批判しているとしか思えないのです。
それでは嫌われてしまうのも仕方のないこと。
- 柔軟に
- 素直に
生徒たちとも接していきましょう。
先生だって間違えていいのですから。
でももし間違えたら、しっかりと謝りましょうね。
それではまた!
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