こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
先日、「佰食屋」のドキュメンタリー本である「売り上げを、減らそう。」を読みました。
その中の一節で、「この仕事では、仕方のないことだから…」とネガティブな意味で会社の体制に従って割り切ってしまうことに、本書の著者である中村朱美さんは疑問を持っていました。
先生という仕事に限らず、どこかの組織で働くということは、守られる一方でどこか従順でなければならないことも意味します。
その点こそが自由度が低いという欠点であり、僕がいずれ教師をやめる理由でもあります。
仕事をしていて「仕方のないこと」はどれだけあるでしょうか。
今日はその「縛り」についてと、それに対する僕の思いや打開策を書いていきます。
組織で働くとは?
以前も働き方については記事にしました。
日本では何事においても「入口が大変」というイメージが多く、
- 大学に入るまで
- 組織に属するまで
が長い道のりであり、試験や面接をクリアしなければなりません。
しかしそれと同時に、「一度所属してしまえば安泰」というイメージもありました。
今は終身雇用も年功序列も崩れ始めており、僕の世代の多くの友人が、
- 転職を繰り返したり、
- フリーランスで働いていたり、
- 起業したり
しているという状況です。
僕も組織の一員として働いて8年が経ちますが、
- 心地よい面
- 居心地の悪い面
の両方ともを経験してきました。それぞれ見ていきましょう。
組織に属すメリット
試験や面接をクリアし、組織の一員として属してしまえば、
- 定期的に給料が振り込まれる。
- 社会的地位が得られ、身分が保証される。
- 組織という後ろ盾があることで、ある程度気持ちを楽にして働くことができる。
- 休日や有給休暇を最大限に利用できる。
- 福利厚生が整っている。
等々あると思います。
僕自身は真面目という気質がありますし、一所懸命勉強ばかりしてきた人間ですので、言われたことをやることはめちゃめちゃ得意です笑。
「指示待ち人間」と呼んでもらっても構いません。
半分冗談ですが、やはりある程度のミスや失敗も、上が責任をとってくれるという有り難さがあることは否めません。
そこは絶妙なバランスが必要でして、組織に属しているからといって「ぶらさがりおじさん」になってはいけません。
会社にずっと属しているために、
- 給料だけは上がっていくのですが、
- 全く自発的に動けず、
- 仕事のできない人/仕事をやらない人
のことですね。
こうした人がいても組織(特に大企業)とはうまく回るものですが、あまりにもひどいと上から注意が入りますし、組織が回らなくなってしまってはさすがにクビを切られてしまいます。
それでもやはり、会社側からその人を切ることはかなり難しく、一生とは言わなくてもある程度の安心感が獲得できることは、1つの大きなメリットでしょう。
組織に属すデメリット
組織に属すると、大きな枠の中に入ることができるために絶大な安心感があるのですが、一方で、
- やりたいことが限られてくる。
- 働く場所や時間が決まっていることのほうが多い。
- やりたくない仕事まで回されることがある。
- 人間関係で失敗するとなかなか縁を切れない。
- 異動があることもある。
- 自分の仕事量と給与がダイレクトに比例しない。
- 裁量権がない。
など、ざっくり言えば「自由度が低い」というデメリットがあります。
これはメリットがあるからこその裏返しでもあり、「だから会社や公務員がダメだ」という意味ではありません。
さて、この点が今日の「本題」です。
僕は、組織の一員として身を捧げることに長けている「忠実で従順な男」ですので笑、先生もぴったりではないかと思い、この職につきました。
しかしこうして教員を続けていますと、自分がかなり自由を求めている人間であることもわかってきました。
- 「部活動でもっと遠征をしたり、合同練習をしたりしたい」
- 「もっと自由度の高い英語の授業をしたい」
- 「学校運営はもっとこうしていきたい」
- 「もっと面白い企画やイベントを打ちたい」
- 「事務的な作業が多すぎるから減らしたい」
- 「あの人とは一緒に働きたくない」
- 「仕事量が明らかに違うのに給与が一緒って…」
