こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
いよいよブラジルに到着し、友人たちから忠告を受けていた、
- 犯罪
- 事故
を起こさないように…間違えました。
「に」巻き込まれないように、気をつけています笑。
サンパウロは貧富の差が激しく、僕の泊まっているホステルは少しだけ離れていますが、それでも相当の差があることがわかります。
そんな現地の空気感を感じつつ、
と聞いていましたので、早速行ってみることに。
そこには日本のお店がたくさん!
今日は「世界のどこかで日本を感じること」について書いていきます。
日本はやっぱりすごかった
先に南米を回っていた方の投稿を見て、
と思って向かったサンパウロ。
ホステルの周りは誰もいなくて、まさかの閑散とした日曜日…
と思って恐る恐る行くも、結果的には人がいるいる笑。
日本だけでなく、アジア各国(韓国や中国)もまた、多くの発信をしていることがわかりました。
特に「食」に関してはやはり群を抜いていまして、どのお店も人が並びまくっていました。
特にアニメや漫画の文化の浸透率は凄まじく、「世界で知られているアニメ」を肌で感じた一日でした。
それ以外にも日本庭園があったりと、日本の原宿、下北沢をそのままにしたような街に、
と思わされましたね。
決して「日本すごいじゃん」と、称えたいだけなのではありません。
しかし世界を回っていますと、必ず目にするのが日本車。
そしてここブラジルで感じる、日本の食や商品、そして文化。
いかに自分が生まれた国が、そして生まれた国の人々が、世界に影響を与えているのかがわかりました。
こうして世界を回ることができているのも、「最強のパスポート(=世界に対する信用)」があるから。
無理して誇りを持つ必要もありませんし、「僕はどれだけの人間だよ笑」とも思います。
でもこうして世界で「日本」を目にしますと、本当に影響力のある人たちが、あの小さな島国に集っているのだなと感じました。
感動した瞬間でしたね。
自分の日本人としてのアイデンティティ
世界を回ることで「日本人としての魂」を感じることがあることは、以前の記事にも書きました。
僕は昔から日本に合わなくて、よく学校でも反抗的な態度をとっていましたし、考え方が柔軟ではない人をやじっていました。
一方で自分自身も「狭い考え方」を持っていたことは当然であり、その狭間の中で、
と自問自答することがありました。
それゆえにこの「世界の旅」は、僕が日本人であることを再確認させ、同時に日本がものすごく小さな国であり、一方で特別な力を持っていることもわかりました。
答えは簡単でした。
僕は「何者でもなかった」のです。
世界に出てみれば、日本人としての誇りやアイデンティティは強まるものの、「地球上の一人の人間」でしかないことがわかります。
それはいつまでも変わらない答えであり、僕は何も成し遂げていない、ただの「日本から来た一人の男性」でしかなかったのです。
それでも、僕は日本に生まれ、日本で育ちました。
それがいかに幸運なことであり、いかに世界に信頼を与えているかもまた、実感したことでした。
この、「日本と世界」の間を経て、世界へと足を踏み入れていく過程は、多くの日本人が(あるいは世界中の人々が)経験してもいいことなのだなと感じました。
この過程の中で、
と考えること。
もちろん、そこで出す答えは人それぞれでいいと思います。
僕は「日本人であること」を感じると同時に、「世界から見た日本」も感じるようになりました。
それぞれの国の誇りを持ちながら、旅の中で「世界の人たち」と出会うことで、
そう感じたのです。
アイデンティティとは、強まることもあれば崩れることもあります。
僕は毎日のようにその生成と崩壊が繰り返されることで、逆に「自分とは何か」がわかってくるようになりました。
何者でもない自分だからこそ、
- 自分なりに「自分」を作り上げて
- そんな「自分」を世界にぶつけていけばいい
のです。
日本人ではあるけれど、日本人ではない。
その絶妙なバランスをとりながら、僕は日本人としての誇りを胸に、世界を歩いています。
世界と混ざり合う自分
日本人としてのアイデンティティが強まった、ブラジル(サンパウロ)での経験。
しかし、世界を歩いてきた上でのサンパウロでしたので、先述したような、
「日本人であるような、そうでもないような」
そんな気持ちが作り上げられてきました。
- 日本人でありながらも
- 世界の基準を取り入れてゆくこと
「狭い考え方」しか持っていなかったのに、
と豪語していた若かりし頃の僕は、こうして世界を感じることでより「世界と混ざり合う自分」を感じるようになりました。
何者でもなかったはずの自分なのに、どこか“世界に”アイデンティティを持つことができるようになったのです。
出会ってきた人は数えきれず、英語が通じない人たちとも翻訳サイトを使ってコミュニケーションをしたりと、多くの人たちから「何かしらの気持ち」を汲み取ることができました。
そうやって関わり合う人が「日本を超えて」できてきますと、自分のアイデンティティは一度壊され、それと同時にまた世界の感覚で再構築されていきます。
少しずつですが、「世界を経験してきた人たち」に追いついてきているような、そんな感覚を持っています。
世界に出て日本を感じるということはつまり、「世界から日本を感じている」という意味と同値となります。
- 各国の文化や空気を感じながら
- 母国日本に思いを寄せてみること
これは新鮮なことでした。
日本を母国として恋しく思うことは良いことですが、同時に世界に身を置くことで世界を身近に感じることもまた、僕の人生観を大きく変えることとなりました。
僕が今持っているアイデンティティは、そんな「曖昧な」ものです。
しかしそうやって既存の価値観を壊すことは、多くの人にとって大切なことなのだと思いました。
若い頃の僕が狭い考え方を持っていたように、誰しも最初から広い視野を持っているわけではありません。
いろんな経験をして初めて、
とわかることですからね。
- 日本を感じつつ
- 世界を感じつつ
少しずつ世界と混ざり合うことで、自分を再び作り上げていく過程。
この過程を大切にして、改めて「日本人である僕」をまた、作り変えていきたいと思っています。
おわりに
ブラジルで感動した「日本」。
しかしそれは、当然のことながら日本にいたら感じることのできないものでした。
教科書やYouTubeの動画では、
と、ほとんど何も感じないままボーッと見るだけでしょう。
しかし実際に自分が「世界」の中にいる状態で日本を感じますと、
- ただただ恋しいだけではなく
- ただただ感動するだけではなく
について深く考えられるようになります。
シンプルに「日本ってすげー」ではないのです笑。
そうやってアイデンティティの崩壊と構築を繰り返していく旅。
僕は今、世界と混ざり合いつつあります。
それではまた!
コメント