節制から導かれる幸せな生活とは?【それでも僕が鍛えていくわけ】

幸せ

こんにちは。せいじです。(@seiz_suzuki

最近、節制をするようにしています。

先日も、

再び節制の生活に戻ろう

ということで、食べる量を決め、週に2回のダンスとランニングを続けています。

今の体はこんな感じです。

【2025年2月5日】

健康や体に関してはいくつか記事を書いてきましたが、改めて「どうして体を鍛えるのか?」について書いていきたいと思います。

僕が体を鍛えるのは、幸せに直結しているからだ。意味のないことではないから、僕はやるのだ。

身体を鍛えると何がいい?

まず基本的なことですが、

なぜ僕が体を鍛えるのか?

ということですよね。

今年で36歳になるわけですが、若かりし頃の僕なんか、

30歳を超えたらもうおっさんだ

と思っていたものでした。

しかし蓋(ふた)を開けてみますと、

なんだか20代の時より、今のほうがパフォーマンス高いぞ?

と思うようになったのですから、人間とはすごいものです。

もちろん、いろんな “研究” をしてきましたので笑、だからこそ最高の身体になりつつあるのだとは思っています。

体を鍛えていますと、単純に動けるようになりますし「見てくれ」も当然良くなります。

好きなものを食べて好きなように生きるのもまた人生ですが、僕は僕なりに「足る」を知るようになってから、暴飲暴食をしなくなりました。

なぜか徐々に「幸せ」を感じていたのは、コロナ禍の時の僕でした。

  1. 最低限の量だけ食べて
  2. 激しめのトレーニングをする

別に何かを目指しているわけでもないのに、あの時代の自分はどこか悟っていたような気もしていて、

生きていて幸せだな

と、そう思っていました。

今もまた、そうした方向へと再び舵(かじ)を切ったわけですが、やはり結果的には「幸せ」になりましたね。

お金も使わないですし、ちょっとしたことで幸せを感じるようになっています。

自分自身の体がトランスフォームしていくのを見るのも面白いですが、何より「幸せ」を感じるからこそ、僕は運動をするのだと思っています。

「維持すること」それ自体が、いろんな意味での「幸せ」に繋がってゆくのでしょうね。

筋トレや節制は、見てくれをよくするだけでなく、僕に幸せをもたらしてくれた。それくらい、節制すると人生が幸せになるのだ。

節制が全てに繋がる

筋トレや体を鍛えることは、節約することでもあるからなのか、僕を「幸せ」へと導いてくれました。

みなさんも、漠然と

運動はいい

と思っているだけで、

実はやらなくてもいいんじゃないの?

とも、同時に思っている人もいることでしょう。

僕が社会人になりたての頃は、

  • ドカ食いして
  • 死ぬほど動いていた

のですが、あまり「イイカラダ」になった覚えはありませんでした。

なぜかどこか満たされなくて、いつでも「何か」を欲していました。

でも、今幸せを感じるのは、

節制しているような、清貧な生活をしている自分

ダイレクトに感じたからでした。

当然、体重も落ちますし、体にキレも出てきます。

以前のように「食べたいだけ食べる」ような気持ちも薄まってきて、

僕はもうこれで十分だ

と思えるようにもなりました。

だから「鍛えていい身体でいること」は、別に、

  • 見せびらかすわけでも
  • 自己満足に繋がるわけでも

ありません。

ただただシンプルに、清貧な「幸せ」に繋がるのです。

要素はいろいろと考えられますが、

  • 足るを知る
  • 健康になる
  • 動きやすくなる

といったことを始めとして、精神的な心地よさにも繋がるのだと、最近は思っています。

自分の身体を見ることもそうですが、フィット(=鍛えていて健康的になること)している状態とは、単純にこの物質世界で「生きやすさ」を生み出します。

ムダなものを摂ろうともしなくなりますし、自分らしくあろうと努力もするようになります。

どんなにデジタルな社会になっても、人間は何かしらを食べて排泄するように、有機的な生き物だからでしょう。

最後を迎えた時に火葬されて灰となってしまうように、どこまで行っても人間は「動物」なのです。

至極当たり前のことですが、この点に気づくことができますと、

いい体を維持することとは、一体どういうことなのか?

ということが明確になってきます。

もちろん、

  • モテるだとか
  • 子孫を残しやすくなるだとか
  • 異性と交流がしやすくなるだとか

そういう生物的な要因もありますが笑、やはり僕は「幸せ」になるから大事なのかなと思うのです。

食に気を使ったり、健康や普段使っている「時間」にも意識が向くようにもなりますしね。

体はその人の “生き方” も示します。

普段からどういうことを意識して生活しているのか。

僕の「体」が、僕自身の生活をも表しているのだと、僕はそう思っています。

体を鍛えていると、いろんな面から幸せになるようになる。健康から食、お金から人間関係まで、あらゆる面との繋がりがよくなるのだ。

体から心へ

心身とは互いに深い繋がりがあるように、「鍛えること」で見えてくる “いい生活” とは、精神的な安定にも関わっていると感じています。

どこまで行っても「フィジカルの世界」であるのがこの世の中であるように、身体のことを考えることができなければ、いつまで経っても心の穏やかさに結びつくことはありません。

もちろん、太っていて節制なんてしていない人でも、おおらかで豊かな人生を送っている人はいます。

それは個人の価値観ですから、「運動して鍛えている人=正義/偉い」ではありません。

それでも、こうして鍛えることが精神的な側面にかなり強く影響を与える理由は、やはりどこかでみなさんの中に “求める理想の身体” があるからなのかもしれませんね。

体を鍛えている人は、

  1. 自分を追い込んでいる
  2. ストレスを発散している
  3. フィジカル的に強くなっている

からなのか、やはり人より余裕のある人が多い印象です。

自分の体と向き合っていますと、自分のコンディションが客観的にわかるようになります。

一応、食生活に気を使い始めたのはここ3〜4年の話ではありますが、大学時代から続けていたダンスのことを考えてみれば、教員時代の10年ほどは鍛えています。

その中で大きな病気になったことはありませんでした。

一度だけ大流行したインフルエンザに罹(かか)りましたが、それ以外に不摂生で体調を崩したことは「切れ痔」になった時くらいでしたね笑。

ここ数年は本当に頭痛以外で倒れたことはなく、風邪なんかずっと引いていません。

軽い症状ならあったかもしれませんが、介抱してもらうまでにはいたりませんでした。(そんな記憶がない)

体が安定するようになりますと、当然心も安定するようになります。

その間に密接な関係性があるように、体とはとても大事なわけですね。

幸せになるために、僕は体を鍛えている

こんな考え方を持っていると言われれば、そうなのかもしれません。

自己満足の部分もありますが、目指したい幸せな生活があるからこそ、僕は体を鍛えているのです。

心の安定を得るために、体を鍛えておくことは良いことだ。幸せになりたいからこそ、僕は体を鍛えているのだと思う。

おわりに

30代後半に差し掛かっている今でも、僕の体は以前よりだいぶよくなりました。

不摂生していた時は太っていましたし、何より「足りない!」と思っては暴飲暴食を繰り返していました。

精神的な平静を求めたいのであれば、体を鍛えること。

心に直結させるなら、運動して筋トレして、節制することですね。

これからも頑張っていきます。

それではまた!

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