こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
先日、BOOKOFFで「チーズはどこへ消えた?」という書籍を200円で購入しました。
本書は実家で読んだことがあったのですが、内容が理解できずにサラッと読んで棚にしまってしまいました。
僕が学生時代の頃なので、ざっと20年ほど前の書籍ですね。
人生論について読書するようになり、「改めて読んでみよう」と思ったことがきっかけで購入しました。
「これほどの良書があったなんて…」
と感じるほど、薄い冊子とは思えないシンプルさと濃さでした。
今日は本書を読んで感じたことを書いていきます。
チーズはどこへ消えた?
内容はシンプルです。
登場人物は2匹のネズミ、スニッフとスカリー。それと2人の小人、ヘムとホー。
個人的には、その場にとどまり続け、変わろうとしない小人「ヘム」について警鐘を鳴らしている物語なのかなと思っています。
チーズを求めるネズミ2匹と小人2人は、「迷路」をさまよいながらも「チーズ・ステーションC」で大きな塊のチーズを見つけます。
しかし、
- 食べ切ってしまったのか
- 腐ってしまったのか
- 誰かが持って行ってしまったのか
は判然としませんが、チーズが忽然と姿を消してしまったのです。
これはミステリーではなく、「比喩」であります。
学生当時の僕は意味がわかりませんでしたが、まずここで言う「迷路」は、
- 会社
- 地域社会
- 家庭
を表し、「僕らが住む世界そのもの」の象徴です。
一方「チーズ」が意味するものは、
- 仕事
- 幸せ
- 家族
- 財産
です。
ネズミ2匹は、その本能と行動力から、チーズが姿を消した後もすぐに迷路内を駆け回ります。
しかし小人2人は「チーズ・ステーションC」にとどまり続け、
- 「なぜなくなったのか?」
- 「また迷路を歩き回るなんてイヤだ」
- 「誰が僕らのチーズを持って行ったのか?」
と原因を探して突き止めようとしたり、その場を動こうとしなかったりしていたのでした。
「ヘム」は特に頑固で、その場から一向に動こうとはしません。
一方の「ホー」は考えをめぐらせて、ものごとを複雑に考えつつも、しまいには重い腰を上げ、ヘムをその場に置いて迷路を再び探索するのでした。
お分かりですよね。
現代社会では「ヘム」のほうのタイプの人が、圧倒的に多いのかなと思っています。
- 本当は自分の本能に気づいているはずなのに。
- チーズが戻ってこないことがわかっているはずなのに。
現状から抜け出そうとしない人です。
僕もどちらかといえば「ヘム」のほうのタイプだったと思います。
今は「ホー」の考え方のほうにシフトしつつあり、何か新しいことへと動き出そうとしている自分がいます。
みなさんは、スニッフ、スカリー、ヘム、ホーの、どのタイプでしょうか。
誰が優秀とか偉いというわけではありません。
単なる「タイプ分け」に過ぎませんので、気楽に考えてみてください。
新しいチーズを探しに行こう
僕にとってのチーズは「安定」や、すでに敷かれた「安全なレール」でした。
- 結婚して、
- 子どもを授かり、
- 温かい家庭を築き、
- 現職を続けて、
- 安定した給料をもらいながら、
- いつかマイホームを買って、
- 引退していく…
これが僕の「典型的な幸せ像」でした。
もちろん「何が正しい・間違っている」と、決めつけているわけではありません。
世の中にはさまざまな「味の、形の、匂いの」チーズがあるからです。
20代後半くらいまでは、我ながら「順風満帆な生活」を送っていたと思います。
しかし大きな転機が訪れたのでした。
それが「離婚」でした。
これは、まさに「ヘム」と近い状況だったのだと思います。
手に入れたはずのチーズが、ある日突然なくなってしまったのです。
- 途方に暮れ、
- 何をしたらいいかわからず、
- 誰かのせいにして、
- 泣きはらしました。
その他にも、僕の思い描いていた「理想のチーズ」は、ことごとく目の前から消えてなくなっていきました。
- 良い職場だと思っていたが、同僚との人間関係で悩み、
- 安定を優先しすぎるあまり、自由度がないことに気づき、
- 貯蓄を続けることが正義だと信じ込んでいたが、次第に無味乾燥な人生だと悟り、
- 「仲が良い」と勘違いしていた知人は、実はTakerだった。
などです。
しかし、これは全てヘムがしたように、その場にとどまり何かが自然と好転することを待っていたからこその「報い」でした。
つまり「当然起きる結果だった」ということなのです。
離婚においてもそうでした。
- 自分で何かを変えようとせず、
- 原因「他人」論に執着し、
- その場にとどまるほうを選び続けた。
だからこそ待っていた結果だったのです。
