こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki)
「30代、30代」と言っていますが、僕はそこまで「年齢」を気にしたことはありません。
とはいえ本日、誕生日を迎え、
「よく…よくここまで生き抜いてきたッ!」
と自分で自分を褒めたいと思ってしまいました笑。
「生きていく」ということを、みんな当たり前に、平然とやってのけていますけど、実は簡単なことではありません。
僕も何度も挫折したり、辛かったりと、様々な経験をして「生きて」きました。
しかしまだまだ僕には、経験が足りないと思っています。
- もっともっと人を幸せにしていきたい。
- もっともっと自分のやりたいことをしていきたい。
- もっともっと魅力的な人間になりたい。
そんな願望を胸に、今日は年を重ねることについてお伝えしていきます。
施されたら施し返す、恩返しだ。
僕にとって2月というのは、それはそれは特別な月となっております。
一方で以前は、自分の誕生日を祝われることが恥ずかしくてたまりませんでした。
- 「僕はそんな祝われるような人ではないし…」
- 「存在してても特に誰かの役に立っているわけではない」
- 「やっぱりこれって、返さなきゃいけないのかな?」
と、「ネガティブ思考」もいいところでしたね笑。
どうしても「何かをもらう=何かを返さなければならない」という気持ちが膨らんでしまい、
- 申し訳ない。
- 自分には何もできない。
と思い込んでいたのでした。
(だから以前は、お土産をいただいた時に「どうしよう…」と思っていたのです)
これは圧倒的な自己肯定感のなさから来るものであり、特に「GIVE&TAKE」のことをよくわかっていなかったことも、そのネガティブさを助長したのだと思います。
この考え方を改めるのになかなか時間を要しましたが、僕に一番効いた行動は、
「まずは自分がGIVEすること」
だったと思います。
GIVEをし続けていますと、祝われることに何も感じなくなってしまうんですよね。
もちろん嬉しいですし、祝われたことに対してはものすごく感謝もしますが、すぐに「次にどのようなGIVEをしてみようかな?」という思考になってしまっているとう、ただそれだけのことです笑。(悪い意味ではありません)
当時は、
- 友人から
- 家族から
- 同僚から
- 先輩から
- 後輩から
- 恋人から
助けてもらってばかりでした。それでは確かに申し訳なくもなります。
しかし普段から「GIVEの意識が定着して」いますと、「もらうこと」にあまり意識が向かなくなるのです。
年を重ねるごとに、今まで受けてきた恩を返すように意識しますと、「もっと与えたい」という気持ちになるのですね。
小さい頃、近所のおじちゃんおばちゃんたちが、無条件に僕にお菓子をくれた気持ちを当時は理解することができませんでしたが、今となってはわかるような気がします笑。
どう「年をとる」か?
僕は最近、年を重ねることが楽しくて仕方ありません。
「人の上に立つようになる」ということも確かにありますが、毎年経験を積んで成長している自分を顧みるのが楽しいからでしょうかね。
特にこの1年は成長がものすごく(そもそも伸び代しかなかったからでもありますが)、自分の「未知の領域に足を踏み入れている感」があり、「もしかして禁忌に触れているのでは?」とすら思っています笑。
「年をとる」という言葉は、どうしてもネガティブな意味合いを持つことのほうが多いと思いますが、
- 経験を積む。
- 失敗から学ぶ。
- 成長する。
というワードに置き換えてみますと、とても有意義なことだと思っています。
しかしそのためには、「現状維持をしていてはいけない」という現実とも向き合わなければなりません。
- 漫然と日々を暮らし、
- テレビをつけっ放しにして、
- 毎日したくもない仕事をし、
- 飲み会に明け暮れ、
- 怠惰で不摂生な生活を送る…
これでは、意味のある1年間とは言えません。
そうです。
お待たせしました「以前の僕」です笑。
これは良い意味での「年を重ねる」ではなく、「ただただ与えられた人生という時間を浪費しているだけ」でしかありません。
あと数十年しか生きていられないのに、そんなもったいないことはありませんよね。
現在は、
- 毎年…
- 毎月。
- 毎日!
