苦しい時にいつも僕を救ってくれたのはダンスだった【大切な時間】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

僕もメンタルが落ちる時があります。

しんどい時の対処法として、今まで僕はいろんなことを書いてきました。

先日、友人に誘われてダンスの練習をしにいきました。

いろんなことを忘れたくて、

とりあえず踊りたい

そう思った僕は、荷物をバックに詰め込んで、練習に向かいました。

 

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今日は僕の親友である「ダンス」について書いていきます。

僕が落ち込んだ時、楽しかった時、いつもそばにいてくれたのはダンスだった。

学生時代に始めたダンス

中高時代に中途半端に器械体操をやっていた僕は笑、

大学生から、何か本気になれるものを見つけたい

と思い、もともと興味のあったブレイクダンスを始めることにしました。

ブレイクダンスとの出会いは19歳の時ですから、2025年から考えれば約17年ほど前です。

それから毎日のように、ダンスの練習に明け暮れました。

頭を削り、体を痛めながらも練習したダンスは、生活の一部となっていました。

僕は教員として働き始めても、ずっとダンスを続けていました。

ダンスとは一見すると楽しいのですが、スポーツの要素も多分に含んでいるため、かなりハードです。

若い子たちができるのは、それだけ「激しいもの」だからですね。

周りの仲間たちが辞めていく中、僕は淡々と定期的に練習を続けていました。

それはなぜなのかといえば、単純に「好き」だったからです。

そして何より、今までツラかった時にいつもダンスに救われてきたからでした。

今ではサウナやランニングにも救われていますが笑、当時何かしんどいことがあった時は、とにかくダンスをしていましたね。

ガムシャラに踊っている自分は、

ただ現実から目を逸らしたいだけのイタイやつ

と自嘲しながらも、そこに時間を割くことで救われました。

ダンスは昔、祭事に「祈り」として行われてきました。

僕は今でも、その意味をなんとなく理解できる時があります。

それが仮に、

  • 自己満であっても
  • ただ何かを忘れたいだけでも

それでも構わない。

そうやって僕は、10代の頃からダンスに救われてきたからです。

学生時代に出会ったダンスは、僕がツラい時やしんどい時に助けてくれた。この出会いは、今でも大事にしている。

いつでもそばにいてくれた

彼女にフラれた時も笑、離婚をした時も、僕は練習をしていました。

それが一番、精神衛生上良かったからです。

特にドラムのビートと鼓動が合うことで、僕はいろんなことを忘れることができました。

現代なら「ダンスをしている」と言っても市民権を得られていますが、当時は「腫れ物」として扱われ、

  • 態度が悪い
  • 音がうるさい
  • 汚くして帰る

など、悪いイメージばかりが先行していました。

それでも僕は、ダンスの魅力に取り憑かれ、周りの意見なんて関係なしに必死に練習していたものでした。

先日も、

このやりきれないモヤモヤをどうしたらいいだろう?

と考えていたところ、お誘いがあったので練習することにしました。

そう。

ダンスはいつも僕を救ってくれました。

ダンスはとても不思議な力を持っていて、踊っている本人もさることながら、見ている人もエネルギーをもらえるのです。

たぶん、あぁやって息が切れるまで「生」を証明、あるいは表現しているからなのかなと思っています。

音楽もダンスもそうですが、彼らは時を超えてずっと僕らのそばに寄り添ってくれています。

何かあったら音楽を聴く人もいますよね。

涙を流し、感動することもあるでしょう。

ダンスも一緒なのです。

自分が何かに祈りを捧げているような、そんな感覚でもあるのですが、ただ “感動” するのです。

でもよく考えたらダンスって、ヘンなんですよ笑。

音楽が流れている中、無の空間で体を縦横無尽に動かしているだけですからね。

一方で、スポーツ的な側面もあるから息は切れてくるし、芸術的な側面もあるから表現もできる。

この稀有(けう)な「アート」が、人々を救ってきたのだと思います。

頭を空っぽにして踊ってるだけだろ

と言われたら、そうなのかもしれません。

でも、そうやって自分と向き合える時間だからこそ、僕はたくさん救われてきたのだと思っています。

しんどい時も幸せな時も、いつも僕のそばにはダンスがありました。

ダンスには不思議な力が宿っているのだなと、そう思いましたね。

自分が腐っていた時、やり切れなかった時に救ってくれたのは、いつも「ダンス」だった。そのおかげで僕は生きてこられたのだ。

夢中になれるものを作っておくこと

僕がお伝えしたいのは、

ダンスっていいよ!

ということでもありますが笑、それ以上に「自分が夢中になれるもの」を作っておくということです。

僕がダンスに救われたように、みなさんも「やり切れなかった時」に救われたことがあったでしょう。

スポーツでも芸術でも、音楽でも漫画でも。

もちろん「話を聞いてもらう」という意味では、人に相談することも一つの手ではありますが、話したところでやり切れないこともありますよね。

自分なりの時間」の中で、リラックスすることも大事ですが、同時に何か夢中になれるものがありますと、生活が豊かになります。

僕が悲しかった時も、ダンスはそこに「公平に」いてくれて、何も言うことなくただただ僕を慰めてくれました。

人間とは、どうしても「感情的になること」があります。

そこに、ある意味「無機質な何か」をぶつけることで、その感情を昇華したり鎮火したりすることができるのかもしれません。

例えばメンタルがしんどい時、

うおー!踊らせろー!

とガムシャラに踊れば笑、なぜかより感情的になることで、逆に一旦平静に戻ることができます。

もしかしたら自己満足なのかもしれませんが、それで気が晴れるならいいじゃないですか。

僕はそうやって、いつも何かあったらダンスをしに行っていました。

今ですと、先述したようなサウナがあったりランニングがあったりしますので、僕の「逃げ場」みたいな場所はまだまだあるということです。(どれも暑苦しい笑)

こうして何か夢中になれることがない状態ですと、

しんどいけど、どうしたらいいかわからない…

ということになってしまいます。

僕も別に、

これらで全てが解決するわけではない

とは思っていますが、少なくともいろんな場面で、僕のことを救ってきてくれました。

要は、これが「あるか/ないか」ということ。

僕は幸いにも、僕を救ってくれるものと出会うことができました。

人生の中で、何か夢中になれるものを作っておくこと。

これは人生を豊かにする上で、とても大事なことなのです。

人生の中で、何か夢中になれるものを作っておくことだ。そうすることで、落ち込んだ時にも自分が救われるからだ。

おわりに

幸いにも、僕には「ダンス」がありました。

でもこういうものって、実は自分から取りに行かないとなかなか出会えないものです。

何か夢中になれるものはないか?

と、大学生の頃の僕は必死でした。

今でもそれは変わらないですし、夢中になれるものは他にもあります。

みなさんはどうですか。

そういう「もの」があったらきっと人生は豊かになっていきますよ。

それではまた!

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