「このままではいけない」
ホーがようやく事態が収拾できないことに気づいたように、僕も少しずつ迷路を探索しに出かけるようになりました。
こうして好転に移すことができたのは、自分の状況に気づいて行動したおかげでした。
スニッフやスカリーほどの行動力とは言えませんが、少なくともホーのように思案した上で、行動に移すことにしてみたのです。
僕が見つけた「数個のチーズ」は、少しずつでしたが実は腐っていたということです。
その数個のチーズを失って初めて、チーズがなくなっていたことに気づき、チーズはなくなるものであるということを理解しました。
それを理解するのに多くの時間を費やすこととなりましたが、今はホーのように迷路を探索して「新しいチーズ」を探しに出かけています。
まだ迷路の遠くまでは行くことができていませんし、手探りで迷路を歩いている状態です。
ただいつまでも、そばにあるチーズを頬張り続けるわけにはいきません。
- 徐々にチーズが腐り始めていることに気づき、
- 次のチーズを見つけに歩き出す。
ヘムのようにその場にとどまっていることは、いつも最適解だとは言い切れないと思うからです。
恐怖に打ち勝つ勇気
小人のホーは最初、ヘムを置いて再び迷路に戻ることに拒絶反応を示します。
一向に動こうとしないヘムの言葉にも影響を受けてしまい、なかなかその一歩が踏み出せません。
しかし最終的には、待っていてもチーズは戻ってこないことに気づき、動き出します。
ホーは最初こそ恐怖にとらわれ、おびえながら進んでいました。
だんだんと迷路を歩いていく中で、ホーはなぜか徐々に愉快になってきました。
それは「新しい道を歩いている自分」に楽しさを覚え、「新しいチーズを見つけた時の自分」を想像することで、恐怖に打ち勝つことができたからです。
僕自身も今の自分の生活に疑問を抱き、「どうしたらいいだろうか?」と先のことを考えますと、ネガティブな発想ばかりが頭に浮かんできます。
- 「お金が底をついたらどうしよう?」
- 「路頭に迷ったらどうしよう?」
- 「みんなにバカにされたらどうしよう?」
- 「『先生を続けていたほうがよかった』と後悔したらどうしよう?」
そうして、悪い方向ばかりに気をとられていた自分がいました。
今となっては、この本書を読んだこともありますし、多くのことを学び続けてきた1年のおかげで、
- 新しい道に進む自分を思い描き、
- 失敗をしながらも楽しんでいる自分を想像し、
- 苦労しながらも、人のために尽くしている将来の自分を考え、
楽しむことができるようになりました。
新しい道へと踏み出すその瞬間は、ほぼ確実に恐怖で立ちすくんでしまうだろうと思っています。
それでもホーが最後に悟ったように、意外と迷路に飛び出したほうが安全で、刺激があり、楽しいのかもしれないのだと、今では思うことができています。
恐怖は自らが生み出しているものであり、迷路自体が生み出しているものではありません。
変化を楽しみ、迷路を探索していく喜びを見つけたホーに、僕はどこか「羨ましい気持ち」が芽生えている自分に気がついたのでした。
本書はシンプルで短く、1時間もあれば読むことができますが、それ以上に大切なことを教えてくれる1冊だと感じましたね。
おわりに
大切なものをチーズという「腐ってしまうもの」に例えたところが、本書の面白さだと思います。
今回のコロナによって突然チーズが持って行かれたり、なくなったりしたことを経験した人は、たくさんいました。
僕は直接コロナのダメージを受けたわけではありませんが、人それぞれのチーズの賞味期限は異なり、いつ消えるかはそれぞれのチーズによります。
僕の場合、仕事とは別の部分で様々なことが重なり、少なくともいくつかの「チーズ」を失っていたことを悟りました。
本書では、
- チーズがないことに気づきそれを認め、
- 原因が他人なのか自分なのかはひとまず置いておいて、
- 原因を究明するよりもすぐに行動に移し、
- 新しいチーズを探しにいくことの大切さ
を語っています。
場合によっては、「その場にとどまること」もまたひとつの正解です。
ただしヘムのように、
- チーズがないことを嘆き、
- わめき、
- 誰かのせいにし、
- 待っていればきっとチーズが見つかる
と思っていては、いつまで経っても現状は変わりません。
自分のそばにある「チーズ」の変化を観察し、いざとなったら新しいチーズを探しに出かけましょう。
僕も迷路に飛び出して行きますので、ホーのように新しいチーズを見つけた時の喜びを想像して、恐怖にとらわれず、変化を楽しんでいこうと思います。
それではまた!
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