少しずつでも成長し続ける自分が楽しくて、とても意味のある誕生日を迎えられている気がしています。
そうやって「自らすすんで積極的に学ぼうと行動する姿勢」を持ち続けながら年をとっていけば、
- 自分の人生に生きがいを感じるようになり、
- 未来はどんどん明るくなり、
- 周りの人にも感謝される
ようになること間違いなしです。
つまり、「どのように年をとるのか?」がとても大切なのです。
1年を振り返ってみて、
「毎日、死にもの狂いで生き抜いてきたな…」
と思うことができれば、「年をとった」という事実よりも、自分が学んだ知識や得た経験のほうにもっと意義を見出せるはずです。
僕は毎日ブログを書いているため(大したものではないですが)、シンプルにここずっと毎日が必死でした笑。
だからその分、ものすごく大きなリターンがあった1年だったと思っています。
それはお金だとか、有益なことだとか、数字で表せるようなものではなくて、人との出会いや自分の可能性の追求など、もっともっと人生において大切だと思える抽象的なことでした。
そういう意味では、
「よくやった。さぁ、もっと頑張ろうか!笑」
と思って迎えることができた、誕生日でしたね笑。
自分が納得できる年のとり方。
毎年続けていきたいものですね。
生きていくだけで価値がある
伊坂幸太郎の著書にこんな名言があります。
六十年、死なずにこうやって生きてきたことはな、すげえことなんだよ。
分かるか?おまえはたかだか十四年か十五年だろうが。
あと五十年、生きていられる自信があるか?
僕自身も、こうして年を重ねる瞬間には、
「明日はもう、自分がいないかもしれない」
とふと思うこともあります。
これは僕の「死生観」から来ている考え方であり、人間いつまでも変わらないままでいることは、決してありえないというものです。
年を重ねるということは、おおげさに言えば、
「無事、何事もなく1年を生き抜いたこと」
とも言い換えることができます。
そういう意味では、形はどうあれ「生きる」を継続している僕らにも、「継続力がある」と言ってもいいのかもしれません。
- 「何をバカな」
- 「なめてるのか?」
- 「いい加減にしろよ」
と言われそうですが、僕は本気でそう思っています。
ただそこに、人生に対する、
- 必死さ
- 本気度
- 情熱
- 幸福度
- GIVEしたかどうか
など、それぞれの人生の濃さの違いは、確かにあります。
無事に生き抜いた1年だとしても、リスクをとったかどうかでリターンも変わってくる。
もちろん「何も行動しないまま」の1年間もあり得るわけですからね。
それでも、1年間生き抜いて年を重ねることは簡単なことではないはずです。
そこに意味を付与できるように必死で生きていけば、もっと「生」を実感できるのではないかと、僕はそう思っています。
生きているだけでも素晴らしいことです。
各々の人生を、さらに素晴らしいものにしていきましょう。
おわりに
今は「与えること」について考えることが楽しくて仕方なく、自分の誕生日だったことも、仕事中はすっかりと忘れてしまっていました笑。
いつも通りの、何気ない日常を、淡々と過ごしたつもりでしたが、心のどこかで、
「1年間お疲れ様。また1年頑張ろうな」
と自分自身に声をかけていた自分に気づきました。
生きていくって本当に難しいですよね。
- 時に感情的になったり、
- 失敗したり、
- うまくいかなくなったりして、
- 自分を責めたり、
- 自暴自棄になったり、
- 自己嫌悪になったり
してしまうことばかりです。
でもどんな自分であっても、こうして様々なことを経験して1年を過ごすことができた。
それも30回以上も笑。
カタチはどうあれ、それは誇ってもいいのかなって。
だから年をとることは、もう何もネガティブなことではないんだなって。
僕はもっと渋く、魅力的になれるよう、思考から、行動から、体から、まだまだ変えて進化していこうと思っています。
ともにまた1年、頑張りましょうね!
それではまた!
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