発信をすることのリスクとそれだけもらえる対価【気にしない勇気】

投資

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

こうして発信をしていますと、何やら暇な人がいろんなことを言ってきます。

  • Xでも
  • ブログでも
  • インスタでも
  • YouTubeでも

何においても「言いたい人(=暇な人)」とはいろんな口撃(こうげき)をしてきます笑。

僕は有名ではありませんので、そんなくだらないコメントがくることに比べれば大したことはありません。

それ以上に、わざわざ時間を割いてまでコメントしてくれる友人たちに会えるほうが、よっぽど嬉しいものです。

今日は「発信するリスクとそのリターン」について書いていきます。

発信にはリスクがつきものだが、それだけリターンがあるのだ。だから僕は発信する。

発信者は常にリスクを伴う

発信すること」については、いくつか記事を書いてきました。

世の中のインフルエンサーたちは「批判」と戦いながら、毎日を生きています。

何かを発信しますと、決まって100人に1人くらいは文句をつけてくる人がいます。

それも “ある一部を切り取って” そこを集中的に攻撃してきます。

ここでこう書いてあるからおかしい
それってこういうことですか?それはダメだと思います

とね。

このように “発信する” とは、常にリスクを伴います。

どこの誰だかわからない人からコメントをもらったり、黙っていれば何も言われないことも、発信することで意見をもらうこともあります。

だからみんな発信したくないのであり、それは匿名だろうが顔出しだろうが、感じることは一緒です。

それでも僕が発信するのは、

そんな言葉、大したことではない

と思っているからこそ。

暴言にもいろんな種類がありますが、面と向かって言われているわけではありませんので、特に何も感じないのです。

日本人なんて、向かい合って「コメントと同じ言葉を言ってみろ」と言われたら、ほとんどの人が何も言えないことでしょう。

発信者とは違い、「安全地帯」から石を投げているだけだからです。

そんな人たちからのコメントなんて、たかが知れてる

リスクを伴うとはいえ、そう思うからこそ僕は発信を続けています。

しかも「リスクを伴っている」ということは、それだけリターンがあるということです。

それについて見ていきましょう。

発信者には常にリスクが伴っている。それに比べれば、ちょっとしたコメントなんてリスクをとっていない。たかが知れているのだ。

関係のない人 < 親しい友人たち

僕にもいろんな落ち度はありますし、たまに変なことも言います笑。

個人事業主になった今となっては、英語や教育観にプライドも出てきたため、以前より「はっきりとモノを言う」ようにもなりました。

だからと言って、

発信をしているから、批判的なコメントには反応しない

という、「都合のいいところ」をとっているわけではありません。

関係のない人とは、「全然僕のことを知らない人たち」であり、これは世の中で起きている「批判厨」たちと一緒ですね。

  • ただただ暇なだけ
  • 何かを言いたいだけ

の人間であり、そこに「生産性」なんて求めていません。

そう判断された場合、僕は無視を決め込みます。

一方で、僕の発信に対して「プラスに」反応してくれる友人たちは、とても価値のある存在だと言えます。

せいじのおかげで頑張れている
お前は知らないかも知れないけど、いつも見てるぞ

と声をかけてくれる友人は多いです。

それだけ、発信することで「リターンを得ること」ができます。

世界一周をしている時もそうでした。

わけのわからない人から石を投げられた時は、

この人はただただ暇なんだろうな

と思いましたね笑。

そんな時間を費やすくらいなら、もっと別のことに時間を使ったほうがいいでしょ

と。

一方で、ずっと応援してくれる人や支えてくれる人に対しては、丁寧にコメントを返して大事にしています。

僕がよく引用する、スヌーピーの言葉がまさにそうですね。

僕のことを好きじゃない誰かのことでくよくよする時間はないんだ。

