誰も動いていない時も動くからストイックなのだ【変わらずに続ける力】

人間関係

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

こうして旅をしていますと、日本でのみなさんの動きが全くと言っていいほどわからなくなってきます。

もちろん、SNS等で確認はしているのですが、

なんかちょっと落ち着いてるのかな?

と(勝手に)感じることがあります。

いえ、人のことはどうでもいいのです。

  1. みんなが頑張っている時も
  2. みんなの頑張りが見えない時も

変わらずに淡々と自分のやるべきことを続けること。

これが僕に課された使命なのです。(意味深)

今日は「あえて自分が頑張ること」について書いていきます。

みんなの動向に左右されているようではダメだ。「自分が」いつでも頑張り続けるのだ。

誰もやらない時にやる快感

僕は学生時代、教室でみんながワイワイしている時に、流行り始めた「MD/CDプレーヤー」で音楽を聴きながら、一人集中して机に向かっている自分が好きでした笑。

どんな状況でも集中して勉強すること

昔の自分はダメなところもありましたが、こういった「ストイックさ」は今にまで受け継がれているのだと思います。

これの何が快感だったのかと思い返してみれば、「誰よりも努力している自分」がいて、それが他のライバルたちとの差になっているという点でした。

今となっては、「ゼロサムゲーム」よりも「プラスサムゲーム」の考え方になっていますので、若い頃のようなガツガツ感はありませんが笑、当時はトガっていたこともあり、

誰よりも頑張るんだ

と心に決めていました。

特に他の子たちが遊んでいる中で、「一所懸命頑張る自分」がなんだか誇らしかったこともありましたしね。(変態)