わがままな要望から笑、明らかに変えたほうがいいに決まっている課題まで、長く続けていると「学校の闇」がだんだんとわかり、「もっとこうしたい!」という気持ちが強くなってきました。
組織に所属している中で、
- 最大限にやりたいことはやっているつもりですし、
- 勤続年数が長くなってきたことや経験を積んだこともあって、
- 職員室では大きな声を出すこと
もできています笑。
ただ、僕の場合は従順に見せかけた革命児ですので笑、学校のいたるところの不備や無駄が目につきますと、いてもたってもいられなくなってしまったのです。
それを変えようものならば、
- 上に話を通したり、
- 根回しをして先に了承をとっておいたり、
- 長ったらしい手続きをしたり、
- 周りの顔色を伺ったり
と、「面倒なこと」や「無駄な気遣い」がどうしても必要になってきます。
これは組織に属している限り、避けられないことです。
もし組織の中でその裁量権を握るためには、上に上り詰めていくしかありません。
それではすごく遅いですし、道のりも長い…
これが今の僕にとって、大きな悩みとなり、仕事について深く考えるきっかけとなったのでした。
原因自分論で考える
僕の大好きな「原因自分論」ですが、乱暴に言いますと、
「人のせいにせず、自分で決めたことに責任を持て」
というものです。
ただ、だからと言って「全て自分が悪いのだ…」と、否定的・悲観的になることを推奨している論ではありません。
本書にも同じようなことが書いてありました。
上司が厳しい。会社が自分を評価してくれない。職場環境が悪い。長時間働かされている。部下が期待するほど働いてくれない。妻が、夫が。
いいえ、違います。
本当の原因は、あなたです。
これも、「あなたが悪いのだ」と非難しているわけではありません。
「この道を選んだのは自分である」という認識を持ち、どうしたら今の不満を解消していけるのかを考え、行動に移していくことが大切だと言っているのです。
教師や会社員の場合も、不平不満を述べることはとても簡単で、
- 「学校のシステムが悪い」
- 「あの人の能力が足りていないのだ」
- 「自分はもっと給料がもらえるべきだ」
- 「自由度が低すぎる」
と言っている人は周りにたくさんいます。
僕自身も「原因自分論」に出会うまでは実際そんな感じの人間でしたし笑、生産性のない愚痴ばかりを並べていました。
さらには「仕方のないことだから」と、「自ら選んで組織に属していたこと」を棚に上げては、組織のせいにして自分の本能を押さえつけていました。
「でも本来は、人間はもっと自由であるべきだし、働く時間だってもっと健全であるべきだ」
という本書の趣旨を汲み、考えが変わりました。
- 原因自分論に基づいて、自分の働き方を見直す。
- 経営者側も「仕方ない」と思わせるような働き方や環境を作らない。
これがあるべき姿なのだと気付いたのです。
世の中に決まりなんてないはずなのに、「組織に属す割合」が多数派となってしまい、それが正しいような風潮になっていることも否めません。
しかし今の僕は、「自由」を獲得することでもっと自分なりに働くことができるのだ、と思っています。
原因は自分にある。
こう考えて、愚痴をこぼさずに働き方を変えていきたいですね。
おわりに
「この働き方も、まぁ仕方ないよな…」と思う必要はありません。
自分で環境を変え、働き方を変えていけば、きっと未来は変えられるでしょう。
僕もゆくゆくは、働き方を変えてゆくつもりです。
実は本書には、「経営者目線」で書かれている内容もあります。
「大転職時代だけれど、持続可能なお店を作ることも、経営者側の責任だ」というものでした。
- 「転職すればいい」
- 「上にのぼっていけばいい」
- 「自分が変わればいい」
とは、働いている側・雇用されている側に委ねられることですが、実際はそのように思わせている会社にも責任があるというものです。
「〇〇が悪い!」というような押し付け合いではなく、どの立場の人も「働く」ということについて正面から向き合い、真剣に考えていかなければなりませんね。
僕も今は「組織の中で動くコマ」にすぎませんが、いずれ働く形を変えた時にどちらの立場にも立てるように、1年かけて多くのことを学んでいきたいと思っています。
それではまた!
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