こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
4月に入りますと、学校の中も活気が生まれ、暖かくなると活動的になる動物たちのように笑、生徒たちもやかましくなってきます。
学校現場での「生活指導」に関しては、今までも何度か取り上げてきました。
- 高圧的にならない。
- 王様気分で支配しない。
- 一方的に理屈で指導しない。
などが大切だと書きましたが、僕は以前その真逆の指導法を教えられていました笑。
今となってはある程度のポジションにいますので、
「うーん、その指導の仕方はないな」
と思うようになり、先輩教員のやり方を「客観的に見ること」ができるようになりました。
今日はそんな「指導法の本質」について、書いていきたいと思います。
まず最初に「聞く」
以前にも、「生徒とのやりとり」を大切にすべきだと書いたことがあります。
これは生徒に限らないことなのですが、「相手の話を聞いてあげる」ということは、人と人とのコミュニケーションにおいて、とても大切なことです。
特に「先生と生徒」という構図は、昔から上下関係にあると相場が決まっています。
そこで、
「立場が上である先生が、いかに生徒たちの位置まで降りてくることができるか」
が大切になってきます。
もともと立場上、上に立つ先生たちが頭ごなしに叱ることは「権力の乱用」であり、良い指導法ではありません。
それによって生徒が少しでも不愉快に思えば、その先生の言うことは今後一切聞かなくなるからです。
先日も、僕の学年で「服装頭髪チェック」なるものがありました。
僕の所属する学校も、数年をかけてだいぶ落ち着き始め、生徒たちと先生たちとの関係も以前より良好になってきたと思います。
実はそれが厄介なことでもありまして、早速「先生ポジション」から高圧的に指導していた先生がいました。
しかもその先生は、僕のクラスの「頭髪服装指導」の担当だったため、僕も横で一緒に指導することとなりました。
その先生は服装チェックにおいて、ブレザーを着ていなかった生徒を見た途端に、
- 「お前さ、ブレザーを着てこなきゃダメなんだよ」
- 「就職するなら、ちゃんとしなきゃ」
- 「学校はそういう決まりなんだから」
と、まくし立ててしまいました。
もちろん、生徒はなんだか納得していないような感じでした。
温厚な生徒でしたが、横で一緒に見ていた僕は、
「おいおい、なんだそのひどい指導の仕方は…?」
と思い、結局後になってから当該生徒を呼び出すことにしました。
「さっきの言い方、不愉快に感じなかった?納得してなかったんじゃないの?」
と、聞いてみました。
「いや、そういうものなんだなーと思ったので、別に大丈夫です。以後気をつけます」
と言っていました。僕のほうからは、
- ブレザーを着ていない理由
- 指導に納得しているかどうか
などを改めて聞いて、
- 生徒がどう思っていたのか
- 不愉快な点は解消できたのか
を確認しました。
指導において、「ルールはルール」「正しいことは〇〇」と伝えることは、実は誰にでもできる指導法です。
言い方を変えれば、生徒たちには決して届かない指導法なのです。
生徒指導とは、生徒のできていない部分を「一方的にただ指摘すること」ではありません。
彼らが「どうしてそういう行動に出てしまったのか」考えさせ、それを話させることです。
僕ら教員は、
- 「彼らの思いを発する場」や、
- 「彼ら自身で学ぶ過程」
を、用意してあげなければならないのです。
「あーだこーだ」とルールに即して指導することは結構なことですが、それで生徒が納得するのならば、最初から「反抗的な行動」や「間違った行動」をするわけがありません。
彼らの中にある「行動の理由」を吐き出させて、
- どの部分までならこちらが受容でき、
- どの部分からは学校として認められないのか。
これを、生徒自身で理解させることが重要なのです。
今後どうしていけば、「社会」で立派に生きていく術を身につけることができるのかを、指導していくことが僕らの仕事だと思うのです。
信頼関係が築けていない生徒には怒らない
今日は後輩の先生と、正門で立ち番をしていたところ、生徒指導の話になりました。
その先生は、以前から頭ごなしに叱る先生だったので、
「とりあえずキツく指導しておけばいい」
という思想の持ち主なのかと思っていましたが笑、話を聞いているうちに指導法が変わっていたことに気がつきました。
僕らが話していて共感できたことは、
「あまり面識のない生徒相手には、いきなり指導することはできない」
というものでした。
よくこの意見を話題にしますと、
- 「学校としての軸がブレている」
- 「一枚岩ではない」
- 「全員で取り組めば無問題」
- 「指導できていない先生が悪い」
と言う意見を耳にします。
僕は、これには条件が必要だと思っています。
それは、
「先生たちが、複数で対応している時に限る」
ということです。
例えば複数名の先生が正門に立っていて、「そういうルールだから」とブレザーのことを指導されれば、生徒たちも指導にある程度は従うでしょう。
しかしこれが「個人」となると話が変わってきてしまい、生徒は校則ではなく「先生一個人の意見」と捉えてしまいます。
悪いことだとすでにわかっていても、そこには「感情」が介入してきてしまうのです。
百歩譲って、先生たちの中に、
「何があっても、絶対に、確実に、指導するルール」
