人に言っていることは自分に返ってくると思っておくこと【自戒の念】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

こうしてブログを書いて数年が経ちましたが、僕は様々なことを書いてきました。

中には、

自分のことを書かれている!

と言われたこともあり、

別にそんなつもりで書いたことはない笑

と思ったこともありました。

僕がこうしてブログを書いているのは、「一般化すること」が目的であり、何より自分に対して書いているフシもあります。

こう思うことはよくない

とか、

こうしていったら人生が変わった

とか。

ある意味、「自分に向けての手紙」でもありますね。

これらを見返すことで、自分の軸を定め直しているのです。

今日は「自分に向けてブログを書くこと」について書いていきます。

僕が言うことやブログに書いていることは、自戒の念を込めて書いていることが多い。確かに各個人について言うこともあるけど、大抵は一般化していることが多いのだ。

自意識過剰にならないこと

僕もいろんな記事を書いてきました。

それを読んでくださり「自分ごと」だと受け取って、人生に反映してくれる分にはいいのですが、

個人攻撃をされた

と言われるには、ちょっと違和感があります。(そんなことはありませんでしたが一応)

確かに、友人や生徒さんを話題には出しますが、だからと言ってその人を責めたいわけではありません。

先述した通り、

そういう考え方をしていると、よくないぞ?
こうしたほうが、人生は豊かになるよ

と言いたいだけなのです。

ここは、グチを述べる場所でもないですしね。

また、これはSNSにおいてもそうです。

ためになることが書いてあるなぁ。これは自分のことだ。直していこう

と思うことが大事ですよね。

自意識過剰になっている人ほど、

  1. 自分が責められていると思って
  2. 反応して自分を正当化しようとする

のです。

こんな勝手なことはありません。

自分のことだと思うことはいいことなのですが、個人のこととしてとらえないことです。

僕もたまに「これ、自分のことかな?」と感じることはあっても、あくまで一般論だと思って、参考にする程度です。

しかも僕のブログに関しては、自分自身への自戒の念も込めて書いていますからね。

僕自身も「自分を変えたい」と思って書いてきたからこそ、

こういう考え方をすると損をするぞ(せいじ、お前もな)

と、自分に投げかけているのです。

だから、SNSなどで「自分のことを言われている」と思うことは、ちょっと自意識過剰なんじゃないかな、と。

名指しされているなら別ですけどね。

たとえば僕も、褒める時なんかは特定の人にわかるように書きますが。

いずれにせよ、もっと広く捉えていきましょう。

SNSで自分のことを書かれていると思う人は、自意識過剰だ。それを汲み取り、自分の生活の糧にしていけばいいからだ。

すべては一般化

僕がこうして書いていることは、

一般化する目的がある

からです。

もちろん、「個々のケース」を引き延ばして一般化することなんてできやしませんが、一つの例を参考にすることで、

だから僕はこうした方がいいと思う

という意見を、この場で書くようにしています。

ただ、世の中にはいろんな意見がありますから、

僕の言っていることが全て正しい

と言っているわけでもありません。

  1. 1つのケースを体験して
  2. じゃあ自分は実際にどう思うのか?

と、自分の中で体験した「濃い具体例」を、できる限り薄くしては、一般化や抽象化をするようにしています。

だから当然、「個人への攻撃」ではありません。

  1. こういう人がいた(もしかしたらあなたかもしれない)
  2. でもこういう人はその人だけではないから、一般化しよう

という流れですね。

それは当然のことながら、自分にもブーメランで戻ってきます。

「自分の体験を一般化する」ということは、

それはせいじ、お前にも言えることだよな?

と、自分自身についての確認作業にもなるわけです。

たとえばSNSでグチを言っている人がいるとしましょう。

それは全然メリットがないよ

と、この場で言うとします。

だから僕は、SNSでグチを吐かないようにしているのです。

だって、この場で堂々と言っているのですからね。

それは意味ないんだよ。だからせいじ、お前もやらないよな?

と笑。

だから多くの人に伝わるのです。

今日はこんなことがありました。ツラかったです

なんて、ただの日記でしかありません。

そう思うからなんなのか。

その体験を通して、今後どうしていきたいのか。

ここが大事ですよね。

僕がこれだけ時間を割いてブログを書いているのは、自分への当てつけでもあります。

その体験をいかに人生の糧にして、いろんな人に伝えてゆくのか。

これが大事なことなんですよね。

僕がいつも書いていることは、できる限りいろんな人に刺さるように書いている。あくまで「そこらへんであった一つのケース」だけではないということだ。

ずっと自分に問い続けること

僕がこのブログを通して人生を豊かにしてきたのには、

ここで書いたことが自分に跳ね返ってきたから

だとも思っています。

ある意味、ずっと自分の中で反芻しているような、そんな数年間でした。(そしてこれからも)

  • 逃げようとするな
  • 健康を大事にしろ
  • やる気なんかに頼るな
  • テレビはメリットがない
  • イヤだと思う人から離れろ

などなど。

過去の自分が、

  • 今の
  • 未来の

自分に向かって、読んだ書籍や体験したことなどから、大切なことを伝え続けてくれました。

自分に問い続けるからこそ、これは誰の当てつけでもなく “自分自身への” 戒(いまし)めとなったのです。

こんだけここで書いたのだから、それは信念に反するよね?

と。

だからこそ、軸(=信念)がブレることはほとんどありませんでした。

  • 嬉しかったことも
  • 不愉快に思ったことも

全部しっかりと精査して、自分なりの言葉で自分に伝え続けていたからです。

結構、この作業をしていない人は多いです。

僕はたまたまとはいえ、昔から発信することが好きだったものですから、結果的にこれらの発信が「自分に対するコメントになった」とも言えますね。

これでいいのか。このままでいいのか

いつも自分に問い続けていますと、軸がブレることはなくなります。

だって、グチを言ってきたのではなくて、

どうやったら幸せになれるのだろうか?

と、前向きに考えてきたのですから。

「だから幸せになれた」と言っても過言ではないでしょう。

別に誰かのために批判的になることが目的ではありませんし、それで幸せになることもありません。

いかに自分のために、このブログやSNSを続けることができるか、ですね。

今まで、

  • 日本の教育のこと
  • 世界を回って思ったこと

についても書いてきました。

だからこそ僕は先生を辞めましたし、今の生活と比較することもできるようになりました。

自分のために書いていることは、

  1. 自分を育ててくれるし
  2. かつ同時に他の人にも刺さる

と思っています。

いつまでも思考の整理の場として、ブログを書き続けていきますね。

ここに書き続けているのは、他人批判や世間に対するアンチテーゼではない。何よりも自分のために書いているのだ。

おわりに

発信をしていますと、

これって自分のこと?

と思われることも少なくありません。

でも僕が毎回書いていることは、

こいつを貶(おとし)めてやりたい

とか笑、そういうことではないということです。(当然)

突っかかってくる人に対しても、

そんな暇な人とは別れましょう

と言いますが、これは普通に考えて “一般論” です。

それは自分にも跳ね返ってくることですからね。

いつでも自戒の念を込めて、発信していきます。

それではまた!

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