感動的な一瞬よりも実りある日々を【人生をどのように捉えるか】

雑談

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

非日常の体験を

と、僕はよく言っていますが、一方で「日々の大切さ」についても考える時があります。

確かに、大きなイベントや節目はとても大切です。

その点については、年末年始で記事を書きました。

しかし、非日常の休日だけでなく、日々いろんな人と関わる中で感動できたら、それはもう最高ですよね。

今日は「日々感動すること」の大切さについて書いていきます

毎日、感動して生きていることができているか。意味のある毎日を、送ることができているか。

毎日に意味をもたせる

人生は一度きりです。

考えればわかるそんな簡単なことに目を向けないまま、僕は自分の人生を台無しにするところでした。

日本の教育がそうさせるのかはわかりませんが、いまだに「こうあるべき」という風潮が強く、しかもそれに従ってしまう集団を見ていますと、本当に気持ちが悪くなります。

そんな環境が、「ハレとケ」の文化を生み出したのかもしれません。

みんながみんな、イヤイヤながらサラリーマンや公務員をやっているとは言いません。

いろんな考え方があり、家族や自分の状況やらで、働き方を変えられないこともあるでしょう。

自分で考えた上で「それでいい」と思うのならば、僕はもう何も言いません。

しかし僕は、ふと自分の人生について疑問を感じたのです。

あれ?僕の人生って、こんなんで良かったんだっけ?

もっともっと、自分の好きなように生きたっていい。

「わがまま」と紙一重かもしれせんが、できる限り好きに、自由に生きるのが、人として当然の権利のはずです。

それなら、毎日を感動できるように生きることが、今の僕に必要なことなのだと思いました。

だってそのほうが人生、楽しくありませんか?

そんな簡単なら苦労はしない

そう言ってきたのは、他でもない「自分自身」でした。

その考え方が崩壊したのは、

  • 自由な人に出会った時
  • 様々な考え方に触れた時

でした。

毎日を、意味のある時間にして「最期」を迎えよう

そう決めてからというもの、僕の毎日は輝き始め、生き生きとしていったのでした。

急な感動と平凡な毎日を分ける必要はない。毎日を、意味のあるものにしていこう。

全てに全力を。

毎日を全力で。

このように考え始めたのは、迫る「」についてもまた、深く考えたからでもありました。

これを聞きますと、

いやいや、それはしんどい生き方だよ

そう言う人もいるかもしれません。

ただ今までの僕が、

  • あまりにも怠惰であり
  • 人の作ったレールの上を歩き
  • 何も考えずに惰性のままに生きていた

ため、僕にとっては「大きな変化」だったのでした。

(もちろん、たまに休むことも大切です笑)

考えてみると「この生き方」はしんどそうに見えますが、実はとても大切な姿勢だと思っています。

特に大切なのは、

どんな仕事に就いていようと、全力を出すこと

だと思っています。

その中に、

  • 朝活
  • 休日
  • 仕事終わり

など「本業以外の時間」があるというだけです。

僕は、この「本業」をしっかりやり切ることができていませんでした。

今となっては、勉強が苦手な子たちに勉強を教えているはずなのに、

  • ダンス部
  • 授業準備
  • グループ業務

など、とにかく時間を目一杯使って全力で取り組むことができています。

どうしても疲れたり、しんどくなったりしたら、時に休んだりリラックスしたりすることも大切です。

しかし面白いことに、

「全力で、一所懸命仕事やプライベートを楽しんでいる時間」

のほうが、とても有意義ですし精神的に充実するようになりました。

あぁ、今生きているなぁ

と思うようになったのです。

そんな中での、

  • カフェ
  • サウナ
  • 美術館
  • 人との時間

は、さらに格別ですね。

毎日を一所懸命生きるからこそ、土日や祝日もまた輝いてくる。

でもそれは、

日々の仕事なんて、苦行をただただ過ごしていくだけだ

といった思いから、きている考え方ではありません。

日々一所懸命生きることとは、日々に意味を持たせることでもあります。

僕は「生きている意味なんてない」と思っている一方で、

意味なんて、後からどうとでも付与することができる

とも思っています笑。

今の自分の生活には、ハリがあるのか。

それとも漫然と生きているだけなのか。

どのように生きるかは、自分次第なのです。

毎日に全力を注ぐことは、日々を大切に生きることだ。平日も祝日も、意味を持たせることなんて自分でできるのだ。

要は捉え方次第

そんなこと言われても、やるべきことはたくさんあるばかりで…

以前の僕も、このような考え方をしていました。

日々のタスクに追われ、自分のやりたいことはできず…

でもそれって、本当に僕が求めていた人生だったのでしょうか。

結局のところは、「捉え方次第」なのではないかと思っています。

今ある環境を俯瞰(ふかん)、あるいは客観して見た時に、「自分の人生」は一体どうなっているのか。

それを「考えるか、考えないか」の違いなのです。

だから「捉え方 = 考え方」と言ってもいいのかもしれません。

僕は、

「進学中心の高校 ▶︎ 就職中心の高校」

へと異動しました。

最初こそやる気も出ず、違う意味で、

こんなところにいるべきではない

と思っていたものでした。

今となっては「教育自体」から逃げることなく、面と向かって生徒たちと接する楽しさを知るようになりました。

自分の今いる場で、全力を尽くそうとするかどうか

この考え方が大切だったのです。

これは自分の姿勢次第で、どうとでもなります。

むしろ、この「姿勢」については人生全般に言えることなのかもしれません。

  • 一度しかない
  • 一所懸命生きたい
  • 毎日感動していたい

と、自分の中で大切なことに気づくことができたら、そこから驚くほど人生は好転していくと思います。

なぜなら、その点に気づけた人は「行動するから」です。

「行動」とは抽象的な表現ですが、簡単に言えば「人生を変えようと必死に生きること」だと思っています。

そうやって、毎日に感動を覚えること

僕は歩いている時、あるいは学校で生徒や同僚と真剣に向き合っている時など、

とても有意義な時間だなぁ

と思えるようになってきました。

もちろん、4月から新たな旅に出るのは「今の学校現場に納得がいっていないから」でもありますが、そのことと「今を頑張ること」は全く別の話です。

「感動」とは、真剣に生きている人だけが味わえるものです。

僕は毎日に感動を覚えていたいから、今を全力で生きようと思うのです。

そうすることで、後悔なく人生を終えることができると思っています。

今の環境に納得がいっていないことと、毎日を全力で生きることは別の話だ。一所懸命生きていれば、必ず感動する日々を送れることだろう。

おわりに

毎日を全力で生き、感動をすること。

そんな生き方から、僕は逃げ続けてきました。

  • 自分のことがイヤになった時
  • 自分の人生がこのままではいけないと思った時

人は動き出します。

そうすれば、あとは「人生をどのように捉えるか」だけであり、もう最高の人生が約束されたようなものです笑。

そのために、毎日に意味を与えていきましょう。

いえ、意味が後からついてくるくらい、一所懸命生きていきましょう。

それではまた!

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