があるのであれば話は別ですが笑、基本的に全教員の指導を統一あるいは平均化することは無理だと思っています。
特に「ひとり」で生徒指導をする時には、注意が必要です。
もし「ひとり」で違反行為や気になる行動に出くわしてしまった場合は、
- 「おい、どうした?」
- 「今授業中でしょ?なんかあったの?」
- 「それはよくないなぁ〜」
と、柔らかく入るのがオススメです。
一見、指導としては間違っているように思えますし、「優しい先生という印象を与えかねないのでは?」と疑問に思う人もいます。
しかし、
- そこから会話が始まれば関係が築けますし、
- 他の先生を呼んできて複数で対応することも良いです。
- 担任に後から伝えても良いでしょう。
信頼関係も築けていないのに、頭ごなしに指導することは「そもそもお前、誰?」という感情を誘発しかねませんからね。
「指導する」ということは、遠回りのように見えても、
- 十分な信頼関係を築き、
- 言い分を聞いてあげて、
- 理解を示した上で、
- 指導すること
であり、こちらの流れのほうが圧倒的に近道となるケースが多いです。
特に、生徒たちとは数年間ともに過ごしますので、長い目で指導していく形のほうが結果的に良い効果を生み出します。
上っ面だけで生徒指導をしない
柔らかく指導をしていますと、他の先生から小突かれることもあります。
- 「指導が甘い」
- 「いい顔をしている」
- 「優しすぎる」
と。
確かに僕は「適当な人間」ですので笑、そう言われても致し方のないことです。(おい)
しかしこの「指導方針に対する指摘」は、ハッキリ言って良くないと思っています。
若かりし頃の自分は、この指摘をされたことによって「キツく叱ることが指導なのだ…」と間違った指導法をしてしまったことがありました。
- 「すずき先生は、もっとしっかり生徒指導しなくちゃ」
- 「職員全員で意識を持って取り組まなくちゃ」
と言われたのです。
今の僕なら、反吐が出ています笑。
そうやって「誰もができる指導」を若手に押し付けることが、いかに生徒指導をダメにしているか、その先生たちは気づいていないのです。
正門で話した後輩の先生も、
「強く怒ることは、何かが違うんですよね…」
とわかるまでに、時間がかかってしまったのです。
一方で僕は「生徒にいい顔をしていた先生」にも、反吐が出ていたものです。
「それは生徒指導の本質ではない」と、強く思いました。
「じゃあどうしたらいいんだ?」と思いますよね。
一旦ここで整理をしてみましょう。
- 「初手の対応で、いきなり厳しく指導をしない」
- 「いい顔をして甘やかさない」
と、極端な2つの考え方ですね。
では生徒指導の答えはと言いますと、結論、ありません。
「ない」と言うより、そこが生徒指導のゴールではないのです。
この2つの共通点は、どちらも表面上で指導を終わらせようとしているというところです。
- 強い口調で叱って、その場で「指導している風」を出す。
- 生徒に嫌われまいとその場をやり過ごし、好かれようとする。
人とのコミュニケーションにおいても、これは典型的な失敗例です。
後輩でも友人でも、こんな形でコミュニケーションを取られたら、イヤになるのに決まっています。
まずは生徒を、一人間として見ること。
だからこそ信頼関係の構築が大切であり、水やりをして育てていくには時間がかかるのです。
「生徒の行動を変えること」が目的なのではなく、人としての一生モノの思考や態度を教えることが僕らの仕事の目的です。
周りの先生から指導方針を突かれて「私はちゃんとやってます」と、表面上を取り繕うことに必死になっていては、本末転倒です。
優しくても、厳しくても、いいですし、いろんな先生がいてもいいのです。
ただそのゴールはいつも、生徒と信頼関係を築いた先にある生徒の未来です。
子どもたちの未来を担うのが、僕ら教師の仕事だからです。
目の前にある生徒の問題行動ばかりに目を向けず、その奥深くにある生徒たちの機微を汲み取ること。
そして彼らの手助けになることが、教師の使命なのではないでしょうか。
おわりに
生徒指導には、答えがありません。
ケースバイケースであり、各生徒の気質や性格からも、どう指導したらいいかは悩むところでもあります。
ただ彼らに人間として立派になってほしいから、様々な角度からアプローチするのであって、校則やルールはあくまで1つの枠でしかありません。
- 「校則はなくていい」
- 「生徒指導なんて要らない」
と言っているのではなくて、「そこが本質ではない」と言いたいのです。
「先生・生徒」という構造が頭の中にある先生は、いつまでも生徒を1人の人間として見ることはできないでしょう。
- 彼らの思いを聞いてあげて、
- 信頼関係を築き、
- その上で、一人間として立派に育てていく。
僕ら教員の責任は、とても重いものなのです。
表面をなでているような指導法は、結果的に生徒に見抜かれ、信頼関係をダメにします。
それならいっそのこと、本気でぶつかり合って険悪になってしまうほうが、よっぽど良い指導法です。
いずれにせよ、本質さえ間違えていなければ、生徒指導は御の字だと思っています。
様々な意見や方針があるかと思いますが、それもまた教育です。
それぞれが子ども達の未来を考えて、指導していきましょう。
それではまた!
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