自分の意見を言うことは悪いことではない【議論する意味】

人間関係

こんにちは。すずきです。(@seiz_suzuki

みなさんは、「議論」について苦手なイメージがあるでしょうか。

僕はとても好きなのですが笑、以前は違和感を抱いていたことがありました。

強く言い過ぎたかな…
論点がズレていなかったかな…

と、気にしていたことも多々ありました。

今回は、小学校時代から議論することが好きで、かつ職場で議論ばかりしている教員が(皮肉)、議論について議論していきます笑。

自分の意見は伝えるべきだ。あなたは何も、間違ったことはしていない。

議論するときの大前提

日本では、

  • 議論
  • ディベート

と言った教育が、あまり行われてきませんでした。

今では、

  • 弁論大会
  • 英語によるディベート

など、少し環境は用意されていますが、やはり授業は「one-way」(一方通行)方式であり、

  • 生徒から意見を求めたり
  • 生徒同士で議論させたり

する場があまりありません。

そうした背景から、

自分の意見をぶつけることに抵抗がある…

という人を多く見てきました。

はっきり言いますと、議論とはそういうものだと思っています。

つまり、「自分の意見をぶつける場である」という意味です。

僕は、間違っていようが論点がズレていようが、

自分の思っていることを、ちゃんと言語化して伝える努力

が大切だと思っています。

それは「なんでも言っていい」という意味ではありません。

  • お互いに意見を尊重すること。
  • テーマに対して、自分の意見を自由に言うこと。

これらに対して配慮していれば、もうすでに立派な「議論」なのです。

「言葉にしなければ伝わらないことがある」

という言葉がありますが、僕はまさにそうだと思っています。

「何も言わずに黙っている人」を否定しているわけではありません。

僕が議論において大切にしていることは、

「議論をすることで、みんなが様々な意見を共有し、良い未来へと向かっていくこと」

です。

  • 相手を攻撃したり
  • 極端に否定・非難したり

しなければ、

私はこう思う

と意見を伝え合うことが、議論の場においては正解です。

議論の場なのだから、「自分はこう思っているのだ」ということを伝えるほうが良いに決まっています。

その後、

いや、僕は違うと思う

といった「違う意見」が出たら、それほど面白いことはないじゃないですか。

これから向かっていく「より良い未来」のために、議論はあるべきだと思います。

前提として、よりより未来のために議論をし、自分の意見を共有する。

僕はその姿勢を持つことのほうが、議論の場においては大切なことだと思っています。

議論とは互いを打ち負かすために設定される場ではない。様々な意見を言い合い、思考を共有し、よりよい未来に向かう場だ。

感情的にならないために

以前の僕は、

議論とは熱くなるものだ!

と思っていたものでした笑。

議論が白熱することは好きでしたが、実は「感情的になってしまうと議論にならない」ものでもあります。

自分は間違っていないんだ!

と、「自分が否定されること」にムキになってしまい、自分の意見を頑として曲げなくなってしまうからです。

僕はそうでした笑。

同様に、

自分の意見は間違っているはずがない

と思い込んでいたからです。

確かに「自分の意見をぶつけること」とは、

  • 自分の信念
  • 自分の経験

など、「『自分はこうだ』と思ってきたこと」をぶつけることを意味しますからね。

しかしそれと同時に、

  • 間違っている可能性もある
  • 違う見方ができる可能性もある

と、自分の意見に対して柔軟になれることも大切なのです。

つまり、

自分の意見は100%間違っておらず、否定されるべきではない

という前提で意見し始めてしまいますと、自分の意見を崩されたときの反動が大きくなってしまいます。

「私はこう思う」とは、自身の経験や信念に基づいて発していますので、固執したい気持ちもわかります。(僕もそうでした)

しかし、世界はそんなに単純ではありません

  • Aという意見があれば、
  • Bという意見もあり、
  • Cという意見も出てきます。
  • あるいはXという、とんでもない意見もあり得ます。

その前提に立てば、

いや、すずきの言っていることもわかるけどさ、私はこうだと思うんだよね

と言われることはいくらでもあることがわかります。

自分の意見に固執していては、議論が進まないのです。

100%間違っていないなんてことは、あり得えないということですね。

ただし、

  1. 自分の意見をサポートする。
  2. 他人の意見の気になる点を指摘する。

これらは議論を生産的なものにします。(難しいですね…)

実はこのブログの記事についても、「違うと思う」と言われたことはあります。

そんな時に「間違っているはずがない」と思ってしまうことは、非常にもったいないことです。

むしろ、

そんな考え方もあるのか!

と思えたほうが、ただでさえ狭い僕の視野を、広げるチャンスになります笑。

感情的になってしまうのは、違う意見が来ることを想定できていないがゆえ、です。

そうきたか!

と思えれば、そこからの意見交換はいい意味で「白熱」すること間違いなしです。

常にそうした「柔軟な姿勢」を持って、意見をぶつけてみましょう。

自分の意見を伝えることは良いことだが、同時に自分の意見に固執し過ぎないことも大切だ。指摘されることなんて、頻繁に起こりうるからだ。

有名な人だって間違えている

みなさんは「テレビの討論番組」を見たことがあるでしょうか。

僕はAbema TVなどで討論をよく見かけます。

そこで気づいたことは、どんなに有名な人同士でも、議論になっているということです。

いわゆる、

  • コメンテーター
  • その道のスペシャリスト

などが出演していても、結果的に様々な意見が飛び交っていますよね。

それは、

「みんなそれぞれ信念や経験が違い、意見がぶつかり合っているから」

に他なりません。

討論なんて全員の意見が一致しているならば、やらなくてもいいものだからです。

みなさんも、そんな人たちの意見を聞いては、

なんかズレているな
なんか違うんだよな

と思うこともあるでしょう。(冷静に第三者目線で見ているからですね)

つまりどんなに優秀な人、あるいはロジカルな人でも、意見がぶつかることもあれば、ズレることもあるというわけです。

それなら、僕らだってどんどん意見したらいい。

世の中に正解はないのですから。

ただ何度も言うように、

  • 言い放つだけ
  • 感情的になる
  • 自分の意見に固執する

といったことは、避ける努力が必要です。

注意しながらも、議論の場では積極的に声を上げたほうがいいです。

より良い未来のためにも、自分の意見を共有する

こうした姿勢を持っているほうが、議論している時に魅力的に見えますし、積極的に参加することで、議論の場も自分も成長していくことでしょう。

博識な人、理論的な人、有名な人ですら議論になる。それだけ、世界は様々な意見や見方があるということだ。ならば、あなたも意見を言えばいい。間違うことなんて日常茶飯事だからだ。

おわりに

議論していますと、

  • どうしても後悔したり
  • イヤな思いになったり

することがあるかと思います。

それは意見が食い違った時に湧いてくる感情なのですが、「だからその人は敵だ」という意味ではありません。

議論とは「そういう場」であり、自分の言ったことに後悔する必要はありません。(以前僕はそうでしたが笑)

攻撃的にならずに、

あなたの意見も理解できるけど、私はこう思う

と、議論を進めていくことは健全であり、むしろ生産的です。

その後、

なんか気に食わない

と言われましたら、その人が「議論」というものを履き違えています。

僕も先日、学校の議論の場で、めちゃくちゃ意見を言いました笑。

それは一方的ではなく、どんどん会議が煮詰まっていく「ポジティブなイメージ」です。

互いを尊重していれば、それでもう十分です。

その上で、自分の意見を伝えてみてください。

お互いが学ぶことができて、成長につながるはずですから。

それではまた!

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