僕は、僕を大好きでいてくれる人を大好きでいるのに忙しすぎるから。

彼らのおかげで、僕は世界一周ができたと言っても過言ではありません。

僕が大事にしたいのはどっちの人間か。

当然、もう答えは出ています。

親しい友人たちに時間を割くために、僕は発信している

彼らにいい影響を与えられていると思えれば、僕はずっと発信を続けていきたいのです。

変なことを言う人なんて、大抵暇人でしかない。貴重な時間を割いてでも応援してくれる人たちに、こちらも時間を割いていこう。そのために発信を続けよう。

気にしなくなった理由

僕がこんなメンタルになったのには、上記のような考え方があるからでもありますが、

影響を与えていく存在でありたい

という「願い」があるからでもあります。

つまり、

批判覚悟で発信をするぞ!

だなんて、そもそも思っていないということです。

たまに自分なりの意見も書きますし、もしかしたら “寄ってしまっている” こともあるかと思いますが笑。

ただ、いつでも一所懸命生きることで、自分なりの「変革」がいろんな人の糧になってほしいと、そう願っていることは間違いありません。

炎上させて注目を集めてやるぞ

と思っている人は、そもそも核心をつくことができていないのかなと。

確かに「多くの人に影響を与えること」は、お金に繋がることもあるでしょう。

しかし、「影響を与える」にも “質がある” と言うことを忘れてはいけません。

長い目で見て発信する必要があるということです。

もちろん、僕自身も探り探りではありますが、

  • やって良かったと思ったこと
  • これから変わっていくべき課題点

などを発信することで、誰かの何かの役に立てたらいいと思っています。

だから、批判的なコメントや意見が飛んでくること自体、

ん?なんで?

と思ってしまうわけですね。

  • 誰かを叩いたり
  • 貶(けな)したり
  • 文句やグチを言ったり

しているわけではなく、

  • 感じたこと
  • 整理したいこと
  • これからの展望

など、文字通りの「雑記ブログ」を書いているだけだからです。

だからほとんど批判的なコメントは来ませんし、

読んでますよ

と、友人からコメントをいただけることのほうが多いです。

そうしますと、本当に些細なものくらいしか批判コメントが来ませんので、

気にする価値もない

と思うのですね。

何度も言いますが、「批判されたことを無視すればいい」だなんて思っていません。

しっかりと確認し、

  • 石を投げられただけなのか
  • 受け留めて次に繋げるのか

を判断すればいい。

そう決めるようになりました。

また、これだけの記事を書いていますので、僕の人となりがわからない人に対しても、

(他の記事読んでくれれば、僕の言いたいことも行間から分かりますから…)

と思うフシもありますね笑。

いやいや。ちゃんと記事内で伝わるように書けよ

と言われそうですが、3,000字そこいらでは伝わらないことだってあります。

だからこうして毎日、自分の中で反芻して反省して、記事を書いているのです。

何か言われても、僕が今まで書いてきた記事が僕の人となりを伝えてくれています。

最終手段としては、

直接お会いしてお話ししましょう

でも、結構だと思っているくらいです。(実際にお会いした方もいました)

もう他人の批判なんて「切り取って指摘しただけ」としか思えなくなりました。

だから僕は、友人たちに影響を与えながら、僕は僕の人生を示していくのです。

そもそも批判が飛んでくることはほとんどない。だから発信して、影響を与えてゆくのだ。批判なんて、ちょっと言葉じりを切り取っているだけに過ぎないのだから。

おわりに

多くの人が「発信すること」に抵抗があり、顔を隠して発信している人もいます。

いずれにせよ、発信することで何か得られることは必ずあります。

ただし質の悪い発信(炎上系、批判やグチ系)は、いい人たちを呼び込みません。

また信念や軸がブレていても、聞いている側は「何が言いたいの?」となってしまいます。

だから丁寧に、少しずつ積み上げていきましょう。

それではまた!