そういった意味では今でもその性格はあまり変わっておらず、快感は感じていないものの笑、

自分がいつも頑張るんだ

と言い聞かせては、どんな状況でも「自分」に集中して頑張ることにしています。

誰もがやっていない(ように見える)時こそ、自分が頑張ること。

もちろん、各々が頑張っていることは間違いありません。

ただ、

「悪い意味で、周りに合わせて生きること

つまり、

  1. 周りが頑張っていて
  2. 空気感が上向きになっている時だけ頑張れる

というような状態では、いけないのです。

僕がこうしている間にも、頑張っている人はいるんだ

と思えるかどうか。

そしてそれが見えなくても、自分という軸を持って頑張り切れるかどうか。

僕は常に、「自分との戦い」をすることができるようになっていたのでした。

「周りの人が頑張っていなければ頑張れない自分」がいるのならば、変えていく必要がある。「どんな状況でも頑張る自分」を持っておくのだ。

人の動きを気にしなくなってからストイックに

「頑張っている人」を意識することはいいことですが、最終的にはそこも気にならないくらい、自分が一番頑張ることが大切です。

悪い意味で「人の動きが気になっていた」時代もありましたが、今は自由をそのままにしたような、そんな生き方ができるようになりました笑。

ある意味、

  1. 人がどう動こうが
  2. 自分がどんな状況にいようが

何も考えることなく、淡々と作業を続けることができるようになりました。

それはひとえに、他人のことを気にしなくなったからだと思っています。

そこに環境的な要因はなくて、

自分は自分の課題をこなすだけだ

そう思うようになってから、「他の人も頑張っている」と、いい意味で勝手に思い込むことができつつ、とはいえそんなことも考えずに一所懸命やるようにもなりました。

  • 仮に周りが沈んでいようとも
  • 周りの人が実際に頑張ることができていなくても

そんなことは実際のところ、僕には関係のないことなのです。

では何をすべきか。

自分のやるべきことをただただ続けていくこと

これだけなのです。

いつまでも「他人の人生を生きる人」というのは、常に周りのエネルギーに支配され、それによってモチベーションを維持しようとします。

周りの空気感によってモチベーションが変わるようならば、もはや何も考えていないことと同値です。

そうなるのではなく、きっちりと自分のできることをこなすこと。

周りは関係ありません。

頑張っている人がいれば、それは素直に尊敬すればいいだけですからね。

この考え方になれれば、自分のすべきことにだけにストイックに集中することができます。

周りが落ち込んでいても関係ない。僕は僕のやるべきことをやるだけだ

今もそう言い聞かせて、毎日淡々と課題をこなしています。

人の動きを気にしている時は、他人の時間を生きているということ。そんなこと関係なくなるくらい、自分ごとに集中すればいいのだ。

常に一番頑張る男であれ

周りがズーンと落ち込んでいる時。

あるいは、

あまり活発になっていないだろうな

と(勝手に)感じた時。

そんな時でも、僕は僕のやるべきことをやり、発信するようにしています。

「頑張る」とはとても抽象的であり、この「根性論」とも言える僕の行動は、もしかしたら昭和の考え方なのかもしれません。

しかし、

  • 抽象的で
  • アナログだからこそ

「人の原始的な本能」に訴えることができます。

デジタル社会になってきた現代でも、やはり「手を動かして体を使って…」という「アナログ」な部分で頑張れるかどうかが、結局は鍵になってきます。

もちろん、がむしゃらにやっていたって、僕のように成果に繋がらないこともあります笑。

しかし、仮にそうだとしても、僕はその日の体調やら気持ちやらに左右されないようにしています。

ひとたびその「ルール」を適用してしまえば、それは環境に身を任せたということになってしまうからです。

僕も「効率化」は好きなほうですが、何かのせいにして、

  • 休んだり
  • 作業を止めたり

することは、結局「デジタル社会」を言い訳にして、やらない理由を生み出しているだけにすぎません。

  1. 正しい方向に向かって頑張り
  2. 必要ならば外注して自分の時間確保をすること

が、お金を稼ぐ上で大切なこともわかっています。

それが正しい道なのかもしれませんし、他のルートもあります。

僕の発信は無意味に近いのかもしれませんが、それでも「やるべきことをやっていくこと」は変わりません。

僕自身のためにも、人や環境のせいにするのはもうやめにしたいのです。

その姿が泥臭くてがむしゃらで、文字通りの「バカ」だとしても、自分が納得してやっているのであればそれでいいのです。

特に周りが落ちている時。

そんな時でも、淡々と課題を進めることができるのか。

その戦いをしていくことで、「抜きん出た存在」となることができます。

周りのことはいいから、とにかく頑張らせてくれ

ひと昔前の考え方かもしれませんが、僕はただひたすら頑張ることにしました。

そこに周りの空気感は関係なく、だからこそ「いつでも淡々と頑張る人」という認識を得ることができます。

そしてさらにその上で、成長していくことが望ましい姿なのだと思っています。

「頑張る」とはアナログ的であり、昭和の発想なのかもしれない。それでも、やはり最後は自分の体を動かせるかどうかにかかっている。さぁ、言い訳をせずに課題に取り組もう。

おわりに

どんな状況でも続ける」という力は、以前は持っていない「力」でした。

今となっては、そのおかげで「得られた繋がり」がありました。

「毎日続ける」とは一見難しく見えますが、やめなければシンプルに続けることができます笑。(何を言っているんだ?)

周りがどんな空気感であっても、関係ないのです。

そんな時でも続けるからこそ、本物になることができます。

僕にもまだまだできることがあるはず。

ずっと続けていこうと思います。

それではまた!

コメント

  1. 次男 より:

    大変ご無沙汰しております。
    最近、自分のストイックさが衰えてしまっていたので、せいじさんの記事を読んで高めに来ました。
    誰もやっていないであろう時のあの快感、最高です。
    なにより二年以上毎日更新、えぐいです!
    旅中、お身体ご自愛ください。

    • せいじ より:

      お久しぶりです✨あの方かな?とふと思い出していますが、違ったらごめんなさい笑。
      おー!僕はいつまでもストイックですので、いつでもいらしてくださいね😆
      まだまだ続けていきますよ🎵
      もう少し旅を続けますね😊

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