こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki)
先日、同僚の先生たちと会議室で話し合う機会がありました。
テーマは「深い学び」です。
この手の雑談会は、前任校でたくさん主催したことがありました。
お菓子を用意して、授業力改善&向上に努めたものです。
とても楽しかった覚えがあります。
「深い学び」について議論することは、結論から言いますと「答えのない議論」でもあります。
そんな中で先生たちと議論した時間は、たったの30分でしたがとても有意義なものでした。
今日は教育における「深い学び」について書いていきます。
まずは前提をそろえること
雑談における最も重要なことは、「前提条件をそろえること」です。
リベラルアーツ大学の両学長も、
と言っています。
今回の「深い学び」とは、
- 場面
- 程度
- ゴール
など、多くの抽象的な要素を具体化してから話をする必要があります。
まず、
「『深い』とは何を持って『深い』のか」
を決める必要があります。
この基準を明確にするために、逆に「浅い」について考えていた班がありました。
例えば、
- 一夜漬け
- 単なる暗記
- 人に説明ができない
こうしたものは「浅い学び」として捉えてもよいと言っていました。
すると、
「テストの点がよくても、深い学びをしているわけではない」
という感覚が、自然と出てくることに気づきます。
テクニックや暗記力で勝負できる「ペーパーテスト」は、深い学びにあたらないという判断です。
ただ一方で、テストで高得点を獲った生徒もまた「深い学び」をしている可能性は大いにあり得ます。
では、深い学びをするためには何が必要か。
それが「基礎知識/基礎学力」です。
「基礎知識」と書いたように、これは学力に限りません。
英語の話(あるいは英語で話)をしたければ、英語についての基礎知識が必要なように、仮にあるであろう「深い場所」に行くためには、まずは基本的なことがわかっていなければならないのです。
どこかはわからないですが、いわゆる「深い場所」に行くためには、
- 基礎体力
- 基礎知識
が外せないことは、間違いのないことでしょう。
その前提条件をそろえた上で、
を探って、掘っていくのです。
だから基礎のない生徒に対して、
と言っても、それは意味のないこととなってしまうでしょう。
その生徒には、それ以前にやるべきことがたくさんあるからですね。
何をもって「深い」とするか?
教育における「深い」を議論することは、とても有意義なことです。
なぜなら、先ほど述べたようにペーパー試験や地頭の良さが、「深さ」に繋がるわけではないからです。
例えば「アニメオタクの生徒」は、
- アニメに関する基本的な知識を持ち合わせており、
- 質問に答えることもできれば、ストーリーやキャラクターの性質まで話すことができる。
と、このように「基礎 → 深層部分」という流れを持っています。
「ただ知っている」だけにとどまらなければ、程度はどうあれ「深い方向」へと進んでいることになります。
これも「深い学び」にあたりますよね。
僕個人としては「どれだけ深いか」を求める必要はなく、方向性さえ間違っていなければいいと思っています。
これを「教育(英語)」の分野に変えてみますと、
- 英語の知識を持っているだけでなく、
- 文法を説明したり、英語で読み書きやリスニング/スピーキングができる。
というベクトルを考えることができます。
すると同時に、
と考えるようになります。
- 英語を読めればいいのか
- 英語を話せればいいのか
など、どんどん「深さ」の線引きがされていきます。
教員同士で議論して出した(仮の)答えは、
- 説明ができる。
- 対話することができる。
- 学び続けることができる。
- 体験を通して学んでいる。
など、様々でした。
このように、
- 前提条件を揃えた上で、
- 必要な情報を肉付けしていく。
すると議論は方向性を帯びてきますし、生産的な話し合いに発展していきます。
結論としてまとめるとすれば、深い学びとは、
- 基礎学力がある生徒たちが、
- 対話や体験によって知識以上の「学び」を得ること。
- またそれらをアウトプットしたり共有したりできること。
ただ、これはあくまで1つの結論であり、前提条件が変わった場合は、そのあとの議論の方向性も変わってきます。
僕としては、上記のまとめはある程度の「解」なのかなと思っています。
あとは各学校の教師陣が、その「深い学び」とされている目標(=ゴール)に向かって、生徒たちに適切にアプローチをしていくことが大切ですね。
大人ができる深い学びを考えよう
実はこの「深い学び」という考え方は、大人(社会人)となった今でも、大切にすべきことだと思っています。
- 本を読むだけ
- 資格試験を獲るだけ
のように、大人になっても「浅い学び」に終始してしまうことは多いものです。
先ほど書いてきたこととあまり変わりはしませんが、僕の個人的な見解は、
- アウトプットをすること
- 意見を共有し自身に疑問を投げかけること
などが「深い学び」につながると思っています。
こちらの本はどちらも、著者である樺沢さんの具体的な行動指針が示されており、今から使えるものもたくさん含まれているのでオススメです。
まず、社会人になってから「勉強すること」が極端に減ります。
僕は生涯学習していきたい人間ですので、インプットしたい情報は、
- 読書
- 体験
- 人との雑談
などから取り入れています。
他にも、
- 映画
- 新聞
- アニメ
という方もいらっしゃることでしょう。
どんな形であれ、まずは「基礎知識」をつけるためのインプットは何より大切ですよね。
次に、アウトプットにもまた、様々な形があります。
- SNS
- ブログ
- ラジオ
- YouTube
などなど、現代は様々なSNSやメディアを駆使することで、自分の思いを伝えることができますし、インプットしたことが整理されていきます。
また自分の口で「人に伝えること」も良いアウトプットになると思っています。
と、自分が正しいと思っていたことに意見されることもありますし、新たな発見もできます。
これらのアウトプットによって「本当に」深い学びになるかどうかは別にしても、
- 深い方向へと進んだり
- 舵を切って全く別の視野を手に入れたり
することができます。
大人が常に「深い方向」へと進む実体験をしておくことは、下の世代を教育するにあたってとても大切なことです。
「深い学び」を語る前に、まずは自分で体験しておくこと。
これは何においても大切なことですよね。
その上で、
を語ることができれば、僕らが求めている「深い学び」により近づけるのだと思います。
おわりに
「深い学び」と言っても解釈の仕方はそれぞれですし、深くなかったとしても「知識にあふれていること」もまた素晴らしいことです。
議論において大切なことは、
- 前提条件をそろえて、
- みんなで一定の「解」に近づいていくこと。
これだと思っています。
「深い学び」のような抽象的なテーマには、おそらく「解はない」でしょう。
しかし、議論の意味は大いにあります。
「深い学び」という表現それ自体が抽象的ですからね。
みなさんの頭の中にも、
という考えは浮かぶはずです。
それらの「概念」を言語化して具体化していくこと。
議論によって煮詰めていきますと、それ自体が「深い議論」となることでしょう。
大人になってもインプットとアウトプットを繰り返し、『深い』ところまでいきたいものですね。
それではまた!
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