コメント

  1. 田中結衣 より:

    一昨日のコメント、削除されたのですね。
    また、今日のブログを見る限り、私について言及しておられるようですね。
    せいじ(すちだ?)さんのブログは、世界一周から帰って来られたあたりでたまたま見つけ、それからはほぼ毎日のように拝見させていただいていました。(隠れたファンといっても?過言ではありません)
    だからこそ、一昨日の内容に違和感を感じてコメントをするに至りました。(私自身、公教育に携わっているから余計にそう感じたのかもしれません。)
    正直、ショックです。
    ブログを読む限り、他者の意見を受け入れて自身の意見を貫く方だと感じていました。しかし、勇気を出して送ったコメントを有象無象の批判と同様に捉え、一蹴され、尚且つ削除(非公開?)になっており、都合の悪いことは一方的に批判し、自論を振りかざす人なのだと分かりました。
    毎日読んでいたブログも、読むことはないでしょう。
    こんな形で読むことをやめることになり、残念です。
    ご多幸、ご活躍をお祈りしております。

    • せいじ より:

      お返しありがとうございます✨

      読んでいただければ分かる通り、コメントを残して一日待っていましたが、返信がなかったために一度削除しました。
      が、復元しておきました😊少し経ちましたら消すかと思います。

      今回のこの記事は、もちろん結衣さんに向けて(?)の記事でもありますが、僕はいつも個人的に感じたことを一般化して言うようにしていますし、別にこの記事ではなくても同じこと(批判コメントについて感じたこと)を書いたことは何度もあります。(1,000記事以上書いていますから💦)

      だから他の友人から「これ俺のことだよね?ごめん」と言われたこともあったくらいです。

      あら!まさかの隠れファンでしたか✨
      そんなに読んでくださったとは💦嬉しいです😊

      確かに僕のほうでも書き方に変なところはあって、「お前に小学校教育の何が変えられるんだ!」と思った方はいたかと思います笑。(訂正しておきました)
      その節はありがとうございました🙇

      ただし1つ目のコメントの時から今回のこのコメントまで、書き方に違和感を覚えたのは事実でした。
      「僕が教育の素人?この人は僕のことわかっているのかな?」と。
      また公教育に携わっているのであれば、なおさら発言の仕方(言い方はきつくても文字は残るので)には気をつけられた方がいいのではないかと思いましたよ。

      「多分記事も読んでなくて、コメントをかいつまんで批判しているのだな」
      と、結衣さんが違和感を覚えたように、僕自身「も」違和感を覚えたことは事実です。
      攻撃的にも感じましたしね。
      それに対して「いや違うんです」と誤解を解くのに、かなり時間を要しますし、どこの誰がコメントしているかなんてわかりませんから、有耶無耶にすることは別に「逃げたくて」やっているわけではありません。実際に発信してみたらご理解いただけるかと思います。
      だからこのような記事を書きました。

      当学校への批判(仕事ができてない/スケジュールが杜撰など)もしていませんし、「単純に人手が足りてない」としか書いていません。(そういう意味では教育界全体への批判ではありますが)

      最後の「僕が変えていかなきゃ」という一言をとらえてコメントを残されたんだなと、僕がそう感じたということをご理解いただければと思っています。

      でも公教育に携わっているからこそ、引っかかってくれたのだなとも感じています😊
      そういう意味ではとても熱くなり、嬉しかったです。

      僕は僕自身を弁解するつもりはないですが、「他人の意見に耳を貸さないで傍若無人に生きていく」というつもりはありません。

      ただ、ブログで発信していますと(僕も言い方を間違えてしまう時がありますが)どうしても “伝わり切らない” ということが起きます。

      「実際に会っていない方」と「たくさん話して僕の教育観を知っている方」からのコメントだと、温度感も違くて、たまに僕も「無視に近くなってしまう」ことがあります。
      結衣さんもお分かりだと思いますが、「かまってられない」のです💦

      意思疎通にコストがかかりますから。このように弁解じみた長文を書くことになりますし笑。

      とはいえ、とにかく一連のコメント、色々と考えさせられました✨
      ありがとうございました🙌

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