日本男児は武士道を学ぶことにする【義勇仁礼誠名誉忠義を学ぶ】

読書

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、「男たるもの」といった趣旨の記事を書きました。

言語学習用のテキストを買いに行く際に、書店で新渡戸稲造の『武士道』を見つけました。

そういえば、僕は武士道について学んだことがなかった

はやる気持ちを抑え切れず、帰ってから武士道についての動画をいくつか拝見しました。

なるほど!これが日本の武士たちか!

と、感嘆せずにはいられませんでした。

僕ら現代の日本人にも、きっと武士道が宿っているはず。

書籍は読んでいませんが、ちょっとだけ勉強した僕なりの解釈をお届けしていきます。

名誉ある死を迎えるために、毎日を生きよう。学問と鍛錬、稽古をして一人前の武士となるのだ。

武士道を学び始める

先日見た動画では、武士道の前に新渡戸稲造の半生が描かれており、その後武士道についての解説がありました。(30分程度)

一つずつ勉強をするとともに、

あの激動の時代(幕末や明治維新)を生き抜いた人たちについて、僕はもっと知っておくべきだった…

と、改めて反省しました。

当時の偉人たちである、

  • 勝海舟
  • 坂本龍馬
  • 西郷隆盛
  • 吉田松陰
  • 内村鑑三

などなど、他の動画では徳川家康や熊谷直実まで、ありとあらゆる偉人たちが名を連ねていました。

僕は全くと言っていいほど知識がなくて(ほとんど「0」です)、

くそぅ!もっと勉強しなければ!

と思い、

  1. 当時何が起こっていたのか
  2. どうしてこのような人たちが立ち上がったのか

を知りたいと思うようになりました。

「武士」という役職は無くなっていってしまいますが、現代の日本人にもその「意志」は受け継がれているようです。

  • 神道
  • 仏教
  • 儒教

などから出来上がったとされる武士道では、山本常朝(やまもとつねとも)が言ったとされる、

武士道とは死ぬことと見つけたり

という言葉を最期の “形” として、武士たちがこの考えに執着していたようでした。

あれ?これって僕が常日頃考えていることでは?

どうやって最期を迎えるか。

そこに行くまでにどうやって生き抜くか。

僕ら日本人は無宗教だと言われていますが、心のどこかに「武士道」という「道(みち)」が宿っていて、

礼儀を重んじながら、格好良く散ってゆきたい

と、無意識に思っているのだと思っています。

そこには日本独特の「神道」が脈々と受け継がれており、現代でもまさに学び直さなければならない「道」だと気づいたのです。

武士道とはいろんな「教」の要素が混ざり合う、神道も基礎としている日本人の心であり気質でもある。僕らは改めて学び直さなければならない。

徳を積むために

さて、武士道には七つの徳目があります。

  • 名誉
  • 忠義

です。

それぞれ意味がありますが、簡単に言えば「正しく生き、自分に厳しく他人に優しく、取り繕わずに冷静に…」といった、

日本人なら誰でも大事にしていそう

といったような内容だと思います。(勉強不足ですみません)

