こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
僕の大好きなワンピースという冒険漫画には、それぞれのキャラクターの背景がとても苦しいものであることが多く、各々が「生まれてきた意味」を考えることがあります。
作者の尾田栄一郎さんは、そうした「メッセージ性の強い漫画」にするつもりはないとおっしゃっていますが、やはり心にグッとくるセリフが多いです。
僕自身も、「生まれてきた意味」について考えてきたものでした。
仏教の感覚からしますと、「生まれてきたことに意味はない」という考え方があります。
考え方は様々あり、正解はありません。
今日は、僕が「生まれてきたこと」に対して感謝しているという思いを、みなさんに伝えていこうと思います。
生まれてきた意味と価値
漫画ワンピースでは、
- ずっと存在を否定されてきた
- 生まれてきた意味はあったのだろうか
- 生まれてきてひとりぼっちだなんてことはない
など、「生」に対する問いが自然と出てきます。
それぞれのキャラクターがそれぞれなりに「生きたい」と願い、生き抜いたことに対して「感謝」をしてこの世を去っていきます。
僕自身はありがたいことに、両親に褒めてもらいながら育つことができました。
と思えるようになり、テストも頑張ることができました。
一方で、僕が教えている生徒たちは、自己肯定感が低いことが多く、どこか否定的な言葉が散見されることがあります。
それは、
と思い込んでいる生徒が多いからだと感じています。
仏教の考え方ですと、生まれてきたこと自体に意味はないと説かれているので、
とも思えます。
僕は概(おおむ)ね賛成しており、「人生」をあまり特別視し過ぎる必要はないと考えています。
日本人は真面目な人が多く、僕もそのうちの1人ですが笑、一方で僕は「適当さ」も持ち合わせております。
そうでなければ、今のキャリアを手放そうなんて思いませんよね笑。
そう思っているのです。
生きるも死ぬも、その人の勝手です。
それでも、せっかく与え「られた」命です。
意味を問おうとしても、答えはなかなか見つかりません。
僕はそこに、「生」の価値を見出したのです。
人は何事にも「意味」を求めようとします。
意味がわかると安心するからです。
しかし、探しても見つからないその答え…
つまり「意味がないことが意味」なのです。
その事実を受け入れて、あとは自分なりに「人生の価値」を見出していきましょう。
「生まれてきてくれてありがとう」を考える
よくこの言葉を耳にしますが、それは一体なぜでしょうか。
僕の友人(オス)が、女性に対して、
と言っている場面を目にしました。
「いてくれて(存在に)ありがとう!」という意味です。
一般化するつもりはありませんが、確かに「大多数のオスたち」にとって、「女性という存在」は生きるエネルギーであり、存在自体に価値があります。
僕自身もそう思っていますし、逆にオスたちもまた、女性にとって「いてくれて嬉しい存在」なのかもしれません。(知らんけど)
それは異性に対してだけでなく、家族や友人など、様々な場面で感じることがあります。
答えはシンプルでして、その人たちがいるおかげでそれぞれが、
- 「幸せだ」
- 「楽しいな」
と思えるからです。
いっぱい笑って、いっぱい泣いて、同じ時間や空間を長く共有すれば、それだけで人生素晴らしいものになりますよね。
人間は1人では生きていけません。
ワンピースでも、
- 仲間
- 信頼
- 感謝
などが、いたるところに散りばめられています。
自分が1人だったら、そんな経験をすることもなかったでしょうからね。
みなさんと出会えたことは「奇跡」であり、それは元をたどれば「生まれてきたこと」に繋がらざるを得ないのです。
「僕の人生を豊かにしてくれてありがとう」と思うから、
と伝えるのです。
子どもたちにその言葉を伝える意味は、いずれ自分たちも「感謝する側」になるからです。
もちろん、
- 高校生になったって
- 大学生になったって
- 社会人になったって
みなさんの存在があるから、僕の人生は豊かになっています。
そのことを、みなさんもどこかで感じているはずです。
「いつも」ではなくて構いません。
ふとした瞬間に、「楽しいな」と思えることがあったら、
と思ってみましょう。
口に出してみましょう。
回り回ってみなさんの存在にも、誰かが感謝してくれているはずですから。
存在を否定する権利なんて誰にもない
生まれてくることに意味はない。
たとえそれが事実だとしても、その存在を誰も否定することはできません。
もちろん、「自分自身も」です。
ここが大切なポイントで、人に否定されなくとも、自分の存在を自分で否定的に捉える人がとても多い印象を受けます。
自分の人生ですから、僕がとやかく言う権利もありませんが、それはすごくざっくり、かつ乱暴に言えば「もったいない」と思います笑。
せっかく授かった命。
自由に使い倒していいじゃないですか。
誤解を恐れずに言えば、
「お小遣いをもらったら、自由に使いたい」
その感覚と一緒だと思っています。
と言う人もいますが、僕はこの世に軽いとか重いとかの差があるとは思っていません。
そんな風に考えているから、命を絶つ人や平気で命を奪う人が出てくるのです。
軽い重いはなく、命それ自体に価値があることを忘れてはいけません。
「命」は与えられたものです。
自分の意志で生まれてきたわけではありません。
だから、それを好き勝手使うのは自由です。
それなら、与えられた「生」に感謝して、
と考えて、自分が思う最大限の幸せのために使っていけばいい。
僕は、
- 自分自身のためでもありながら
- 世のため人のためにもなること
に使っていきたいと、そう思うようになりました。
それもまた、自由なことですから。
志半(こころざしなか)ばで、命を絶ってしまう人もいるのは非常に残念なことですが、その人なりの幕の引き方ですから、僕がそのこと自体を否定してしまうのもまた違います。
大切なのは、誰に否定されたとかそういうことではなく、自分自身が自分の存在を否定しないことです。
与えられたものに対して、
と思ってしまう状況は、さっぱりイメージができないからです。
与えられたものは素直に受け取り、感謝して使っていきましょう。
人生を豊かに、幸せにすることは、その人の自由なのですから。
おわりに
与えられた命について考えることは、とても大切なことです。
一方で考えすぎても答えが出ないため、適当になってもいいものだとも思っています。
せっかく与えられたものを、無為に捨てる必要もありません。
少し考えて、自分なりに使っていけばいい。
もっと自由に、肯定的に、ポジティブに。
自分の生まれてきたことに感謝し、周りの人の存在に感謝し、前に進んでいきましょう。
それではまた!
コメント