人を羨む人を見るとなんだか悲しくなる【挑戦なら誰だってできる】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

先日、いつも通りYouTubeでネタになる動画を漁っていますと、「フリーランスの天国と地獄」的な動画がありました。

コメント欄を見てみますと、

こういう風にフリーランスになれる人って、あなたのような頑張れる人だけなんですよね

というコメントがありました。

先日、僕は「自分の子どもを塾に入れるかどうか」みたいなことをライブで言いました。

僕は勉強にはセンスや好き嫌い、得手不得手があるとは思っていますが、「頑張れない人だっているんだ」という人もいましたので、

なるほど…頑張れない人もいる…か

と考えてしまいました。

今日は「頑張ること」について書いていきます。

「それができるのは、あなただからだ」という言葉は、僕はとても嫌いだ。

頑張らなくてもいいけれど

現代の若者たちをみてもわかりますが、別に必死に働かなくたって、好きなように生きていける時代です。

僕は人に強制することもありませんが、僕に対しては「もっと頑張れ」という人がいてもおかしくありません笑。(おい)

とにかく「働き方」は多岐に渡りますし、

  • 会社員が好きな人もいれば
  • 公務員が好きな人もいれば
  • 個人事業が好きな人もいれば
  • 会社経営が好きな人もいる

と、なんでもありの時代です。

誰かが他の誰かを否定するのもおかしな話ですし、

自分のやりたいように生きたらいい

というのが、現代のスタンダードです。

ただ、僕がここ数年で心の底から思うのが、

そんなにグチグチ言うなら、環境を変えれば?

ということでした。

僕自身、実は “そういう” マインドを持っていた側の人間でしたけどね笑。

  • グチは言うだけ言って
  • 自分自身は変わろうとしない

という、典型的な「貧乏マインド野郎」だったのです。

頑張らなくてもいい時代ではありますが、その道を選んだのならば、そこに文句は言う権利はないですし、他人を羨(うらや)む意味もわかりません。

だって自分で決めたんでしょう?

と思うからです。

ちゃんと自分で選んだ道に責任を持ちましょう。

ただし前提として、頑張らなくてもいいのは事実。

その分、できないこと得られないものも出てきますけどね。

総合的に考えて、自分の人生を描いていかなければならないのです。

現代の働き方は多様化している。一所懸命働かなくてもいいけれど、その上で文句を言っているようならば、あとは自分が変わるしかないのだ。

「あなただからできたんだ」って…

ここで先ほどの、

あなただからできたんだ

という言葉についてです。

僕は先述した通り、

  • 勉強
  • 芸術
  • スポーツ

に対しては、ある程度才能センスの存在を認めていますし、もし僕が、

今からギターを弾け

と言われたら、僕はギターを叩き割っていると思います笑。(それだけ苦手なのです)

だから、

みんながみんな、頑張れるわけではない

という言葉を聞いた時は、半分納得しましたが、半分残念に思いました。

この言葉の真意を考えた時に、まるで最初から、

あなたには無理だね

と突きつけられているように感じてしまったからです。

上の記事でも、確かに「誰もが頑張れるわけじゃない」とは書きましたが、

= 誰にもできない

と否定したかったわけではありませんでした。

確かに、

君だからできたんだ

という言葉は、その人の才能や人柄ありきの発言だからこそ、多少なりとも当たっているのかもしれません。

ただ、心の底から羨(うらや)ましがっている人( ≒ 批判している人?)を見ますと、

あぁ、この人は頑張りたくないんだな。自分を正当化したいだけなんだろうなぁ

と感じ、悲しくなってしまいます。

「あなただからできた = だから自分には無理

というような公式が成り立っているように見えてしまって、

それって自分の可能性を否定しているってこと?

と思ってしまうのです。

確かに、頑張ることは大変ですし、難しいことです。

誰にでもできることではないからこそ、頑張った人は報われますからね。

でもそうやって自分の可能性を潰していくことは、僕は違うと思うのです。

頑張れない人もいる。でもその事実に甘んじることは違う

と。

先述した通りで、生き方は人それぞれでいい。

そう思っています。

でも “そうした” コメントをしているということは、

  • 自分よりできている人を羨み
  • 自分の状況ではできないから無理だ

と証明しているようなものです。

だから僕は「頑張れない人もいる」とは思う一方で、「誰だって頑張れる」とも思っています。

キレイごとを言いたいのではありません。

今の自分の可能性を信じていますし、もっともっと先にある未来へと向かっていきたいから言うのです。

「あなただからできたんだ」はある程度当たっているので、いい言い訳に使いやすい。それよりも自分がどうしたいかが大事だ。自分の可能性を否定することは、僕はしたくないのだ。

挑戦する権利は誰にだってある

そんなネガティブなコメントをするくらいなら、一回やって見ればいいのに

これが僕の意見ですね笑。

こういうコメントをする人は、

自分にはできない

と決めつけているフシがあります。

だって、一度でも挑戦したことがある人は、そんなことを言わないからです。

自分にとって、

  1. 何ができて
  2. 何ができないのか

を、走りながら身につけているからです。

一度でも挑戦したら、

自分はやってみたけど、できなかった

とか、

だんだん楽しくなって、会社を辞めることになった

といったコメントになるはずです。

僕も公務員を辞める時は、

ちょっと大丈夫かな?

なんて思ったりもしましたが、ご覧の通り半年くらい生き続けておりますので笑、当然のことながら「あなただったからできたのだ」なんてコメントは出てきませんし、

やってみたら意外といけるもんだなぁ

と思い、むしろさらに、

なんだ。僕でもできるじゃないか

と思ったくらいです笑。

月並みの表現かもしれませんが「まずやってみること」が大事であって、何もやってない(=挑戦していない)人が、「あなただったからできたのだ」なんて言える権利はないのです。

このコメントに対してチャンネルの方は、

そういう人は、会社でも成功しませんよ

と鋭い返答をしていました笑。

僕も激しく同意しますね。

「マインドセット」が貧困であればあるほど、できるものもできなくなってきます。

僕も他人を羨(うらや)んでいたマインドセットを持っていた頃は、学校の仕事だって適当でしたし、

どの口が羨(うらや)むねん!

と言われてもおかしくなかったくらいの、そんな「働きっぷり」でした笑。

ここ日本であれば、誰にだってチャンスはありますし、餓死することもありません。

羨(うらや)むこともまた自由ではありますが、それが形として出てきてしまっている以上は、

  1. 自分にはできない
  2. これから変わりたくない
  3. 自分に将来の可能性なんてない

と言っていること同じだということ。

まずはその事実を自覚することが必要ですね。

挑戦なら誰にだってできますから。

まずはそれをしてみてから、ですね。

ここ日本なら、ある程度は挑戦できるプラットフォームがある。だから挑戦せずに人を羨むのはやめにしよう。まずは行動してから、だ。

おわりに

人と比べてしまう人というのは、どこかで、

自分が何かうまくいっていない

という気持ちがあるからだと思っています。

今の僕の生活なんて、公務員時代に比べれば貧困です笑。

毎月カツカツですしね。

それでも自分で選び、なんとかやっているからこそ、

  1. 「僕だからできたんだ」と思うよりも
  2. 「なんだ。僕でもできるんだ」という気持ちのほうが強い

のです笑。

うまく行っているとは思っていませんが、自分の行動に責任を持てていますね。

まずはやってみること。

それからですね。

それではまた!

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