特に、

  • 常に冷静であること
  • 最期をどう散って人生を終えるか

という徳目には、共感することができました。

何が起こっても動じないようにするためには、日々の鍛錬が必要ですよね。

若かりし頃の僕といえば、何かと噛みついていて、自分の思い通りにならないとイラ立っていたものでした。

また他人の目を気にしては、

ちょっといい人ぶっておこう

と、忖度して自分の意見を言えなかったこともありました。

今は「足るを知る」と言う精神性も相まったからか、嫉妬や見栄もありませんし、常に周りの人の幸せを願えるようになりました。

やはり武士道の行き着くところに、僕も自然と「自分を重ね合わせたかった」のかもしれません。

人間ですから、時に感情的になったり、不安になったりすることもあります。

毎日平穏に過ごしながらも、

  • 体調不良
  • 将来への不安
  • 人間関係の悩み
  • これからどうしていくのか

など、人には言えない悩みを誰もが抱えています。

そんな時に、僕らはこの七つの徳目を思い出せれば、きっと心に平安が戻るはずなのです。

僕が毎日一所懸命生きられているのは(多少の感情の浮き沈みはあれど)、こうした先人たちの教えがあったからなのではないのかなと。

武士道に限らず、いろんな書籍でいろんな先人たちが、

この時はこうしてみるといい

とアドバイスをくれています。

毎日を丁寧に生きるためには、この徳目を積んで行けば大丈夫。

改めて武士道の生き方の格好良さを知るとともに、そこに日々の答えがあるのだなと感じましたね。

常に冷静に、人に優しく礼を重んじて生きよう。本当に強い人とは暴力や力で相手をねじ伏せるのではなく、心にゆとりがあり、優しくて自分に厳しい人なのだ。

名誉ある最期

特に武士たちが大事にしていたのは、「死(=最期の瞬間)」でした。

先ほどの山本常朝(やまもとつねとも)の言葉ではありませんが、実は漫画ワンピースにも「ワノ国編」といって日本をモチーフにした島があり、そこにいる大海賊の「カイドウ」がこんな言葉を残しています。

死は人の完成だ……!!!

彼もまた「侍(サムライ)」に敬意を表する海賊の一員であり、その死生観は武士道からくるものなのかもしれません。

僕もこのブログにおいて、いろんな観点から「最期」について書いてきました。

男女のことをどうこう言うつもりはありませんが、

  • 僕の父も
  • 僕の祖父も

立派に生き、旅立っていきました。

先日行った靖國神社(遊就館)では、自分の命をかけて散っていった英雄たちがいたことを知りました。

僕は最期を迎える時に、立派な人生だったと胸を張って言えるような、そんな人生を歩めているだろうか?

これについては何度もこのブログで書いてきましたが、決して、

  • 偉大なこと
  • 有名になること

が、「現世の最高徳」だとは思っていません。

多くの人を幸せにすることは素晴らしいことですが、行き過ぎた資本主義は伝統や文化を壊しますし、それがいわゆる「名誉ある死」だとも限りません。

  • 人を愛し
  • 慈愛に満ち
  • 他のために生きて
  • 常に学問と稽古に励んでいれば

僕は人としてまっすぐな生き方ができているのだと、胸を張って言えると思います。

僕が「清貧な暮らし」を無意識的に始めていたのは、こうした武士道の精神が根付いていたからなのかもしれません。(さすが純ジャパ)

  1. 日々食生活は質素で力の出るものを選び
  2. 書物や動画から知識を得つつ言語学習をし
  3. 筋トレやランニング、ダンスなどで肉体を鍛え
  4. 人との交流を大事にしながら思想を広めてゆく

これが僕の生き様であり、後悔のない人生だと言えるでしょう。

答えを出すことに焦ってはいけません。

僕は今でも、”自分の生き方” と面と向かい合って対話し、感情的になった時には、

今の自分はどう映り、どんな卑しい姿になっているのだろう?

と考えるようにしています。

人は最期の最期まで、完成しない生き物です。

当時の志士たちのように、毎日研鑽(けんさん)し、国や家族、誰かのために生きて徳を積んで、名誉ある最期を迎えること。

ある意味それこそが武士道の答えであり、僕らが永遠に目指してゆくべき姿なのかもしれませんね。

人は最期の死を迎えた時に、人として完成する。それまでに現世でできる徳を積んでいきたい。いつも心には武士道がある。それは日本人が拠り所としている「道」なのだ。

おわりに

昨日今日で学び始めた、武士道や日本史に登場する偉人たち。

学べば学ぶほど、彼らの功績には頭が上がりません。

彼らは毎日を必死で生き抜いたからこそ、名誉ある最期を遂げました。

そこには守り抜いたものがあり、現代の僕らにも通ずるものがあります。

常に冷静に、格好良い生き様を晒していきたい。

そう思う日々ですね。

それではまた!

タイトルとURLをコピーしました